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短篇小説「喩え刑事」

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 管轄内で立てこもり事件が発生したとの通報を受け、喩え刑事がパトカーで現場へ急行した。五十代の男が、別れた妻とその娘を人質に立てこもっているという。

 喩え刑事は、助手席に乗るゆるふわパーマの新米刑事に言うでもなく呟いた。「いま俺たちは、まるで矢のように現場へ向かっているな」

 新米刑事は、パトカーの形はそんなに矢のように尖っているわけでもないな、と思ったので何も考えずに生返事で済ませた。しかし喩え刑事は、「だろ?」と満足気な様子でアクセルを踏み込んだ。

 二人の刑事は、まもなく住宅街の中心部にある現場に到着した。すでに盾を持った警官隊が、古ぼけた一戸建てをすっかり包囲していた。

「ずいぶんと大袈裟だね、まったく。チューインガムじゃないんだから。なあ新米」

 そう言われても、新米刑事には何を言っているのかさっぱりわからなかった。喩え刑事としては、隙間なく包囲されている犯人の状況を、噛み終えたチューインガムが紙に包まれる様子に喩えた会心の比喩だったわけだが、それを聴いた新米刑事はパトカーを降りるなり、なぜか走ってどこかへ行ってしまった。

 喩え刑事が現場の警官らに現状報告を受けていると、新米刑事が全速力で戻ってきた。

「これでいいですか?」

 新米刑事の手により、クールなミント味のチューンガムが差し出された。喩え刑事はがっかりして言った。

「そういうことじゃないんだよ。焼き肉屋みたいな奴だな、ハハハ」

 そう嗤った瞬間、さっそく新米刑事が今度は焼き肉弁当を買いに走りそうだったので、喩え刑事は両手を広げて全力で阻止した。喩え刑事にしてみれば、ただチューインガムを差し出される機会といえば、真っ先に焼き肉屋が頭に浮かんだから言ってみただけなのだが。

 気を取り直した喩え刑事が現場である住居に視線を戻すと、犯人の男は娘の喉もとに刃物を突きつけて、二階の窓越しにこちらの様子を伺っていた。喩え刑事は現場の警官から拡声器を受け取り、犯人の説得に取りかかる。

犯人に告ぐ! お前は完全に包囲されている。そう、まるで噛み終えたチューインガムのようにだ。あるいはジャンケンに喩えるならば、お前はグーで我々はパーだ。『最初はグー』などという子供じみた不文律は、我々警察には通用しない。わからないのならば、もっとわかりやすく言ってやろうか。ゆで卵でいうならば、お前は黄身で我々が白身だ。そう言ってしまうと黄身のほうがおいしそうに聞こえるかもしれないが、そういうことではないのであしからず。それぐらい、お前は肉厚に包み込まれているということが言いたいだけだ。つまりお前の負けは、すでに確定してすっかり茹であがっているというわけだ」

 犯人は窓を開けてなにやらぼそぼそと言い返しているようだったが、何を言っているのか、周囲にはさっぱり聞こえなかった。ただ男が頻繁に首をひねっている様子だけは、誰の目にも明らかだった。

 一方で、右隣につけていた新米刑事が急遽スーパーへ卵を買いに走ろうと構えていたので、喩え刑事はいったん彼を止めることに余計な労力を割かなければならなかった。新米刑事を落ち着かせると、喩え刑事は再び拡声器越しに犯人の説得を続けた。

「包丁を持って立っているお前の姿は、まるで板前のようだな。和食よりも洋食のほうが格好いいというなら、フレンチのシェフということにしてやってもいいぞ。他に包丁といって思い浮かぶのは秋田のなまはげだが、人質に取っているお前の娘は、果たしてそんなに悪い子なのか? ご近所の評判を聞く限り、挨拶も元気にできてそんなに悪い子ではないようじゃあないか。あるいはお前の手の中にあるのが包丁ではなく斧だとしたら、お前は木こりのように見えただろうな。他にもお前が持っているのが包丁ではなく鎌だったとしたら、その姿は死神を思わせるはずだが、お前は神ではないだろう。だから結局のところ、その真四角に仕上がった立派な角刈りのせいもあって、お前はすっかり板前のように見えているぞ」

 わけのわからぬ比喩の連鎖を聞かされた現場は一様に興醒めしていたが、ただひとり犯人の男だけは違った。男はじわじわと目に涙を浮かべ、娘につきつけていた刃物を下へ降ろすと、大声で喩え刑事へ向けて叫んだ。今度はしっかりと通る大声だった。

「そう、俺はたしかに、寿司屋の板前に見られたいお年頃なんだ。だが勘違いしてほしくないのは、俺はただの一度だって、本当の板前になりたいと思ったことなんかないってことだ。俺は単に板前のように見られたいだけであって、実際に板前になりたいわけじゃあない。だから『板前のように見える』という刑事さんの言葉は、俺にとっては最大最高の、まるで宝物のような言葉なんだ。自慢の角刈りを褒めてくれて、本当にありがとう!」

 犯人の男が突如お礼の言葉を口にしたことで、現場を取り囲んでいた警官隊は呆然となった。中には構えていた盾を、すっかり地面に置いてしまう者もいたほどだ。男は続けた。

「俺は友人にも同僚にも家族にも、これまで一度だって、このこだわりの角刈りを褒められたことがなかったんだ。ましてや『板前のように見える』だなんて、誰も言ってはくれなかった。俺のたったひとつの要求は、そう、このとっておきの角刈りを、誰かに褒めてもらうことだったんだ。そしていま、なぜか見知らぬあんたが俺の角刈りを褒め、さらには『板前のように見える』とまで言ってくれたことで、俺の要求は完全に満たされた。さらに嬉しいことに、俺がついさっきまで包丁をつきつけていた娘までが、あんたの意見に同調してはじめて、『お父さんの髪型、素敵ね』と褒めてくれたんだ。これまで生きてきて、こんなに嬉しいことはないよ。刑事さん、俺が間違っていたよ。俺の角刈りは、ちゃんと娘に愛されていたんだ。もう何ひとつ悔いはないよ。いまから二人を解放しておとなしく自首するから、刑事さん、あとはよろしく頼むよ」

 しばらくして、開かれた玄関の扉から出てきた母親と娘が確保され、続いて姿を現した父親が、喩え刑事の手によって穏便に逮捕された。男は喩え刑事に手錠を掛けられる瞬間、深々とお辞儀をして大いに感謝の意を示した。

 犯人をパトカーの後部座席に乗せ、喩え刑事が運転席に乗り込むと、助手席にいるべき新米刑事がいないことに気がついた。喩え刑事はなんとなく予感がしたのでそのままパトカーを発車させずに数分間待機していると、すっかり角刈りに変貌した新米刑事が助手席に乗り込んできた。その手にはなにやら持ちにくそうに、大きな寿司桶まで引っさげていた。

「まるでヨーヨーのような奴だな」

 新米刑事が頻繁にどこかへ行っては戻ってくる様子を、喩え刑事はそう喩えて口にしてみたが、新米刑事にはもちろんそんな喩えなど通用するはずもなかった。

おもちゃ屋に売ってますかね?」

 新米刑事が懲りずにそう言って再び腰を上げため、喩え刑事にとっては肩を押さえて彼を無理やり助手席に座らせる、という余計なひと手間が増えただけであった。

 そして慎重にパトカーのエンジンをかけると、このあと署に戻って行われる取り調べでは、犯人の板前みたいな男に定番のカツ丼ではなくこの寿司でも振る舞ってやろうじゃないかと、喩え刑事は心に決めた。


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