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ディスクレビュー『MEAN STREETS』/RIOT V

バンドの創り出す音楽に二面性があることは珍しくもない(特にメイン・ソングライターが複数いる場合)が、ここまで楽曲の方向性がきっちり二分されているアルバムも珍しい。そしてその両面がともに魅力的であるケースは、残念ながら滅多にあるものではない。本作は、まさにその罠に嵌まっているように思われる。

RIOTはその硬派なイメージとは裏腹に、そもそも二面性のあるバンドである。デビュー・アルバムを例に取るならば、タイトル・トラックの「Rock City」に代表される明快なアメリカン・ハード・ロック的ナンバーと、歴史的名曲「Warrior」を筆頭とする哀愁のブリティッシュヘヴィ・メタル的楽曲では、そのメロディの感触がまったく異なると言っていい。

日本では、明らかに強烈な泣き要素を含む後者の方向性でブレイクしたわけだが、初期作品群に関しては、正直なところ前者のロックンロール的な楽曲のほうが分量としては多かった。

そこからヘヴィ・メタル方面に大きく舵を切ったのが『THUNDERSTEEL』というアルバムであり、この作品はその題名からして、確固たる意志をもってメタル方向へ進路を定めたことを感じさせた。多くのファンは、このアルバムをもって彼らの最高傑作と認めていることだろう。個人的にはその次の、ホーンセクションと冗長なSE導入で物議を醸した『THE PRIVILEGE OF POWER』もメタリックで大好きな作品だが、やはり無駄な要素も少なくはなく、完成度という意味では『THUNDERSTEEL』に一歩譲る。

一方でもうひとつの最高傑作としてよく挙げられるのが、3rdアルバムの『FIRE DOWN UNDER』である。こちらはいわば、彼らのアメリカン・ロック方面における代表作であり、中でも「Outlaw」「Swords And Tequila」はいまだにライヴで求められる楽曲だ。

だが個人的には、『FIRE DOWN UNDER』をそこまで傑作だとは思っていない。僕にとってのRIOTは、やはりブルージーハード・ロック・バンドというよりは、クラシカルな様式美を持つヘヴィ・メタル・バンドなのである。

では本作はどうなのか。今回は彼らなりにバンドを客観視した結果であるのか、まさにその二作、つまりメタル方面の代表作『THUNDERSTEEL』と、ロック方面の代表作『FIRE DOWN UNDER』の両者を足したような仕上がりになっている。

――と言えばいかにもすべてのファンを満足させられそうではあるし、これが企画書であれば理想的な売り文句になり得るだろう。だがもっともらしい企画書的なフレーズには、必ず実現不可能な机上の空論が含まれている。

果たしてできあがった本作は、彼らが元来持っているその二つの方向性がひとつの楽曲内で混じりあうことなく、各楽曲がどちらか片方の役割を請け負った状態で、それらがほとんど交互に繰り出される形で並んでいる。

その取ってつけたような不自然さは、いかにも『THUNDERSTEEL』以降の彼らという冒頭の疾走曲「Hail To The Warriors」が生み出した流れを、2曲目の「Feel The Fire」がいきなり正面から食い止めることによっていきなり顕著になる。

そう、実はRIOTが具現化してきたハード・ロックヘヴィ・メタルという二つの方向性は、一作の中でいざ隣りあわせに並べてみると、あまり相性が良くはないのだ。そしてその相性の悪さは主として、彼らのロック系楽曲が持つメロディのフックの弱さに起因している。言ってしまえば、相性以前の問題ということになる。

続く3曲目の「Love Beyond The Grave」も同じくロックンロール系のルーズな楽曲で、よりによってアルバムの鍵を握る冒頭3曲のうちの2曲を、出だしの流れを阻害するようなロックンロール系楽曲に任せてしまっていることには、なぜこんな曲順にしたのかと疑問を感じざるを得ない。

ではいっそのこと、ロック系楽曲をすべて排してメタル系の楽曲のみを並べてしまえば良いのかというと、実はそう簡単な話でもない。彼らの近作に共通して見られる傾向として、「疾走曲がどれも似通っている」というまた別の問題があり、今度はそちらが強調される結果になってしまうからだ。

本来であれば、メタル系楽曲の中にもテンポやメロディのバリエーションが欲しいところであり、それが『THUNDERSTEEL』というアルバムの素晴らしさでもあるわけだが、どうやらいまの彼らは、かなり狭い領域でしか良質な楽曲を生み出すことができないという問題がある。

逆にいえばバンド自身もそれがわかっているからこそ、なんとかバリエーションを確保するために、かつてのロックンロール的要素を引っぱり出してきたのではないか。その気持ちは充分にわかるが、残念ながらそれは楽曲のバリエーションをもたらすというよりは、全体的な質の低下を招いてしまっている。これならば、たとえ同系曲の連続で単調に感じられたとしても、ロックンロール系楽曲をおおかたカットして、タイトにまとめるほうを選んでほしかったかもしれない。

と、ここまで厳しいことばかり書いてきたような気がするが、なにも酷評しようという意図はない。好きなバンドだからこそ、聴いているうちにこうしていろいろと考えさせられる。

それにどれも似通っているとはいえ、ここに収録されているメタル系疾走曲のほとんどには、やはりRIOTにしか出せないメロディが搭載されているのも間違いない。タイトル曲のリフが明らかに名曲「Johnny's Back」であったり、ほかにも焼き直し的な再生産フレーズが少なからず散見されるのが気になりはするが、そうであったとしても。

この先、バンドの二面性を一曲の中で融合させる方法があるのか、あるいは再びメタルという枠内でバリエーションを持たせることができるのか。もちろんロックンロール方面で質を上げるという可能性も皆無なわけではないだろうが、それは彼らの役目ではないと本作を聴いて改めて思った。

たとえば⑧「Open Road」あたりは、ハード・ロックヘヴィ・メタルのちょうど中間あたりの按配で拵えられた楽曲で、ほかの楽曲とは異なる柔らかな魅力を放っているように感じられる。こういった両者の中間領域が開拓可能であるとするならば、それによってバリエーションの問題は解消され得るかもしれない。

ハード・ロックヘヴィ・メタルは、音楽的にセットで扱われることが多く、それどころかまったく同じとみなされることも少なくないくらいだが、実は必ずしも相性が良いとは限らない。ブルーズとクラシック、どちらにメロディの基盤を置いているのかという違いは、やはり小さくはない。そんなことについて、改めて考えさせられる作品である。


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