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短篇小説「坂道の果て」

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 大学受験当日の朝、満員電車から予定通りスムーズに脱出した嶋次郎は、受験会場である志望校へと続く坂道を歩いていた。右へ左へうねりながら延々と続くその登り坂は、まるでこの一年間の道のりのようだなと思いながら。

 だが嶋次郎がこの道を辿るのは初めてではない。それは彼が浪人しているという意味ではなく、彼は何度もこの道を実際に通ったことがあるということだ。

 嶋次郎は予行演習と称して、受験前に何度も志望校への道をその足で確認していた。もちろん当日と同じ時間帯の同じ電車に乗り、同じ道のりを歩いて。それが勉強をサボるちょうどいい理由になっていたことも否めないが、そこは「息抜き」と心の中で都合よく言い換えてみたりして。

 受験へと向かう嶋次郎の足取りの確かさは、間違いなくそれら数多の予行演習によって支えられていた。道すがら、今さらスマホで地図を確認している受験生を見つけるたび、嶋次郎は勝利への確信を深めるのだった。おいそこのキミ、テスト中にスマホで解答を調べることなどできないのだぞ、とでも言ってやりたい気持ちをグッと抑えて。

 予定通り駅から十五分ほど歩いたところで、嶋次郎はいよいよ緊張感が高まってくるのを感じた。いよいよこの一年間の、いやこれまで送ってきた人生十八年間の、総決算とも言うべき一大決戦がはじまるのだ。

 視線の先に、いよいよ坂道の終わりが見えてくる。つまりそこが山の頂であり受験勉強のゴールであるということだ。数十メートル先に大きな入場門があり、そこから長い行列が伸びている。嶋次郎はその最後尾についた。もちろん混雑を見越してかなり早めに家を出ているから、時間にはまだまだ余裕がある。

 十分ほど待たされたのち、いよいよ門前まで辿りついたところで、嶋次郎は門番たる係員に声を掛けられる。嶋次郎がすぐさまポケットから取り出した受験票を見せると、係員は静かに首を横に振り、脇にあるもうひとつ別の列へと並ぶよう促される。見るからに反論の余地はなく、嶋次郎はそちらの列へと並び直す。

 その行列でさらに五分ほど待つとポツポツ穴の開いた受付窓口が現れ、あなたが大人であるのか学生であるのか子供であるのか、そして何人で来ているのかと窓越しに女性スタッフから問いかけられる。嶋次郎が素直に自分が学生であり一人で来ていることを伝えると、「六百円です」と言われたので千円札を渡して釣りとチケットを受け取った。

 受験料ならばすでに支払っているはずだし、受験料にしては安すぎると嶋次郎は思った。受験票だってちゃんと家から持って来ているのに、新たにチケットも渡された。

 嶋次郎は再び最初の列に並び直し、いま一度門にいる先ほどの係員に入手したばかりのチケットを見せると、今度はすんなりと中に入れてもらうことができた。

 場内へ入ると思いのほか緊張感はなく、予想外にリラックスしたムードが漂っていた。ついでに獣たちの臭いも漂っていた。

 さて、いざ中に入ったはいいが、では何から見るべきだろうか。やはりレアなパンダは是非とも見たいところだが、パンダの周囲には人だかりができていて、なかなか見られそうにない。かといって猿やキリンはありきたりだから、強そうな虎あたりから見てみようか。そして夕方になって人が減ってきたあたりで、パンダの様子を見に来よう。うん、それがいい。

 嶋次郎が動物園を誰よりも満喫して帰ったことは、言うまでもない。

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