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短篇小説「未遂刑事」

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 未遂刑事は未遂事件しか扱わない特殊な刑事だ。彼が関わる事件は殺人未遂、強盗未遂など未遂事件ばかりであり、その解決もまた未遂に終わることを運命づけられている。

 未遂刑事の行動は仕事に限らず日常の些事に至るまで、何事も未遂に終わる。だから彼は未遂刑事である以前に未遂人間でもあった。つまり未遂人間がたまたま刑事になったから、めでたく未遂刑事が誕生したというわけだ。

 平日の昼間、住宅街で立てこもり未遂事件が発生した。すでに数人の警官が現場である一軒家を取り囲んでいる中へ、お昼休みのランチを見事に途中で切り上げた、つまり未遂に終わらせた未遂刑事の自転車が到着する。

 急いでいたためか、彼はやや腰を浮かせた姿勢で自転車を漕いできたが、それは決して立ち漕ぎではなく中腰の姿勢であって、つまりは立ち漕ぎ未遂であるとしか言いようがない。自転車を停める際にも、彼は完全に車両が停止する直前にサドルから飛び降りており、これもまた自転車停止未遂だ。自転車はやや先にある電柱にやんわりとぶつかることで、ようやく停止して壁にもたれかかった。

 世の中にはあらゆる未遂があるが、立てこもり未遂事件というのはさすがの未遂刑事もはじめてだった。人を殺しかけたら殺人未遂、人を脅して物を盗み損ねたら強盗未遂だが、では「立てこもり未遂」とはいったいどういう状態なのか。なにがどう未遂だというのか。

 そんな疑念を抱えつつ未遂刑事が現場周辺を探索したところ、それは紛うかたなき「立てこもり未遂事件」であることが判明したのだった。犯人は立てこもりかけていると同時に、立てこもり損ねてもいることがわかったからだ。

 何よりもまず目につく現場の決定的な異変は、玄関のドアが半開きになっていることだった。それどころか一階から二階に至るまで、あらゆる窓が半開きになっている。玄関脇のガレージまでもが意味ありげに半開きであり、黒いワンボックスカーの車体が覗いている。これではとても、「立てこもっている」とは言えないだろう。少なくともこの家の空気は、まったくもってこもってなどいないのだから。

 だがあえて城門を開けておくというのは、戦の手法としてないわけではない。あえて狭い場所へ敵を誘い込んでおいてから、袋の鼠となったところに集中攻撃を加えるという可能性もある。だが立てこもり未遂犯は男ひとりと聞いているから、挟撃の可能性はまずあり得ないだろう。 

 とはいえ入口が各所に開けているからといって、気軽に飛び込むわけにもいかない。二階の半開きの窓からは、犯人が娘の喉元にナイフのようなものを突きつけて人質に取っている様子が見えるからだ。

 現場周辺の確認を終えた未遂刑事が、拡声器を手にして犯人に呼びかける。

「立てこもり未遂犯に告ぐ。お前は完全にとは言えないが包囲未遂されている。所轄の人員だけでは人数が足りないから完全にとはいかないが、しかし未遂レベルでは包囲されていると言える。ちなみにお前のほうも作戦だかミスだか知らないが、ドアや窓があちこち開いているから、今のところこちらの認識としては『立てこもり』ではなく『立てこもり未遂』ということになっている。無駄な抵抗はやめて、すべてを未遂のまま観念して出てきなさい」

 だが未遂刑事のこの懸命の説得も、当然のことながら未遂に終わる。二階の窓から身を乗り出して犯人が答えた。

「俺が立てこもり未遂を未遂に終わらせたら、それはもう立てこもり未遂じゃあないだろう。それは『立てこもり未遂未遂』であって、俺が目指している立てこもり未遂とはまったくの別物だ。俺は立てこもり未遂をただ完遂したいだけなんだ!」

「完遂だと!」

 未遂刑事は突如として激怒した。犯人が、彼の最も嫌いな言葉を口にしたからだ。

「貴様はいま、よりによって完遂と言ったな。未遂を完遂したら、それはもう立派な完遂であって未遂でもなんでもない。未遂すら未遂に終わらせる覚悟がなくて、何が未遂だ! お前がやっていることなど、崇高な未遂とはほど遠い、そこらへんに転がっているただの平凡な完遂に過ぎない!」

「畜生、俺はどうしたらいいんだ!」

 犯人は未遂刑事が繰り出す魅惑の「未遂論法」に混乱をきたし、人質の娘をほっぽり出して階段を駆け下りると、半開きの玄関扉を蹴飛ばして勢いよく飛び出してきた。

 未遂刑事はその正面に立ちはだかり、即座に拳銃を構えた。その真に迫った形相に驚いた犯人は、思わず手に持っていたペーパーナイフを落としたが、そのまま素手で飛びかかっていった。未遂刑事は無鉄砲な犯人のパンチを何発か華麗に交わすと、素早く五・六発のパンチを入れて犯人を黙らせた。といってももちろん、すべて寸止めの未遂であり一発たりとも当たってはいない。

 そして未遂刑事は犯人の手首を取ってポケットから手錠を取り出すと、それすら手首の手前で閉じて逮捕を未遂に終わらせ、横にいた同僚の完遂刑事に犯人の身柄を引き渡した。ようやく出てきた完遂刑事は、ここで弱りきった無抵抗の犯人に手錠をかけるだけの、誰にでもできる簡単なお仕事である。

 未遂刑事と完遂刑事、圧倒的に仕事量の異なるこのバディの快進撃は、この先も止まりそうにない。


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