「穴」というモチーフには、なぜだか常にワクワク感がある。だからカフカも安部公房も村上春樹も穴を使う。ということはつまりカフカが使ったからか。影響関係を考えると。その題材の強さのおかげで面白さの最低ラインが保証されると考えるか、逆にハードルが上がると考えるかは読み手次第だが。芥川賞受賞作。
物語は田舎に越してきた主婦の日常からはじまる。これが本当に日常なのだ。日常というのは当然のごとくリアルだが、そのぶん退屈も伴う。丁寧に描き出される日常の連続に、個人的には挫折しそうになった。しかし日常というのは、現実とフィクションをつなぐ入口としての機能もたしかに持っている。
淡々とした日常が続く前半の時点では、カフカのような不条理文学の予感はほとんどない。これは意図的に隠されたものだろう。最後まで読むとその構造が見えてくる。ようになっている。
そういう意味では、「起承転結」はわりとハッキリしている。つまり「転」の時点にたどり着くまでは、すべてが前振りであるとも言える。もちろん前振りである箇所自体が、必ずしも地に足の着いた日常でなければならないとは限らない。だが基本的には、「転」で飛躍するための足場として、事前に着実な日常をセッティングしておくことが多い。
物語は中盤で、ある出来事をきっかけにして様相を変える。これは文庫本裏面のあらすじにも書いてあることなので書くが、主人公が穴に落ちるのである。
こうなると良くあるのは穴の向こう側の世界に行ってしまうパターンだが、本作の場合そうはならない。前振りとしての日常が丁寧に描かれていたのは、ここでまだ見ぬ「向こう側」の世界に行かず、見慣れた「こちら側」の世界に戻ってくるからだろう。
つまり穴に落ちる前に見えていた日常と、穴に落ちた後の日常が違って見える。「穴」をスイッチとして、それ以前と以降の風景がカチッと切り替わる。そのための前提条件として、前半の日常があった――てな感じでスッキリまとめたいところだが、実はそう簡単かつ明快な構造になっているわけでもないのが、本作の面白味でもあって。
主人公が見る日常の風景は、穴に落ちる前に比べてたしかに変化しているようには見えるのだけれど、それがどこから変になっていたかというと、その切れ目が実はよくわからないのである。
読み進めていくうちに、妙な言動が目立つようになってくる周囲の登場人物たちも、実はもともと最初から変な人たちだったようにも思えてくる。その変化の度合いは、「穴に落ちる」という事故の衝撃度に比べたら、随分と緩やかでシームレスなため摑みどころがない。だからこれは昨今のライトノベルに溢れているような「異世界モノ」とは全然わけが違う。ルールに縛られた物語など窮屈でしかない。
そしてここで改めて、不条理文学の比較対象というわけではないが、カフカやベケットの書きかたを考えたくなる。彼らの書く小説には、ほとんど前振りがない。主人公は冒頭から虫になっていたり、裸で椅子に縛りつけられていたりする。
つまり日常をベースにしてそこからのズレを見せてゆくのではなく、彼らの作品では最初から日常が、その因果律がすでに壊れている。なぜあんな書きかたで、読者に圧倒的なリアリティを感じさせることができるのか。物語というものは、日常の延長線上に見えてくるものなのか、あるいはまったく別の世界を立ち上げる必要があるのか。
カフカやベケットがこの設定で書きはじめるならば、一ページ目からいきなり穴に落ちるか、穴の中からこの物語をスタートさせたのではないか。同じく不条理文学とされるものでも、そこには何か決定的な違いがあるようにも感じた。
- アーティスト:Halford, Rob
- 発売日: 2009/03/10
- メディア: CD