泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「挟まれたい男」

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 ある朝男はマットレスと掛け布団のあいだ、いわゆる冷静と情熱のあいだに挟まれた状態で目が覚めた。つまり至って標準的な起床であったということになる。ただこの日に限っては、なぜか布団を上から「掛けている」というのではなく、上は布団から、下はマットレスから、均等に「挟まれている」と強く感じたのであった。自らの寝姿勢をそのように感じたのは、この日が初めてのことだった。

 寝所の挟み撃ちから脱出した男は、毎日のルーティーンに従い洗面所で顔を洗うことになるのだが、実はこの際にも、これまで感じたことのない奇妙な感覚を覚えたのであった。「洗顔」という行為は、普通に考えれば「手のひらですくった水道水を顔面にこすりつける」動作として認識される。男も実際、前日まではそのように感じていた。

 だがこの日の洗顔は、男にとってまったく別の新鮮な感覚を伴っていた。いや端から見れば、この日の彼もまた、いつもと同じく「手のひらですくった水道水を顔面にこすりつけ」ているようにしか見えなかっただろう。しかし彼の中でこの日の洗顔は、「顔面と手のひらで水道水を挟んでいる」ように感じられたのである。いやより正確に言うならばそれは、「顔面と手のひらに挟まれている水道水」としての感覚であった。彼は水道水である。

 男は執事から受け取ったタオルで顔を拭い食卓へつくと、朝食の到来を待つあいだしばしテレビを眺めていた。すでに国内の重要なニュースを伝える時間帯は終わっていたようで、世界の珍しいニュース映像を紹介するコーナーに入っていた。画面の中で繰り広げられていたのは、例によって密集したビルの隙間に挟まれた中国の子供が救出されるシーンであった。

 続くスポーツニュースのコーナーでは、プロ野球の最終回ツーアウト一打逆転のチャンスという重要な場面において、ピッチャーの三塁牽制球にあせって飛び出したランナーが三本間に挟まれて試合終了というシーンが放送されていた。

 いずれのニュースにおいても、男は挟まれた中国の子供、そして同じく挟まれた三塁ランナーという当事者目線でそれらの状況を受け止めていた。どちらも見るからに苦しい立場であったが、その日の男には、どういうわけかそんな挟まれた状況が心地好く感じられるような気がするのであった。

 そんな稀有な感覚に男が酔っているうちに、執事のひとりがテーブルに朝食を運んできた。見るからに高級な銀皿の上には、食パンが二枚とハム、レタス、スライストマトが広がっていた。この家では食パンの耳は庭の鳥たちにやることになっているため、食パンの耳はあらかじめ切り落とされてある。

 男は右手で耳なし食パンを二枚いっぺんに掴みとると、突如としてそれで何かを挟みたいという欲求に駆られた。いや正しくは、二枚に挟まれたいという望みであった。

 だが本当に自らをパンで挟み込むのは、サイズ的に無理がありすぎる。男は同じ肌色をしているという共通点を取っかかりに、自らをハムへと感情移入させることに決めた。そう、今から俺はれっきとしたハムだ! ハムとしての俺は、どうしても二枚のパンに挟まれたい! 心の底から湧きあがってくるその思いはまもなく沸点に達し、男はハムとして、空いている方の左手でハムを手に取った。

 そして右手に持っている二枚のパンの隙間に、左手に掴んだハムを思いきり放り込んだのであった。するとハムを投入したにもかかわらず、二枚のパンのあいだには依然として少なからず隙間があった。大変だ! これでは俺ことハムとしては、挟み込まれているという感覚が全然足りないじゃあないか!

