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短篇小説「つまらな先生」

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 つまらな先生はすなわちつまらないからつまらな先生と呼ばれているのであり、もしも一片でも彼に面白味のようなものがあったなら、そう呼ばれてはいないだろう。

 つまらな先生の授業は、やはり滅法つまらない。しかし彼は自分の授業がつまらないのではなく、彼の授業をつまらないと感じる受け手のその心こそがつまらないのだぞと、居眠り三昧の生徒らの寝耳へ念仏の如く唱え続けた。

 だが生徒らにとっては、このありがちな物言いこそが何よりもつまらないのだった。いやつまらないだけでなく、このつまらな先生によるおめでたい自己認識は致命的に間違ってさえもいた。生徒たちはつまらな先生の授業だけをつまらないと感じていたのではなく、つまらな先生自身を丸ごとつまらないと感じていたのであるから。

 つまらな先生は遅刻してきた生徒に対し、「ラーマか? ブラウンか? ウィッキーか?」と必ずつまらない三択をつきつける。つまらな先生の学生時代によく使われていた、お決まりの三大遅刻理由である。むろん現代の生徒には、広島カープに入ってきた助っ人外国人の名前を羅列されているのと変わらない。

 つまらな先生は、「家に帰るまでが遠足です」という教師の常套句を気に入りすぎている。彼はなぜかこの文体を万能だと思い込んでおり、適当に単語を代入しては「食べ終わるまでが給食です」「卒業するまでが学生です」「死ぬまでが人生です」などと、大きく振りかぶったわりにごく当たり前のつまらないことを言い、それを聴かされた生徒の脳内に「そりゃそうでしょうね」という空っぽな同意を確実に浮かばせる名手であった。

 つまらな先生は休み時間のドッジボールに無断で参戦してくるが、誰よりも大声で「ヘイパス! ヘイパス!」とボールを要求するくせに、いざボールが来ると必ずポロリして最初に死ぬ。そしてしぶしぶ外野へと歩きながら、「でも本当に死ぬわけじゃないからな」とまたつまらないことを言うまでが彼にとってのドッジボールなのである。

 つまらな先生は板書の際、力みすぎてついチョークを折りがちである。そんなときは折れて吹き飛んだチョークの破片に向かい、両手を合わせて「アーメン」とつぶやく小ボケを必ずやるが、仏教の所作とキリスト教の文言を掛けあわせるという彼なりのハイブリッド感覚は、生徒たちからは単に面倒くさくてつまらないとしか思われていない。

 とはいえつまらな先生であっても、生徒らとの別れは哀しい。教え子たちを卒業生として送り出す際には、クラスのひとりひとりに通知表を渡しつつ、もっともらしく贈る言葉をかけるのが恒例となっている。だが三人目あたりですでにネタが尽き、四人目以降はほぼ「がんばれ!」としか言っていない以下同文となり、つまらな先生はやはり最後までしっかりつまらない。

 そんなつまらな先生に、「あなたにとって『先生』とはなんですか?」と『情熱大陸』のラストシーンのような根源的質問を投げかけてみた。いったん目をつぶるなどして充分な間を取ったつまらな先生は、ありもしない中空のカメラにじっとりとカメラ目線を送りつつ、「人生そのものですね」と渾身のドヤ顔で答えたのであった。

 徹頭徹尾安定してつまらない、さすがつまらな先生と言うほかない。


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耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

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