読み終えて残るのは、ディストピア小説の読後感である。だがこれは、フィクションではないようだ。この先に透けて見える未来像が現実になるかどうかはわからないが、少なくともスタート地点がいまここにある現実であることに、間違いはない。そう、残念ながら。
いかにも近ごろの新書らしい、狙いすぎのようにも感じられるタイトルに釣られて安易に手に取ってみたが、読み進めてゆくうちに、現代社会の問題点を容赦なく炙り出すその内容から目が離せなくなった。
一章目のつかみに『君の名は。』を持ってくるあたり、やや取ってつけたようなあざとさを感じなくもないが、以降はかなり深刻な内容が続くため、これはあくまでも導入にすぎない。
本書を通して語られるのは、「自由」「夢」「自分らしさ」といった、昨今ことあるごとに語られる耳障りのいい言葉の裏に潜む罠である。「罠」を「過酷な現実」と言い換えてもいい。
それらJ-POPの歌詞のように甘くやさしい言葉の実体が、いったいどのようなものか。これらの言葉は、必ずしも良い結果ばかりを招くとは限らないというリアル。自由の背後には必ず重い責任が伴い、勝者の陰には必ず大量の敗者が生まれる。成功しなかった「自由」も「夢」も「自分らしさ」も、周囲から見れば単なる身勝手にしか見えないだろう。
著者の視界は常にそういった、誰もがいないことにしがちな敗者の存在を捉えている。
自由競争を、多くの人は公平なチャンスだと思っているが、言われてみればそのポジティブなイメージは、自分に能力があることを前提に思い描かれたものであったりする。つまり能力のない人にとっては、自由は追い風にならない。それどころか、むしろ絶望的な向かい風にすらなってしまう。ではここで言う「能力」とはいったいなんなのかと思う。
これがRPGの世界であるならば、時間をかけてひたすら経験値さえ積んでいけば、あらゆる能力は自動的に向上してゆく。だから人はRPGにハマるのだろう。そこには現実とは異なる「努力が必ず報われる」世界があるから。つまり現実においては、努力が能力の向上につながるとは限らない。
それが勉強における能力ならば、まだわかりやすいほうかもしれない。仕事における能力というのは、いったい何を意味しているのだろうかと疑問に思うことがある。
たとえば能力に比例して金銭が貰えるというのなら、たとえばGAFAのような企業を立ち上げた世界屈指の大富豪たちは、どれほど圧倒的な能力を具体的に所持しているのかと。
たしかに検索エンジンやSNSやネット通販を普及させるというのは、ある種凄いことなのかもしれない。だがそのひとつのビジネスを立ち上げたというだけで、それが数十兆円レベルの資産を形成するほどに凄まじい価値を持つ能力なのかと問われれば、やはり疑問に思わざるを得ない。しかし需要と供給が価値を決める資本主義社会では、それこそが圧倒的能力ということになる。
とは言いながらも、これは「能力とは何か?」という問いに対する答えには全然なっていない。発想力、コミュ力、世間の空気(ニーズ)を読む力、行動力、話術、学力、運――どれも関係ありそうではあるが、いったい何を頑張ればそんなことになるのかはわからない。
そういう「なんだかわからない能力」を評価される世界には、まさに「無理ゲー」という言葉がふさわしいのかもしれない。戦国シミュレーションゲームをやっていると、「人望」や「魅力」といった謎の能力値が必ず登場するが、これはそれくらい「どう鍛えればいいかわからない」能力なんじゃないかと思う。
あえて言えば、「世の中を便利にする能力」ということになるのだろうか。しかしコンビニでレジを打つのだって世の中を便利にしていることに違いはないわけだから、そうなると効率の問題になり、「いっぺんに大量の人々へ利便性を提供する能力」と言うべきか。だとすると、もしも一台のレジで数十億人の会計を同時にできるのなら、そのレジ係は何兆円もの資産を持つ価値があるということになる――。
本書で著者は、能力に対する遺伝的要素の大きさを指摘している。つまり先天的能力に恵まれなかった人はどう生きればいいのか、という重要な問いがそこにはあるが、僕にはそれ以前に、仕事における能力というものが、そもそも怪しいものだという感覚がある。それを評価する基準はあるようでなく、その人が金持ちになれるかなれないかは、しょせん結果論にすぎないのではないか。
この本の表紙に書かれた《才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア》という印象的なキャッチコピー。ではその「才能」とは何かというところにまで思いを馳せたところで、本書の最後には「評判格差社会」という言葉が待っている。たしかにSNSの「いいね」によって可視化され、もはや世間を動かす最大の基準となっているものは、「評判」なのかもしれない。ではその評判がどんな能力によって生み出されるものなのかと問われれば、やはり答えようがないのだけれど。