泣きながら一気に書きました

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笑いの中に現実を、厭世観の奥に希望を〜『間抜けの構造』/ビートたけし

「間抜けの構造」というよりは、むしろ「“間”(ま)の重要性」について語った本である。身のまわりの間抜けな人々をコミカルに紹介する第一章は、読み手のハードルを下げるためのつかみとしては機能しているが、まったく本題ではない。

自らが心血を注いできたお笑いから映画、そしてスポーツに至るまで、様々な場面における間の重要性が、具体例を挙げながら説明されていく。もちろん、大学教授が書く新書のように建設的な論理が展開されていくタイプの本ではないが、やはり個々のエピソードのチョイスと切り口の面白さは流石で、新書というよりは喋りとしての面白さがある。

本書では大小硬軟あらゆる場面における「“間”についての話」が語られるが、中でも最も印象的だったのは、「その人の“間”がいいか悪いかというのは、どの時代に生まれたかに尽きるんじゃないか」という、最も大きな時間的スケールで“間”というものを捉えた、元も子もない一文である。

長嶋茂雄王貞治も、石原裕次郎美空ひばりも、そして本人ビートたけしも、「時代が生み出した」という側面はたしかにあるだろう。しかし当たり前だが、そんなことを言っても仕方がない。それでも言わなきゃ済まされない根本的なことから逃げずに、むしろ思い切って言ってしまうその勇気こそが、ビートたけしの真骨頂である。なにしろ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ってブレイクした人である(もちろんネタ中のフレーズだが)。

そしてたけしは、そんな絶望的な、どうにもならない時代という怪物を相手に戦うために必要なものは「結果論」だと主張し、「方法論なんてない。すべては結果論の世界なんだ」と言い切ってみせる。それはどう考えたって何の解決にもなっていないように響くが、いくつもの勝利を手にしてきたビートたけしという人物が、ここまでの「厭世観」をその根底に持っているという事実は、なぜかしら読み手の中にほのかな希望の欠片のようなものをそっと残してくれる。だから最終章に待っている「我々の人生というのは、生きて死ぬまでの“間”でしかない」という極度に厭世的なフレーズは、残酷でありながらもそこはかとなく優しい一節であると思う。

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