泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「河童の一日 其ノ十二」

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河童にだってお洒落は必要だ。でもお洒落にはリスクがつきもので。

学校から帰ると、茨城から流れて来た爺ちゃんが居間で甲羅を磨いていた。人間だと乾布摩擦というのかもしれないが、フォームは同じでもやっていることの意味は全然違う。ボーリングとスカートめくりくらい違う。いやそこまでは違わないかもしれないが違うことは違う。

激しく磨かれることにより艶めいた甲羅は、同族から見てもちょっと気色悪い。背後に回された爺ちゃんの腕が止まった。

「で、お前、ホワイトデーどうすんだ?」

甲羅越しに振り向いて僕を見るなり、爺ちゃんはノーモーションでいきなりそう訊いてきた。気が早いというか年甲斐もないというか、絶対に池上彰に褒められないタイプの愚問に違いない。しかし2月が終わる瞬間にホワイトデーのことを考えているとは、爺ちゃん、案外プレイボーイなのかもしれない。

「どうするも何も、もらってない物は返しようがないじゃん」

お察しのとおり、僕のバレンタインデーは今年も不作だった。てゆうか生まれてこのかた不作も不作、不破万作なわけで、そうなるとさすがに運や気候のせいにするわけにもいかず、そもそも自分自身が単なる不毛の地であることを認めざるを得ない段階。

なのに爺ちゃんはもらうのが当たり前、のようなスタンスでずけずけと成果を訊いてくる。逆にどうやったらモテるのか訊きたいくらいだよ、と僕が拗ねてみせると、爺ちゃんはあっさりとそれを打ち返した。

「そりゃお前、ジャケット着りゃあ一発よ」

そういえば爺ちゃんのジャケット姿を、小学校の入学式のときに見たことがあるのを思い出した。爺ちゃんは爺ちゃんなので、そのときは格好いいとも格好悪いとも思わなかった。しかし河童の勝負服もまた、多くの人間と同じくやはりジャケットであるらしい。

僕ら河童の甲羅が着脱式に出来ているのは、つまりたまにはジャケットに着替えろということなのかもしれない。なんだか急にそんな気がしてきた。いつもはスポーツ用品店で甲羅を購入したり調整してもらったりしているけど、スポーツ用品店で私服を買う男などモテるはずがない。やはり服は服屋で買わなくてはならないのだ。甲羅が服だとすればだが。

そんなことをぐるぐる考えているうちに、爺ちゃんは僕の腕を引っ張って強引に外へと連れ出した。何やら夕飯前にジャケットを買ってやると息巻いている。

電車より遥かに近道(道ではないが)である川を泳いで近所の百貨店に着くと、爺ちゃんは僕を連れて店内を歩き回った。いきなり目的となるショップへ直行せずしばらく徘徊するのには、濡れた体を乾かすという河童的な事情もあって。だがもちろん、乾ききったら死んでしまうんだけど。

それにしても驚いたのは、あちこちのブランド店員が、爺ちゃんを見かけると向こうから慇懃にいちいち挨拶をしてくることだった。爺ちゃんの存在は前から謎だが、茨城に住んでいる爺ちゃんが、しかもそれ以前に僕と同じく河童であるところの爺ちゃんが、東京の百貨店でブイブイ言わしている、なんてことが一体あるものだろうか。しかし実際に声をかけられまくっているのは事実であるわけで。

爺ちゃんは店員の挨拶は受けるものの、それらの店には一切足を踏み入れず、やはり明らかに目的地としているお気に入りのブランドがあるようだった。やがて挨拶攻勢をかいくぐった爺ちゃんは、ある高級ブランドショップへと足を踏み入れた。イタリアのブランド『ドルチェ&カッパーナ』である。

そこで僕は背中の甲羅をはずし、まだうっすらと川の水に濡れた体に何着ものジャケットを次から次へと試着させられた。そして爺ちゃんは僕に、紺地に白いストライプの入った素敵なジャケットを買ってくれた。

僕はジャケットというものを、というか甲羅以外のトップスを初めて着用したので、それが似合っているのか似合っていないのかはさっぱりわからなかったが、爺ちゃんはすっかりご満悦の様子だった。僕はそのジャケットを着用したまま、甲羅をぶら下げて爺ちゃんと家に帰った。

ちなみに試着時にこっそり見た値札には「12万円」と書いてあって仰天したが、爺ちゃんはレジで明らかに1万円しか払っていなかった。どういう仕組みなのかはわからないが、爺ちゃんはやはり何か凄いのかもしれない。

そしていま僕は布団の中、ネギを尻穴に突っ込まれた状態でぶるぶる震えている。家に帰り着くまでの短時間のうちに、ジャケットと背中の合間からがっつり風邪もしくはインフルエンザウイルスをもらったらしい。天井が歪んで見える。

結果、僕は改めて甲羅という物体の持つ防御力および保温力の高さを、逆説的に思い知らされた次第である。「お洒落は我慢」とはよく言ったものだが、河童にとってその「我慢」とは、命に関わるレベルのものであるような気がする。

一方で、爺ちゃんは僕の高熱を知ったお母さんにこっぴどく叱られ、夕飯抜きで即刻ジャケットを返品に行かされていた。しかし河童が着用してびしょ濡れのジャケットをスムーズに返品処理してもらえるあたり、爺ちゃんはやっぱり只者でも只爺でも只河童でもないのかもしれない。

帰ってきた爺ちゃん、「黄桜」でご機嫌に酔っ払って。


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