泣きながら一気に書きました

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餃子を相殺する方法

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「相殺」という画期的なシステムを、生活に取り入れてみることにした。

ことの起こりはこうだ。近所に、以前から入ってみたいと思っていた餃子屋があった。しかしひとりで入って餃子とライスだけ食って出てくるのは、なんとなく申し訳がない。どうやら世の中的には、「餃子にはビール」ということになっているようだからである。ちゃんと見ていないが、なんとなくみんなビール片手に餃子を食しているように見える。ちゃんと見ていないのだが。

僕は酒が飲めないから、ビールはどちらかというと敵である。飲むと気分が悪くなるものが敵でないはずがない。他人が飲むぶんには構わない。ちなみに麦酒でなく麦茶ならば味方だ。麦に罪はない。パンとか毎朝食うし。

そんなことはどうでもいい。ついに僕は「餃子屋でビールを頼まない」という強い覚悟を持って、ひとり餃子屋に入店した。ふたりで来て、片方がビールを飲まないという状態は自然であるように思う。しかしひとりで来た客が、ビールを頼まないというのがどれほどのものか。見極めてやろうじゃないか。

勧められた席に着席すると、メニューを見る前に「餃子何皿いきますか?」と店員に訪ねられいきなり焦った。そうだここは餃子屋なのだった。客がメニューを見なくとも、餃子を頼むに決まっていると店員は踏んでいるのだ。そして餃子屋を名乗っているからには、彼には当然そう決めつける権利がある。

僕はとっさに「あ、じゃあ一皿で」と答えた。「じゃあ」と受け身な言葉を放った時点ですでに負けなような気もするが、ならばとこちらも攻めに転じて「ライスもお願いします」と即座に切り返した。そして店員は待った。ふた呼吸くらい待った。その二吸い&二吐きは当然、「あとビールも」と来ると待ち受けている「間(ま)」である。

しかし僕はそこで注文を打ち切った。なぜならば僕はビールが飲めないうえに、ここはビール屋ではないからである。当然の権利を行使したというほかない。すると店員はいったん厨房に餃子一皿とライスの注文を伝えてから、思い出したように戻ってきて「あ、水でいいですか?」と訊いてきた。親切な店員である。僕は「はい」と答えた。すぐに水が来た。大ジョッキで。

完全にビールの想定じゃないか。「側」だけビール。こんなに大量の水、飲めるはずがない。そこに某かのメッセージを感じつつ、僕は餃子を待った。しばし待ったところで、餃子が来てライスが来た。その横には水のたらふく入った大ジョッキが鎮座している。

この店の餃子は、肉汁餃子と書いてあるから滲み出す肉汁が売りらしい。もちろん気をつけてはいた。だからひと口ではいかなかった。

だが半口で噛み切ったその裂け目から、親の仇敵のように大量の肉汁が口腔内へと流入してきた。美味かった。しかし熱かった。そのマグマに口内を蹂躙された。案、そして定、つまり案の定である。秀吉による備中高松城水攻めを思い出した。どこであれ液体は逃げ場を奪う。

幸い口内の火傷被害はたいしたものではなかったが、勘定を済ませ家に帰る途中、僕はこの餃子に対する恐怖をなんらかの形で払拭しておく必要があると思い立った。次にまた餃子を美味しくかつ安全に食するために。

あるイメージを払拭するためには、正反対のイメージで上書きすれば良い。そう、つまり「相殺」という手法である。僕は家に着くとそそくさと冷蔵庫に向かい、冷凍庫から買い置きしてあった冷凍餃子を取り出すと、それをしばし眺めたうえでスマホで撮影。それら一連の行為により、灼熱餃子のイメージを冷凍餃子で冷却し「相殺」することに成功した。

おかげで、餃子の安全性が脳内で再認識されたような気がする。ただしそのせいで、「灼熱」と「冷凍」のちょうど中間地点にある「常温」あたりの位置で餃子のイメージが定着してしまい、常温の餃子はあまり美味くないような気がした。となると餃子のイメージを若干レンジでチンする必要があるかもしれないと思い、レンジの蓋を開けそこへ頭を突っ込もうかと考えているところ。


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