 だが男は即座に問題解決策つまりソリューションを目の前に発見した。彼は銀皿に放置されていたスライストマトを手に取ると、それもパンとパンのあいだ、いやパンとハムのあいだに挟み込んだ。しかしまだわずかに隙間があった。男は当然のように、その隙間を皿の上に残っていたレタスで埋めた。

 その様子を横で見ていた執事は、あまりの行状に開いた口がふさがらなかった。かつてこの貴族界では誰も、そのように手づかみで具材をパンのあいだに挟み込むなどという蛮行に打って出た者はいなかったのである。

 そして男はパンでもろもろを挟み込んだもはや謎の物体へ、大口を開けてうまうまとパクついた。それを見た執事は開いた口のふさぎ方を忘れるほどに驚いたが、完食後に男が見せたあまりにも満足げな様子に心惹かれ、いつか自分もこの斬新すぎるスタイルをこっそりマネしてみようと企んでいた。

 実際にその型破りなスタイルは、やがてその珍妙な名を引っさげて世界を席巻することとなる。男の名を、サンドウィッチ伯爵といふ。


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耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

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短篇小説「もしも氏」

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 我が愛すべき喪師喪史郎は、朝起きて顔を洗い朝食を摂って歯を磨くと、スーツに着替えて満員電車に飛び乗った。もしも彼がサラリーマンであったとすればだが。

 しかし実際のところ史郎はサラリーマンではなかったので、歯を磨くまでは一緒だがユニフォームに着替えて黒塗りのベンツで球場へと向かった。もしも彼がプロ野球選手であった場合の話をしている。

 正直に言えば、史郎には朝家を出るとまずはスタバでMacを広げるというルーティーンがあるのだが、それも彼がもしもカフェイン中毒いけ好かないデザイナー風情であればの話なのは言うまでもない。

 結局のところ朝の満員電車に乗り込む史郎だが、彼は電車内でも一切の時間を無駄にしない。スマホで最新のニュースや株価の動向をチェックするだけでなく、スーツの各ポケットから取り出した計5台のスマホを駆使して株券の売買までその場で行う。そうして彼が電車内であげた利益は、彼の正社員としての収入を大幅に超えると言われている。

 むろんもしも彼が満員電車に乗る生活を送っている一流の投資家で、かつスーツのポケットが計5箇所あったならば、という条件が付帯しない限り、このようなことは一切ないわけだが。

 会社における史郎は出世頭と目され、まだ係長であるにもかかわらず頻繁に社長室へ出入りしている。社長室にはお約束のパターゴルフセットが敷設されており、社長は史郎とのパターゴルフ勝負を日課にしている。

 もちろんこれも、史郎がもしも仕事のできるサラリーマンで、かつ社長が無類のゴルフ好き、それでいて飛ばし屋タイプではなく芝目を読むことに面白味を見出すタイプで、そのうえたまたま以前社内の創立記念パーティーで同席した社長令嬢が史郎にご執心、そういうことならそのうちこいつに娘と会社をやってもいいか、と思われていればの話だが。

 やがて仕事を終え帰宅して眠るとき、彼は今日一日あった出来事を布団の中でひととおり反芻してみる。そこから「もしも」を省いたら、史郎はまだ自分が目覚めてすらいないという夢を見ることになるだろう。果たしてそれが夢なのか、どうか。
 

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耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

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二度手間侍の牛乳茶

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「二度手間侍」とは、二度手間をものともしない侍のことである。それが昨日、カフェに現れた。まずは脳内に、そして眼前に。

といってもわけがわからないだろうがそれでいい。「二度手間侍」とはその昔、『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』というラジオ番組内において、アンタッチャブルの柴田が生み出した言葉である。ある日その番組中に、柴田が「ギター侍」こと波田陽区のフレーズを投入する流れが生じた。なぜと言われても生じたんだからしょうがない。

エンタの神様』でかつて大ブレイクしたギター侍のネタでお馴染みのフレーズといえば、「○○ですから、残念!」という決め台詞である。だがそこで咄嗟にそのフレーズを引っぱり出してきた柴田は、「残念ですから、残念!」と、なぜか「残念」というワードを無駄に二度繰り返したのだった。もはや遠い記憶であり定かではないが、たしか単純なミステイクだったように思う。

しかし凄いのは、柴田がこれを間違いとして単純に処理しなかったことで、彼はこのミスを自ら面白がり、ギター侍ならぬ「二度手間侍」として番組内に定着させてしまった。「残念だから残念」とは、おそろしく当たり前の話である。「残念=残念」。「2=2」という数式くらい意味のない、完全な二度手間だ。しかしだからこそ言いたくなる。以上が「二度手間侍」という言葉についての解説である。

