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短篇小説「人望くん」

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 どこの世界にも、いったいその人がなぜそんなに評価されているのか、その要因がどうにも思いあたらない人物というのがいる。イケメンでも演技派でもない大御所俳優。美人でも巨乳でもないグラビア女王。失言まみれ汚職まみれの大物政治家――。

 挙げればキリがないが、考えてみれば小学生のころからそういう奴はいた。私は彼のことを、羨望と揶揄の念を込めて「人望くん」と呼んでいた。

 人望くんは、とにかく先生に怒られなかった。私たち男子が休み時間のドッヂボールに夢中になりすぎて、校庭から教室に戻るのが遅れたときもそうだった。担任の中年男性教師は、教室の前扉の前に仁王立ちして僕らを待ち構え、遅れてきた生徒に次々と容赦ないビンタを喰らわせていった。

 しかし五・六人叩いたのち、人望くんが目の前に現れると、担任は振り上げていた手を止めて言った。

「お前はわかってるはずだ。わかってるならいい」

 いったい何がわかっているというのか? そして担任は何を証拠に、彼が何をわかっていると感じ取れたのか? 

 そうして担任は人望くんをやり過ごすと、何事もなかったようにいったん手を降ろし、充分なストロークをもってもう一度振りかぶり直してから、その後に来た生徒たちへ再びビンタを浴びせ続けていったのだった。

 その事件があってから、私は人望くんを疑いはじめた。きっと彼は、校長先生の息子に違いない。だから彼だけは、何をやっても怒られないのだ。小学生の私にしてみれば、それが自分の思いつく範囲内において弾きだした、彼だけが殴られないことに対する精一杯の理由だった。

 だが改めてクラスメイトの情報を集めてみたところ、もちろんそんなことはなかった。人望くんはごく普通の中流サラリーマン家庭の、ありがちなひとりっ子であるようだった。

 そのまま地元の公立中学へ進学した私は、人望くんとクラスこそ違ったものの、同じ野球部に入部することになった。

 しかし入ってみれば野球部とは名ばかりで、走り込みと球拾いだけが一年生の仕事だった。夏休み中も容赦なく練習が続くなか、市内の強豪校がわざわざ我が校へやってきて、三年生主体のチーム同士で練習試合が行われた。

 我が校の野球部の監督が、試合前に総勢五十人を越える全部員を集めて、その日のスターティングメンバーを告げた。

 打順の一番から順にメンバーが発表されていったが、あえて四番だけを空欄にして飛ばしたまま、九番までの発表を終えた。そのいつもとは異なる発表方法に部員たちがザワつくなか、監督は円陣後方に埋もれている人望くんを遠く指さして言った。

「おい、そこの一年。四番ピッチャーはお前だ!」

 部員たちは驚きのあまり、なんのリアクションも取れなかった。なぜならば私たち一年生は、いまだキャッチボールすらまともにさせてもらえない状況だったからである。その時点で監督が目にしている一年生の練習風景は、ただただグラウンドを走らされている姿とボールを拾っている姿、そして拾ったボールを下から投げて上級生に渡している姿だけであるはずだった。

 突如マウンドに上げられた人望くんは、いきなりの初登板のわりには特に緊張する様子も見えなかったが、結果は打ち込まれての十一失点と散々な内容であった。

 しかし監督は、どういうわけか最後までピッチャーを代えることはなかった。そして打っては中軸の四番を任されているにもかかわらず、鳴かず飛ばずの五打数ノーヒット。その日の大敗のA級戦犯は、明らかに人望くんその人であるに違いなかった。

 そのプレーは誰が見てもレギュラーのレベルには達していないように思われたが、それから三年の夏に部活を引退する最後の日まで、彼はたいして上達することもないままにエースで四番を任され続け、二年の秋からは主将にまで任命された。

 もしかすると、彼の親戚に名球会もしくはメジャーリーグレベルのプレイヤーがいるのかもしれない。あるいは野球の枠など越えたところで、大物政治家がバックについているとか?

 そう怪しむ程度には私も大人の階段を昇りはじめてはいたが、私の調べた範囲では、やはりそのどちらでもないようだった。

 中学を卒業し別々の高校へ進学してからは、私と人望くんをつなぐ直接の接点はなくなった。しかしそこはやはり人望くん、遠くからでも、その評判は次々と耳に届いてくるのだった。

 といっても彼は、特に偏差値の高い高校へ入ったわけでもなく成績はごく普通レベル。身長は高くも低くもなく、女子の目を惹くイケメンというわけでもない。中学時代はエースで四番だったとはいえ、取り立てて運動神経が良いわけでも喧嘩が強いわけでもないし、絵や歌が上手いわけでもトークが面白いわけでもない。

 にもかかわらず彼に関しては、こちらから訊いているわけでもないのに、良い評判があちこちから続々と飛び込んでくるのであった。

 だがその「良い評判」というのが、具体的にどんな評判だったのかというと、今となってはまったく思い出せないのが不思議ではある。勉強でもルックスでも芸術でも運動でも武勇伝でも面白さでもないジャンルの「良い評判」となると、ほかにいったいどんな評判があり得るというのか?

 思い浮かぶとしたら、せいぜい「通学途中に産気づいている妊婦を助けた」とか、「電車内でお婆さんに席を譲った」といった類の親切行為くらいしかないが、そういえば彼が特にやさしい男だったという記憶もない。

 だとすればそんな彼の説明不可能な魅力を、はたして「人望」と言って良いものかどうか。やさしさは人望の一部であるような気もするが、峻厳かつ人望のある人物というのも少なくない。

 そんな彼が平凡な大学を卒業した2020年の夏、未曾有の絶望的な危機に見舞われた地球をこの男が、腕力でも学力でも政治力でも発想力でも技術力でもなく、しかしいつのまにか全人類の中心に祭りあげられて救うことになるのだから、やはり私のような「無人望くん」からしてみれば、もはや彼のことを「人望くん」と呼ぶほかはないのである。


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