泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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史上最弱の理由

寒い夜が続いている。冬なので当たり前だが毎年のように「こんなはずじゃなかった」と思う。夏の暑さにも思う。そして今や夏があんなに暑かったことが、すっかり信じられなくなっている。「あんなに」と言ってはみたものの、実は「どんなに」だったかさっぱり覚えていない。ひょっとしたら全然暑くなかったんじゃないかとすら思う。季節というのは、どうやら忘れるためにある。

寒い夜には「寒い夜だから…」というTRFの曲を思い出す。「だから」とついているので、「寒い夜」というのはれっきとした「理由」である。なんの理由だかわからないが、もしかすると森羅万象すべての理由なのかもしれない。それにしてもなんという大雑把な理由だろうか。

「寒い夜だから、僕とつき合ってください!」

どう考えても断られるに決まっている。そんな理由なら言わないほうが明らかに得策である。「寒い夜だから、餃子を半額にしてください」「寒い夜だから、不合格だけど合格にしてください」「寒い夜だから、ボブスレーやったことないけど金メダルください」「寒い夜だから、5000万円貸してください」――最後のは都知事なら可能かもしれないが、やはり「寒い夜だから」という理由は、とてもわれわれ一般人に使いこなせる代物ではない。

似たような響きを持つ言葉に、相田みつをの「人間だもの」がある。「だから」ではなく「だもの」と拗ねてみせるところに、自虐と開き直りゆえの可愛気が見え隠れするが、これもやはり都合のいい理由として使われがちなフレーズではある。

しかしそんなわがままフレーズでさえも、「寒い夜だから」の傲慢さには遠く及ばない。「寒い夜だから」を用いた上記の例文を「人間だもの」で言い換えるならば、「不合格だっていいじゃない。人間だもの」「ボブスレーで金メダル獲れなくたっていいんだよ。人間だもの」となり、そこには、実現不可能な結果までは要求しない寸止めの謙虚さが見える。

つまり「寒い夜だから」という言葉が「失敗確実なものを成功に変えろ」という無茶な要求を突きつけてくるのに対して、「人間だもの」は「失敗を許せ」と主張するに留まっており、本人が失敗を失敗として間違いなく受け入れてはいるのである。それはむしろ「失敗を受け入れるための言葉」として機能している。

では「寒い夜だから」という言葉は、何をどうしようと救いようのない程に薄汚れたフレーズなのだろうか。そうとは限らない。言葉というものは、それをなんのひねりもなく真っ正直に使うことで、すべての臭み/嫌味を消し去ることがある。

「寒い夜だから、暖房をつけよう」

あれだけ分不相応で傲慢だったはずの「寒い夜だから」というフレーズが、恐ろしく短絡的な言葉と結びつくことによって、1ミリも行間のない安全安心なメッセージに変貌を遂げる。

つまりこれが、「寒い夜だから」の一番正しい使い方である。

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