泣きながら一気に書きました

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純眠欲

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本が好きだが本を読むと眠くなってしまう。

本をあまり読まない人は、本を読むと眠くなるのは本がたいして好きじゃないからだと思っているかもしれないが、そんなことはまったくない。本には自らのことを愛する者をも眠らせる圧倒的な力がある。となるとこれはもう、催眠術に分類したほうが良いのかもしれない。

よく寝る前に、数学や哲学などの難解な本を読むと眠れるという人がいる。内容がわかりにくかったり退屈であったりすると、脳が疲労して眠れるという理屈らしい。

しかし僕の場合、これも全然関係ない。どんなにわかりやすかろうが面白かろうが、読んでいると必ず眠くなる。そもそも、わざわざ意図的に疲れさせるほど脳が疲れていないのならば、まだ寝なくても良いのではないか。

考えてみれば本に限らず映画でもそうなのだが、映画館には「暗くなる」という明確に眠りを誘う(誘ってない)仕掛けがある。

それに対し、こちらは眼球が焼けるほど日当たりの良いカフェで本を読んでいても眠くなるのだから、これはより純度の高い、混じりっけのない「眠さ」であると言うことができる。ちなみに映画の場合であっても、面白くても眠くなることに変わりはない。ここは徹底している。

人と話していて眠くなることもあるし、デスメタルのライブを立って見ていて寝落ちしたこともある。電車の中では立っていようと座っていようともちろん眠いに決まってる。

よくよく考えてみると、眠くない時間帯のほうが少ないのかもしれない。少なくとも、「まったく眠くもなんともない」「いまベッドの上に横たえられても絶対に寝ない自信がある」という完全無欠な状態は、滅多に味わったことがないような気がしてくる。

こうなるともはや夢遊病というか、むしろ寝てる状態のほうがメインの世界で、起きていま見えているほうがサブストーリーというか夢ということになるのかもしれない。夢がリアルでリアルが夢で。RPGでメインスクエストが全然進んでいないのに、途中に現れたどうでもいい釣りやすごろくのミニゲームを延々やっているような人生……。

結局何が言いたいかというと、一対一で話しているときに僕が眠そうな顔をしていたとしても、それは相手の話がつまらないからではなくて、内容とは無関係に単に眠いだけの人なんだという厳然たる事実だけである。あくびを噛み殺した表情を見抜かないでもらいたい。

つまり「面白さ」や「つまらなさ」の尺度に、場違いな「眠気」という単位を持ち出すのはアンフェアであるということだ。

今日よりこの「純粋な眠さ」を「純眠欲」と名づけ、「純愛」「純文学」「高田純次」などと同じく、以後高尚なものとして取り扱ってもらえたらこれ幸いである。あるいは高田純次のように、瞼の上に目を描けばいいのか。


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