余計な解説に文字数を割いてしまった。文章に登場させる特殊な用語の解説に、また別の文章が必要になる。これも二度手間といえば二度手間なのかもしれない。

さて、ここからが本題である。二度手間侍は、実のところ我々の日常に遍在している。僕は昨日、そんな二度手間侍と壮絶な戦いを繰り広げた。これから書くことは、いわば僕と二度手間侍との戦いの記録、つまり「戦記」である。これも二度手間だ。「つまり」はいつだって二度手間を呼ぶ。

昨日の夕方、僕はちょっと茶をしばきながら本を読もうと思いタリーズコーヒーに入った。そのくせ僕はコーヒーが飲めないので、コーヒー以外のものを頼まなくてはならない義務を負う。そうなるとひどく選択肢の幅は狭まり、だいたい紅茶系かココアを頼むことになる。タリーズでは以前チャイを飲んだ記憶があったので、それを頼むつもりでレジへ向かった。

だがレジでメニューを目の前にすると、「チャイ」の文字がなかなか見当たらない。そこで僕は店員さんに、チャイというメニューの有無を確認しようと思い立ったが、同時にそれはどうも「チャイ」というだけの単純な商品名ではなかったような記憶が浮かび上がってきた。たしか「チャイティーラテ」とかなんとかいう、複合的な名前だったような気が。

店舗数が多いこともあって、僕は普段からタリーズよりスタバに行くことのほうが多いのだが、あちらではよく「ほうじ茶ティーラテ」という品を注文する。その感じからすると、店は違えどこの界隈におけるチャイの名称は、なんとなく「チャイティーラテ」で合っているような気がしてこないでもない。

そう思って「チャイティーラテってありますか?」と口にしようとした瞬間、僕の脳内に大いなる疑問がよぎった。

「『チャイ』ってそもそも、『ミルクティー』って意味じゃなかったっけ?」

……いや確実にそうだろう。だとすると、そのあとにひっついてくる「ティーラテ」の正体はなんだ? もしかしてこれも「ミルクティー」なんじゃあじゃないのか?

その段になって、ようやく僕はピンと来たのであった。これは間違いなく、二度手間侍の仕業であるということに。「残念ですから、残念!」僕はそれと同じ大惨事を、あやうく口にしてしまうところだったのである。

危ないところだった。すんでのところで脳内二度手間侍の攻撃を躱した僕は、いったん呼吸を整えてから店員さんに言った。

「あの~、チャイ的なものってありますか?」

「的なもの」という言葉のモザイクをかけることで、僕は表現を曖昧に処理することに成功した。すると店員さんはメニューを指さして答えた。

「あ、はい。こちらの『チャイミルクティー』ですね」

なんということでしょう! この人はいま、「ミルクティーミルクティー」という意味のことを言っている。これぞ紛うかたなき、二度手間侍の攻撃に違いない。しかも今度は想像上ではなく、目の前で実際に発せられた言葉であった。いまここに、店員に姿を変えた二度手間侍が出現した。

しかもそれは、想像上の二度手間侍よりもさらにストレートな一撃であった。「チャイティーラテ」ならば、まだ「ティーラテ」部分の意味が直接的には認識しにくいぶん、二度手間感が若干緩和されるような気がしないでもない。

だがそれが「チャイミルクティー」となると、もはや言い訳は無用だ。「ミルクティー」と言われて「ミルクティー」を思い浮かべない者はいないからだ。「チャイ=ミルクティー」であって、つまりそれは「ミルクティーミルクティー」ということになる。何を言っているのかわからなくなってきた。

考えてみれば、ライバルのスタバが「ほうじ茶ティーラテ」と謳っている以上、タリーズも同じく「~ティーラテ」という命名パターンを使う確率は低い。ぬかった。しかし改めて考えてみると、スタバの「ほうじ茶ティーラテ」にしたところで、「茶」と「ティー」の間には確実に二度手間侍がいる。頭痛が痛い。いや頭痛で頭が痛い。

「大事なことだから二度言います」

学校の先生はよくそんなことを言ったけれど、それでもちゃんと二度聴き逃すのが僕たち生徒だった。二度手間侍は、いつ、どこにでも現れる。世を忍ぶ仮の姿の二度手間侍が淹れてくれた「チャイミルクティー」は、少しだけ濃い味がした。


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