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書評『モレルの発明』/アドルフォ・ビオイ=カサーレス

モレルの発明 (フィクションの楽しみ)

モレルの発明 (フィクションの楽しみ)

ガルシア=マルケスボルヘスとともに南米文学を代表するカサーレスの代表作、らしい。「カサーレス」=「傘レス」=「傘がない」=「井上陽水」? いきなりどうでもいい連想だが感触的にはそんなに遠くもない。最後まで読み終えるとそんな気もするカサーレス

個人的には、マルケスには衝撃を受けた作品が多く、ボルヘスにも好きな短編がいくつかある(ピンと来ないものも少なくない)。しかし彼らと並び称されるカサーレスとなると、何を期待したらいいのかいまいちわからず、しばし入口付近で二の足を踏んでいた。

マルケスには「マジック・リアリズム」と呼ばれるぶっ飛んだ発想があるし、ボルヘスにもやや理屈っぽいがパズルのように組み立てられた奇想が期待できる。そうなるとやはり南米文学には何らかの「奇」を期待してしまうのだが、なんとなくカサーレスには、二人に比べると地に足のついた、悪く言えば地味な印象を持っていた。

いざ読んでみると、その印象は半分は当たり、半分は外れていた。分量的には当たり外れ五分五分だが、手応え的には外れた感触のほうが圧倒的に大きい。つまり全体としては予想外の衝撃があった。

本書にはまず冒頭に、ボルヘスによる序文がついている。この序文というやつが単なる序文ではなく、読者の小説観を揺さぶり、大胆に問題提起を試みる実に興味深い序文となっている。

そこでボルヘスは、スティーヴンソンが提唱する「イギリスの読者は、波乱に富んだ冒険やどんでん返しを軽視しており、筋のない小説、あるいは筋がほとんど目立たない小説を作ることこそ作家の力量の証明と考えている」という言説を持ち出し、「心理小説」vs「冒険小説」という対立構造を打ち立てる。

これはつまり、純文学においてひとつのテーマとなっている、「『文体』と『物語』のどっちが重要か論」であり、ここでボルヘスは、明確に後者(物語)擁護の姿勢を表明する。ボルヘスカフカを評する際に、心理描写よりもプロットを重要視するがゆえに、彼の長編小説よりも短編小説を高く評価したことを考えると、そのスタンスには一貫性がある。

個人的には、カフカの魅力についてはほとんど真逆の印象を持っている(プロットよりも文体に面白さを感じる)が、そんな物語重視のボルヘスが、「完璧な小説」と最大限の賛辞を贈る序文からこの小説は始まる。いやはやハードル上がりまくりである。

満を持して本編へ入ると、たしかに「終身刑を言い渡された人間が、絶海の孤島へたどり着く」という序盤の設定からして、いかにも冒険小説的であり物語展開への期待はふくらむ。

しかしいざ読み進めてみると、どういうわけかいまいち盛り上がりに欠けるのである。それは物語前半において、主人公が孤島で日常観察程度のことしかせず、たいした事件がほとんど起こらないからで、設定から約束されるであろう「警察に追われる展開」や「孤島でのサバイバル生活」がろくに描かれないからだ。

通常であれば、物語というのはそういったお約束を踏まえたうえで展開させるものである。お約束をやらないということは、むしろボルヘス言うところの、プロット重視の「冒険小説」ではなく、文体重視の「心理小説」の側に立つということになる。

しかし困ったことに、この小説は特に文体が面白い小説という感じでもないのである。前半はただ単に目の前の状況が淡々と描かれ、さほど深い心理描写も見られない。僕は正直、全体の三分の一を経過したあたりで、続きを読むべきかどうかしばし迷った。

そもそも前半において、題名にある「モレル」という人物は主役でもなんでもなく単なる端役レベルであり、同じく題名で謳われている「発明」も何ひとつ出てこないのである。そうなればこれはいったい何を読まされているのか? 読み手としてのモチベーションはすでに瀕死であった。

だがそこで読むのをやめなかったのは、そんな平板な前半部分の中にも、何かしら不穏な空気が漂い続けていたからかもしれない。意図的なものか誤訳なのかもわからない不可解な文章もいくつかあり、その違和感が後半を読ませる牽引力になっていた、と読み終えた今ならそう思う。

そして中盤、衝撃の事実が明らかになり、物語は急展開を見せる。そうなると前半の平板さが、全体の謎を解くための壮大な「フリ」であったことに気づき、途中で読むのをやめようとした自分に愕然とする。「してやられた感」が半端ない。

ボルヘスが「完璧な小説」と評したのは、こういうことだったのか、と。意地悪なまでに序文でハードルを上げたボルヘスは、それでもまだ越えているという確信があったからこそ、そんな大胆な表現をためらわなかったのか、と。

こうなると、あれほど退屈に感じられた前半も発見の連続になるはずなので、もう一度読み直そうと思っている。デヴィッド・リンチの映画『マルホランド・ドライブ』もまさにそういう再発見の楽しみを教えてくれた作品であったが、本作もまた繰り返し鑑賞を誘発する強靭な作品である。

題名の件に関しても、最終的には『モレルの発明』で完全に納得させられる。誤訳が疑われた文章にも、何かしらの意図が隠されていたと気づく。これはとても「気づき」の多い小説であり、たしかに「物語」や「展開」の可能性を強く感じさせる、信じたくなる作品である。

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