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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

短篇小説「反語の竜」

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 竜は素直じゃない男だ。彼は産道の中ですらも、「産むなよ、産むなよ」と心の中で念じていたという。もちろん産まれたくないわけではなかった。だが本当に産まれたかったのかどうかは、物心ついていないのでよくわからない。
  
 竜の少年時代には苦い思い出が多い。ある日、昼休みのドッヂボールに夢中になりすぎた小学五年生の竜とクラスメイトたちは、遅れて教室へ突入すると廊下に並ばされ、担任の男性教師に説教を喰らうはめになった。しかしこの担任は温厚な青年で、このときも恫喝するような調子は微塵もなかった。

 だが人間、何でスイッチが入るかわからない。そんな気配など微塵もない担任の説諭の最中に、竜が突如として「ぶつなよ、ぶつなよ」と呟きはじめたのだった。すると担任は何かに取り憑かれたように、廊下に並ばせた男女計八人の生徒を、片っ端からビンタしていった。

 慣れないビンタは音が鈍いわりに痛く、生徒にはすこぶる不評であったが、竜が喰らった一撃だけはほとんど痛みを感じさせず、澄んだ高音を廊下の果てまで響かせた。

 もちろん竜はその日の放課後、クラスメイトたちから問い詰められることになった。お前が「ぶつなよ」と言ったせいで、俺たちはぶたれたんだぞ。お前があんなことさえ言わなければ、先生はぶったりはしなかったのに、と。

 ひとりの男子生徒は、「お前だけぶたれずに済まそうなんて卑怯だぞ」と言った。

 するとある女子生徒が、「でも『ぶつなよ』と言ったからって、自分だけぶたれないという保証はあるのかしら」と反論した。「竜ちゃんは、生徒全員を『ぶつなよ』と先生にお願いしたのかもしれないじゃない」

「てゆうか、『ぶつなよ』って命令形が良くないんだろ」また別の男子生徒が、角度を変えてもっともなことを言う。「目上の先生に対しては、『ぶたないでください』が正解じゃね?」

 だが問題はそのいずれでもなかった。冒頭にも述べたとおり、竜は元来素直じゃない男だからだ。

 つまり竜の言う「ぶつなよ」は、「ぶつなよ」という意味から放たれた言葉ではなかった。素直でない竜の言う「ぶつなよ」は、すなわち「ぶて」という意味なのだった。なにしろ竜は、素直じゃない男なのだから。その証拠に、ぶたれたあとの竜は、何かを成し遂げたような笑顔を浮かべていたのだった。

 つまり竜の発言に正しく反応したのはむしろ担任教師のほうであり、クラスメイトは誰ひとりとして彼の発言の意図を理解することができなかった。それが竜の少年時代を孤独にさせた。

 ある日、給食に出たおでんは妙に熱かった。竜は中でも特に熱々の卵をお椀の中にじっと見つめながら、「やめろよ、やめろよ」と呟いた。クラスメイトたちは意味がわからずに無視していると、つかつかと寄ってきた担任が、巧みな箸さばきでその卵を突き刺して、竜の大きく開いた口の中へ丸ごと放り込んだ。

 そのとき竜は熱い熱いとのたうち回りながらも、またもやしてやったりのドヤ顔を浮かべたが、クラスメイトたちの反応は冷ややかなものであった。後日この場面がPTAで問題となり、担任は処分されどこかへ行ってしまった。

 ある夏の日、今度は体育の時間に使用するプールが怖ろしく熱かった。まるで熱湯風呂のように。誰もが入るのを躊躇する中、海パン一丁の竜はプールサイドの水際に立つと、ちらちらと後方を振り返りながら「押すなよ、押すなよ」と繰り返した。

 だが竜の一番の理解者であったあの担任はもういなかった。しかしその頃には、竜にもクラスに二人だけ友達ができていた。二人はそれぞれ竜の右腕と左腕を掴むと、竜を思いきりプールへ突き落とした。続いて助けるふりをして手を伸ばした一人を竜がプールに引っ張り込み、最後に水中の二人を助けようと手を伸ばした残りの一人も、お約束のようにプールへ引きずり込まれた。

 熱湯に飛び込んだ三人を心配した新しい担任教師がプールにおそるおそる手を差し入れてみると、先ほどまで湯気を上げていたプールの中身は、すっかり適温に戻っていたという。

 のちに「反語の竜」と呼ばれる伝説の男は、このようにして誕生した。大人になった彼とその他二名が本領を発揮するのは、また別の話だ。 

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