泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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カールの乱、ポテチの変

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日本はついに、カールとポテチのない未曾有の時代へと突入した。正確にいえば完全にないわけではないが西日本限定になったり品薄だったりで、まあ大雑把にいえば「ない」というか「入手困難な状況が継続、あるいはわりと頻繁に起こり得る」という時代になったというわけだ。しかしこれは大変なことである。大変なことなのだよ諸君。

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はたしてこの先我々は、どのようにして生きていけば良いというのだろうか。たとえば毎朝の通勤電車に、これから我々はカールなしで乗らなければならないのである。そもそも我々は、カールなしであの鉄壁の自動改札を通過することなどできるのであろうか? もちろん電車に乗る以前に横断歩道だって、当然カールなしで渡らなければならないのである。想像するだに怖ろしいではないか。

学生にとっては、人生を賭けた大学入試当日にまさかポテチなしで挑むことになろうとは、まさに「寝耳に水」の話であろう。教育指導要領の改訂やセンター試験の廃止などよりも、これはよほど一大事である。ポテチを失ったとなれば、受験生はいったい何を基準に選択肢を選べば良いというのか? ポテチがカバンに入っていなければ、マークシートをまともに塗りつぶせるかどうかもわからない、手の震えが止まらない、そんな受験生が続出するのは火を見るより明らかであろう。

結婚式にポテチがなく、葬式にカールがない。そんな惨憺たる状況が、はたして今後許されるようになってゆくのであろうか。男性は女性に、カールなしでどうやってプロポーズするつもりなのか? 結婚式での神聖なる「誓いのポテチ」は丸ごと廃止されてしまうのか? 聖歌隊が歌いあげる賛美歌の歌詞は、ポテチ以外の何を讃え歌うことがあろう。披露宴ではキャンドルサービスの炎で、ポテト以外のいったい何を揚げれば良いというのか?

とはいえ家に帰ればひと安心、となるはずもない。ポテチなしで風呂に入ったとして、我々にいったい何ができるというのだろう? カールなしでは眠れないという不安の声が、早くも東日本の女子中学生たちの間からあがりはじめているという。

我々の生活的側面だけでなく、社会秩序の面においても不安は尽きない。それにつけても、刑事はカールなしで犯人を逮捕できるはずがないではないか。もはや治安の悪化は目に見えている。ハッピーターンで犯人を逮捕できるとは、どうにも思えないのである。

話が飛躍するようで申し訳ないが、もしも宇宙人が襲来した場合、我々は宇宙人にポテチ以外の何を渡せば良いというのか。ポテチの他に、宇宙人とコミュニケーションを取るどんな手段が残されているというのだろう。

「あんまり高いところにいくと、気圧の関係でポテチの袋がパンパンになっちゃうから気をつけてくださいね」

我々が真っ先に宇宙人に伝えるべき言葉が、そのほかに何かあるだろうか?

以上の如く、これは明らかに何かしらの終わりの始まりである。「なかったらなかったで別にいい」そんな強がりを言っているうちに、我々は何もできなくなってしまうに違いない。「じゃがいもを揚げ、コーンを曲げる」たったそれだけのことが、いかにこの世界を円滑に回してきたか、まもなく我々はそれを思い知らされることになるだろう。


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連載小説「二言武士」/第五言:過言はあれど二言なし

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「実はワシ、このジム畳もうと思ってるんだよね」オールドジムの支配人である「過言武士」こと過田減迫が、市中引き回されマシンに絶賛振り回され中の覆之介の耳に遠慮なく相談を投げかける。「なんかほら、毎日マッチョばっかり見てるの耐えらんなくて」

いつも言い過ぎる過田にしてはまともな相談であったが、理由が心底しょうもなかった。覆之介はマシンにめくるめくジャイアントスイングを喰らいながらも辛うじてその声を聴き取り、ただただ「知らんがな」と思った。

しかしマシンの回転が減速するにつれ、覆之介に冷静な思考回路が戻ってきた。この一帯にはここ以外トレーニングジムがないので、なくなったら困るのも事実だった。やがてマシンが「ガコン!」と明らかに問題のある音を響かせて停止した。たぶん今ので壊れたと思うが、それについてはあえて言わない。機械が古いのが悪いのだ。

「まあ気持ちはわかりますよ。俺もデブばっかり観るの嫌だから、相撲とか観ないし。でもこれからどうするんすか?」
「うん。とりあえずこの場所はあるから、何かしら茶屋的なものとかやりたいんだけど、なんかアイデアないかなぁと思ってさ。マッチョ茶屋以外で」

そんな茶屋は聞いたことがないが、どういうわけか相当マッチョを憎んでいるらしい。ジムのオーナーなのに。

「近ごろ流行りの猫茶屋とか、そういうやつですか?」
「そう。でもありがちじゃないやつ。できれば世界を変えるような」

油断するとこれだ。この人はついつい過言が発動してしまうのである。本人に悪気はないようだが、急にロックの歌詞みたいになってリアリティが消える。

「俺、思うんすけど、マッチョばっかり見てるのが嫌だからジム辞めるんですよね」
「うん。そう」
「だとしたら逆に、自分の見たいような人が集まる店にしたらいいんじゃないっすか? 結果から逆算したほうが」
「なるほど、一理あるね。首がもげるほどなるほど納得。良い哉、良い哉」

比喩がよくわからないがそれくらい頷いたと言いたいのだろう。ゲレンデがとけるほど恋したがっているのは、きっとこういう人だ。そうは言いつつ、本人の首は微動だにしていないのだが。

「じゃあ過田さんはどんな人が見たいですか? やっぱり美人とか?」
「どんな人ってのは別にないなぁ。まあしいて言えば、人が失敗するとこかな」
「性格悪いですね」
「そうかな。みんなそうじゃない?」

