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短篇小説「マウント屋」

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 仕事で大きなプロジェクトを成し遂げた翌日、私は必ずマウント屋へ行くことにしている。今日の私があるのは、すべてマウント屋のおかげだと思っている。

 今夜も私は、任務達成の悦びと抜けきらない疲れに酔いしれた身体を引っさげて、会社帰りにマウント屋を訪れる。せっかくだから、今日は新規開拓をしてみよう。そう思った私は、会社近くにある以前から気になっていた店を訪れることにした。

 手書きで粗雑に「冒焚里」と店名らしき文字が書き殴られた木の扉を開けると、マスターの声が私を出迎えてくれる。客は私ひとりのようだ。

「いらっしゃいませ~、お前みたいなもんが」

 この上から目線の第一声こそ、マウント屋の真骨頂である。カウンター奥の壁には、公認マウント師の証明書が額装されている。マスターの名前は、峠山というらしい。私はビールとつまみを頼むと、さっそくマスターのマウントをいただきに出る。

「実は昨日、前代未聞のビッグプロジェクトをようやく終えたところでね。正直、三日寝てないんですよ」

 自らの手柄をやや誇張するのは、マウント屋における基本的なマナーである。本当はわりとありがちなそこそこの業務であり、徹夜など一日たりともしていない。しかしどんな一撃が来ようと、マウント師は即座に応答する。

「いや俺も三…いや四日は寝てないかな。まあ前代未聞っていうか、いま国家規模のカクテルを研究してるところでね」

 さすがは公認マウント師、実に鮮やかなマウンティングである。私はもっともっとマウントが欲しくなって、さらに言葉を投げる。

「やっぱり三日も寝てないと、腰に来ますよね。いや今回は腰と膝に同時に来ちゃって。もう家ではハイハイで赤ちゃん状態ですよ」

 私がそう言い終えたころには、すでに二本の杖を両手にかざしたマスターが目の前にいた。

「俺なんかこのとおり。四…いや一週間だったかな、とにかくそんなにも寝てないもんだから、首、肩、腰、膝、足首、肛門まで来ちゃって、もうすっかりセンターライン全滅。杖二本でもってかろうじて支えてる状態よ」

 気持ちの良いマウントをいただいて、今日は酒が進む。私は二杯目を注文して、少し話題を変えた。

「そういえばウチのバカ息子、こないだのセンター試験で満点取ったみたいで。まあ、たまたま鉛筆の転がりが良かっただけのまぐれ当たりでしょうけどねぇ」

 本当は私の息子に満点など取れるはずもない。それ以前に、私に息子などいない。ちなみに妻もいない。

「奇遇だね。俺んとこの五つ子も今年受験なんだけど、全員もうハーバードに受かったよ。みんな違う学部だけどな」

 マスターに比べて、私はなんと小さな世界に生きていることだろう。私はその後もマスターとの会話を楽しみつつ、しこたま酒を飲んだ。マウント師と話していると、ちっぽけな仕事の成功に驕り高ぶった私は、本来の謙虚さを取り戻すことができる。マウント屋は私を初心に戻し、再起動させてくれる貴重な場所なのだ。

 やがてマスターのマウンティングを充分に満喫した私は、すっかり酔いが回った千鳥足で会計を願い出た。するとマスターが言った。

「はい、百万円!」

 やはりここも大きく出てきたか、とその提示額に満足しつつ、私は二万円を差し出し「釣りはいらないよ」と言い放った。百円を百万円と誇張する大坂商人の要領で、マスターは本来一万円であるものを百万円とユーモラスに表現してみせたと解釈したうえで、その倍額を支払うという粋な「マウント返し」をおこなったのである。

 しかし二枚の一万円札を受け取ったマスターは、先ほどよりもはるかに語調を強めて言うのだった。

「はい、あと九十八万円!」

 カウンター奥の扉から、四~五人の屈強な男たちが現れた。私が訪れたのは、マウント屋ではなかったのかもしれない。


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