泣きながら一気に書きました

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「合点承知之助」を無闇にアップデートした結果

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メールの返事などでよく使用する「了解しました」というフレーズ。しかし最近では、「『了解』という言葉は、目上の人に対しては失礼にあたる」という説もあって、代わりに「承知しました」という表現を使うことも少なくないが、これがどうもしっくり来ない。

「承知」という字面は「了解」に比べると、なんだか「解った感」が圧倒的に弱いのである。やはり文字通り「知る」と「解る」では、理解のレベルが何段階も違う。

「承知」というだけでは、「知ってはいるけど解ってはいない」という浅い感じ、つまり、「いちおう聞くだけ聞いたからOKだけど、そんなにちゃんと解ったうえで賛成してるわけじゃないからね」という感じが暗に伝わってしまっているような気がするのである。

その「解った感」を補うかのように、古来日本には「合点承知之助」という秀逸な言いまわしが存在する。「合点」も「承知」も意味は同じようなものだが、やはり「合点」のほうが圧倒的に「解った感」の強い確かな響きを持っている。その「合点」が「承知」を補強するような形で、「解った感」を強化する作戦。

そしてなぜか語尾に「之助」をつけることで、フレーズ全体が擬人化されている。名前っぽくすることで人間的な温かみが出て、「合点承知」という同意語を二つ重ねた強固な結びつきがやや緩和され、キャッチーに感じられるような気がしないでもない。

だがこのフレーズ、いかんせん響きが古すぎて使いづらいのも事実。ならばその「合点承知之助」から、「『承知』の解った感を強化する」「それを人名っぽくして和らげる」という二大要素を受け継いで、今様の新たな承知フレーズを考えてみたい。

そう考えたとき、真っ先に思いついたのがなぜかこれだったのである。


「承知之照英」


個人的には特に照英のファンでもなければ、肝心の「解った感」を補強するはずの「合点」的な文字も見当たらない。全体を擬人化するというよりは、単に人の名前を後ろにくっつけただけの代物である。

なのにこの響きの「しっくり感」はなんなのか。僕は一度この言葉を思いついて以降、「承知」という言葉を見かけるたび、その横に手持ち無沙汰で(しかし頼もしい笑顔で)つっ立っている照英の姿を毎度思い浮かべることになった。

意味的にも、照英という存在は「強さ」の象徴であり、「強調の形容詞」と考えても良いのではないか。つまり「承知之照英」とは、「もの凄く承知した」という意味であり、これはもう二つ返事どころか、三つ四つ返事レベルの「前のめりな合点承知了解」を意味すると考えられる。

本当に解っているかどうかは別にして、とにかく前向きな(というか押しつけがましいくらいの)「解った感」が感じられるし、照英はいつもにこやかだから、「人名っぽくすることで雰囲気を和らげる」ことにも間違いなく成功している。

実はこの手の「承知擬人化」フレーズを、立て続けに並べて面白がってやろうと思っていたのだが、この「承知之照英」が自分の中でしっくり来すぎたせいで、他に思いついたフレーズはどれもこれも陳腐に感じられるという状態に陥ってしまった。

そんな中でかろうじて使えそうなのは、「承知之ショーンK」くらいのものである。この場合の「承知」は無論「詐称」であり、承知した事実は後に丸ごと「無に帰す」ことになるのは言うまでもない。

となるとやはり、100%信用して使えるのは「承知之照英」だけだ。今後は当フレーズにより、こちらの「解った感」と「照英感」を強く打ち出していきたい所存である。後者は「まったくの不要」としか言い様がないのだが。

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