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短篇小説「土下男」

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 土下男はすぐに土下座ばかりするから土下男と呼ばれている。名前はまだない。なんてことはないが誰も彼を本名で呼んだりはしない。彼が死んだら、間違いなくその戒名には土下男の三文字が含まれるだろう。だが土の下に埋められるにはまだ早いと言っておく。

 土下男は学生時代から土下座ばかりしていた。宿題を忘れても遅刻をしても買い食いをしても土下座一発で許された。

 しかし人はどんな奇抜な動きにも見慣れるものだ。飽きられるにつれて、その効力は着実に弱まっていくことになっている。ならばこちらも強度を上げねばならない。そのためにはどうしたら良いか。土下男はまず、地面に頭をつけている時間を増やすことを考えた。

 不祥事を起こした有名人が、釈放時にマスコミ一同の前で頭を下げる。いつからかその時間の長さこそが、イコール誠意と捉えられるようになった。前のあいつは三〇秒だったのに、今日のこいつはたったの一五秒で頭を上げやがった。そう批判されるのがわかってくると、その時間はどんどん長くなってゆく。前の人間よりも短くするという選択肢はすでにない。

 土下男の場合も、当然ながら同じようなことが起こった。とはいっても、彼の場合は比較対象となる前例すら以前の自分自身なわけなのだが。地に頭をつける時間は数十秒から一分、二分、一〇分、三〇分と、順調に長引いていった。土下座のインフレーションである。

 しかし伏せっている時間が三〇分ともなると、もはやそれを土下座と見なして良いものか誰もわからなくなっていた。ひょっとしてこいつは頭を支えにして、ただ休んでいるだけなのかもしれない。それどころか下から見たら、目をつぶってグースカ寝てやがるのではないか。

 やがてこの問題は学級会で議題に挙がり、さしあたって〈三分間以上の土下座は禁止〉という校則が制定された。

 その時間設定の基準はまったくもって不明だが、それを言ったら青信号が点灯している長さの基準はなんなのかと問われて、果たして答えられる者がいるのかどうか。とりあえずカップ麺が出来あがるまでのあいだくらいならなんとなく見ていられる、というのが大方の説である。

 さすがの土下男も、校則で禁止されてしまっては仕方ない。だがここでくじけたりせず、即座に次善の策を繰り出してくるのが土下男が土下男たる所以だ。彼は発想を一八〇度転換させ、逆に時短というアイデアにたどり着いた。といっても土下座している時間をではない。土下座に入るまでの時間を極限まで短くするのである。

《鉄は熱いうちに打て》というように、謝罪も早ければ早いほど良いに違いない。たまたま都合の良い格言に思い当たったことで、彼の憶測はいとも簡単に確信へと変わった。格言とは時に罪深いものだ。

 何か問題を起こしてしまった際に、その問題発生のタイミングから、いかに短時間で土下座のフォームに入ることができるか。土下男はそのスピードを追求するためだけに、ストップウォッチを購入して野球部に入った。土下座への入りを高速化するためには、ヘッドスライディングこそがベストなトレーニングだと考えたのである。もちろんルールなど知ったこっちゃない。

 そしてある日、授業に遅刻した土下男は教室前方のドアを開けるやいなや、教師のいる教卓目がけて頭から教室へ飛び込んできた。教室に足を踏み入れた瞬間に遅刻が成立すると考えるならば、ここへ来て問題発生のタイミングと土下座に入るタイミングは完全に一致し、タイムラグ皆無の、史上最速の土下座が完成したと言っていい。言っていいが、もちろん言わなくてもいいし言う必要もない。

 しかしただひたすらに速さを追求するというのも、若さゆえのこと。今やすっかり落ち着いた中堅営業マンとなった土下男は、あちこちの取引先へ赴いては、ゆったりとした土下座を披露する落ち着いた毎日を送っている。

 たまの休日には近所の裏山に登り、その頂上に生えている大木の根元を支える土に、ゆっくりと頭をつけて土下座を楽しんでいる。裏山に校則も何もないのだから、ここでなら何十分でも何時間でも土下座したままの姿勢でいることができる。その額は徐々に接している土壌に取り込まれてゆき、土下男はそのまま土下木へと生まれ変わるのだった。

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