まあその感覚はわからないでもない。むしろそんな極悪な趣味を堂々と発表できるなんて、逆に爽やかな人なんじゃないかという気もしてくる。だがそうなると、ひとつ思いあたる節がある。覆之介は思いきって水を向けてみた。

「じゃあこのジムに古い機械ばっかり置いてるのって、もしかして壊れて人が失敗するのを見たいからだったりして」

過田の目が明らかに宙を彷徨った。わかりやすい人だ。そういえば先ほどのマシン急停止のおかげで、覆之介は首が痛い。

「そこはほら、察してよ」

過田にしては珍しく解答にモザイクを掛けた。察したくなどなかったが覆之介はつい察してしまった。解答に察するほどの深味がなかったからだ。

世の中には知らないほうがいいこともある。このジムで機械が壊れたことにより、大怪我をした武士を覆之介は何人も知っていた。とりあえずこのジムを早めに畳ませることだけが、今の覆之介にできることだった。そのためには、次に経営する茶屋のアイデアをまとめなければならない。

「人が失敗するところを見たい」そんな不純な動機で経営されている茶屋が、かつて世の中にあっただろうか。それはもしかすると過田の言うとおり、世界を変えるような茶屋であるのかもしれない。もちろん、悪い方向に。

そして結局、なんとなくのなりゆきで話が進み、過田は「ドッキリ茶屋」を経営する意志を固めたのであった。店内には各所に落とし穴が設置され、床は転びやすい段差まみれの逆バリアフリー設計、飲食メニューは激辛か激熱しか選択肢がなく、食器類はすべて壊れやすく滑りやすくできているという、見事に統一感のあるコンセプトが出来あがった。

覆之介も途中からは悪ノリだったのだが、思いがけずアイデアが次々と採用されて困惑。最終的にはさすがにやめておいたほうがいいんじゃないかと、「二言武士」得意の前言撤回を繰り出したものの、「人が失敗するところを見たい」という過田の決意はもはや揺るがなかった。

この男、いちいち言うことが「過言」ではあるのだが、覆之介と違って古いタイプの武士であるがゆえに「二言」など一切あり得ないのだった。

これはむしろ、オールドジムよりも怪我人が続出するかもしれないな。覆之介はそんな罪悪感をうっすらと感じながら帰路、今度いやな奴に会ったら、来たるべき過田の茶屋を必ず紹介してやろうと心に決めたのであった。それがきっと「Win-Winの関係」というやつだから。


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耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

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短篇小説「河童の一日 其ノ十三」

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近ごろなんだか調子が出ない。どはいえ調子が出たところでたいしたことはない。それは僕が河童だからなんじゃないか。

ついついそんな後ろ向きなことばかり考えてしまうのは、たぶんこの気候のせいだ。寒いようで暑い、暑いようで寒い。河童はそんな思わせぶりな気候が案外苦手で、だから五月病にもなりやすい。

ことわざで有名な「河童の川流れ」の約六割が、五月中に起こっているというデータ(日本河童総研調べ)がそれを如実に物語っている。ことわざの意味するような失策ではなく、意図的に溺れているケースもどうやら多いという。哀しいことだ。

ゴールデンウィーク中は、人間の友達がみんな家族旅行に出かけてしまっているから暇でしょうがない。とりあえずSNSに、リア充な友人たちが旅先で撮った写真が続々アップされている。みんな温泉に行ったりしているが、甲羅が傷んでしまうので河童は温泉に入れない。

専門店に行けば温泉対応の特殊コーティングがなされた甲羅が売っているけど、高すぎて一部のセレブ河童しか買えない。ならば甲羅をはずして入ればいいじゃないか、と言われそうだが、普段甲羅に守られているぶん河童の背中はすこぶる敏感になっていて、40℃くらいでも跳び上がるほど熱くてとても入っていられない。

「暇なら勉強でもしなさい」と母親には言われるけど、勉強したら休みじゃないから勉強はしない。そもそも夏休みに宿題があることすら納得いっていないのだ。宿題があったらそれはとうてい休みとは言えないじゃないか。そんなのは名ばかりの休みであって、本当の休みじゃない。よく知らないけどきっと大人のサービス残業みたいな感じだ。よく知らないけど。

だから僕はできるだけ休みを休もうと思った。誰よりも休みを休んでやろうと思った。だって考えてみたら、旅行に行くのだってちゃんと休んでいるとは言えないんじゃないか。移動で体は疲れるし、どこをどう回ろうかとプランを練ったり旅先で新しい発見をしたりで脳もすっかり疲れてしまう。それはつまり休みを怠っているということだろう。

そんな中、僕はなるべく頭も体も使わずに、ボーッと寝続けることによって休みを満喫している。それはもう、無の境地に近づいているのかもしれない。こうなったらもうレッツ涅槃である。なんだかとっても崇高な気分だ。

そしてゴールデンウィーク明けには毎年、死んだような目で学校へ行くことになる。寝すぎたせいで体は運動不足、頭はボーッと呆けていて、だからめちゃくちゃ五月病だ。五月病の正確な意味はわからないが、調子が出ないのだからきっと五月病ってやつだ。連休中すごくしっかり休んだのに、なんだかすごく疲れている。これはやっぱり、僕が河童だからなんじゃないだろうか。

そうなることはわかっているけど、まだ連休は残っている。となればやっぱり、ここは休みを全力で休むべきだ。いまはとにかくレッツ涅槃である。

今日も寝ながらキュウリをポリポリ。こんなにキュウリを美味しいと思うのは、やっぱり僕が河童だからなんじゃないか。これについてはまあ、本当にそうなんだろうな。


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