長年使っていたマウスが壊れたらしい。ノートPCに使っているものだが、ワイヤレスであるのが信じられないくらい安かった記憶がある。そもそもその前に使っていた中堅レベルのマウスが突如壊れて、緊急避難的に購入したものだった。そのわりには長く持ったほうだと思う。そして正確には、完全に壊れたというわけでもなかった。
何が起こったかと言えば「ホイールの逆走」である。真ん中に縦に走っているホイールを転がしてスクロールしようとすると、どういうわけか画面が一瞬だけ逆方向に戻ってから走り出すようになってしまった。さながら一旦バックさせることによって前へと走り出す「チョロQ」を思わせる動きだが、画面をスクロールさせるのにそんな助走が必要だとは思えない。しかもそれが毎回というわけではなく、数回に一回の割合で不意に逆方向へと画面が動くので、一瞬とはいえ目がいちいちビックリする。サッカーのドリブルでもなんでも、人は逆を突かれるといとも簡単に置き去りにされてしまうものだ。思いがけず自分の意志と反対の方向へ動かれると、脳に無駄な負荷がかかって目が回るようにすら感じられる。
だがこんな壊れかたが本当にあるのか? 果たしてこれは立派な故障と言えるのだろうか? そう思って〈マウス ホイール 逆走〉で検索してみると、どうやらかなりメジャーな壊れかたであるらしいことが判明する。
基本的にはホイールの軸周辺に埃がたまって動きを阻害している可能性が高いらしく、試しにホイール脇の隙間からフーフー何度も息を吹きかけてみるが直る気配はない。続いて隙間からマイナスドライバーやいらないポイントカードを突っ込んでガチャガチャやってみると、いくらは埃は出てくるが症状が改善するほどではない。ふと思いつきでアルコールを吹きかけてみたところしばらくは調子が良くなったが、乾ききったころにはすっかり元の木阿弥である。中にはマウスを逆さまにしてホイールを机の上で激しく走らせるようにするといいという説もあったが、それこそチョロQというかミニカーを走らせているような滑稽な状態になり、もしも他人に見られたら相当に幼稚な大人か、初めてマウスを手にした人類に見えたことだろう。
そうなるとさすがに買い換えを考えはじめるが、しかし使えることは使えるので微妙に踏ん切りがつかない。どうせ安物であるのだから、いっそできることはいまのうちに全部試してみるべきなのではないか。そういえば購入当初はあまりにも本体が安っぽく軽すぎて、上手いこと狙いが定まらず使いにくいと感じていたことを思い出す。しかし人は何にでもある程度慣れるもので、いつのまにか操作感が悪いとは微塵も感じなくなっていた。そうなるとまた次に買い換えたマウスの操作感が変わるのが面倒に思えてくるが、どうせそれにもそのうち慣れるのだと思う。
ネット上には分解掃除して復活したという報告が多く上がっていて、ではやってみるかと一念発起してみる。もちろん分解してしまえば保証は効かないが、そんな悠長な期間はとっくのとうに過ぎている。このまま脳を揺さぶられながら我慢して使い続けるのも阿呆らしく、どうせ直らなければ買い換えて捨てるしかないのだから、ここは壊すつもりでやるほかないだろう。
そう思ってマウスを裏返して隅から隅まで見てみるが、どういうわけかネジがひとつも見当たらない。まあこの手の安い製品は「壊れたら諦めてください」とばかりに分解不可能な構造になっていることも多いので、まあそういうものかと諦めかける。だがいま少し粘って調べてみると、実はネジが隠されているケースというのがマウスには多いらしく、裏面の滑り止めのゴム足を剥がすとその下に隠れているパターンが結構あるのだという。
確認してみたところ、たしかにそれっぽく丸い、いかにもねじ穴を隠してますよというサイズの黒いゴム足が左右二箇所に見える。これ剥がしたら二度と貼りつかないだろうな、とか思いつつ、でもやるしかないと思って右側のゴムをちょっとずつ剥がしてみると、中にはねじ頭などさっぱり見当たらず、そっとゴム足を差し戻してやるしかなかった。幸い剥がしきってはいなかったため、なんとかもと通りに貼りついてくれて良かったが、にしてもこの小悪魔的な思わせぶり感はいったいなんなのか。
こうなるといよいよネジがどこにもない可能性が高くなってきて、さすがに諦めようかと思いつつ、もはや意地になってしつこく検索を続けてみる。するとねじ穴の候補地として、今度はなんと電池蓋を開けて電池を外した下にある、おそらくは電池の±を示すために貼ってある黒いシールの下にネジが隠れているパターンがあるとの説が浮上してきて、良く見ればその記事に映っているマウスは自分のマウスとまったく同じ機種であるように見える。
それにしたってなぜわざわざそんないけずをしやがるのか? ここはそう大いに疑問を持ちながらも、その説を信じてベッタリ貼りついたシールをマイナスドライバーで無理矢理剥がしていく。長いこと貼りっぱなしだったせいか途中で破けたりもしてくるが、もはや後戻りはできないのでガシガシ剥がしていく。するとようやく半分くらい剥がしたところで、ついに一本のねじ山が出現したのだった。
これがRPGにおける必須アイテムの入手場面なのだとしたら、さすがにクソゲーレベルの雑な難易度設定と言うほかなく、なぜこんな意地悪な忍者屋敷のようなことをするのか意味がわからない。それだけ素人に下手にいじってほしくないという気持ちの表れであるのかもしれないが、見つけてしまったからには思い切って開けてみるしかない。ネジをドライバーで外して尻の部分を強めに持ち上げると上物がパカッと外れ、初めてその中身が露わになった。
内部の惨状は想像以上だった。ホイールを貫くシャフト周りに、なんだかジェルが固まったような謎の塊が何層にもこびりついており、何がどうなってそうなっているのかがわからない。こちらとしては乾いた埃や髪の毛が絡まっているのを想像していたので混乱を隠せないが、なんとかその汚れを掻き出したり拭いたり一掃したうえでマウスを組み立て直してやる。するとマウスの逆走すなわち反抗的動作はまったく見られなくなり、まるで熱血教師ドラマの残り五分で驚くべき成長を見せる生徒のごとく素直に指示通り動くようになった。
どうやらマウスの中には忍者が住んでいる。そういえばホイールの部分は手裏剣であるようにも思えてきて、画面上を跳び回るカーソルの素早い動きもたしかに忍者めいている。あるいは忍者とねずみが天井裏でチューチュー鉢合わせした結果、生まれたのがマウスという子供であり武器であるのかもしれない(しれなくない)。なにはともあれそんなどうでもいい結論にようやく至ったところで、そろそろ人さし指を縦につなぎ合わせてドロンさせていただきたく候。
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