フランス文学の異端児による奇譚。
再読して改めて気づくのは、この作品がとにかく遊び心にあふれているということだ。そしてそれがなぜか哀しい。そんな作者の独特なスタンスを理解するためには、巻末の安部公房による解説にある、本作の謎めいた題名に触れた一文が助けになる。
なぜ「北京の秋」なのだろう。ヴィアン自身、その質問に対して、なんの関係もないからだと答えているらしい。
これは一見ひねくれているように見えるかもしれないが、「なんの関係もない」というバッサリ切断された感覚は、逆に清々しくもある。不条理ではあるが、そもそもこの世の条理が信頼に足るかと言われればそれこそ疑問だ。現実的でありながら、現実とは綺麗に手を切った別の現実が描かれる。それこそフィクションの真髄なのではないか。
ヴィアンは現実的な描写の中に、隙あらば非現実的なシーンをひょこひょこ挟み込んでくるから油断がならない。それはいつも唐突で、理由や動機の説明もなく当たり前のように描かれる。
アンヌの車の腕はすばらしかった。そして彼は、フラッシャーの端で、歩道を歩いている子供の耳をひっかけるのに夢中だった。
リアルとファンタジーを、わりとぶっきらぼうに調和させてしまう不思議な世界観が全体を包んでいる。これを作者の豪腕と捉えるか、のらりくらりと発揮される自由な感性と見るべきか。
どう書けばこんなに現実と非現実を馴染ませることができるのか、ということを考えながら読む。もちろんその答えはわからないが、思いつきを放り込む勇気は間違いなく必要だ。そこには、読者の感性に対する信頼も含まれる。
大まかにいえばユーモラスな前半と、メランコリックな後半。ユーモアの果てには、いつだって哀しみが待っている。
個人的には、伏線を回収しようというエンタメ的意識が垣間見える後半よりも、奔放かつ無責任に筆を走らせているように見える前半のほうがより好み。実際のところどこまで全体を想定して書き出されているのかはわからないが、スムーズでない展開の唐突さこそが、作品の大きな魅力になっている。
- 作者: ボリス・ヴィアン,岡村孝一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1980/04
- メディア: 単行本
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