泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

短篇小説「割引人間クーポンマン」

f:id:arsenal4:20180417211257j:plain:w500

 たった一枚の紙切れが、ひとりの人生をすっかり変えてしまうことは珍しくない。たとえば、戦時下における召集令状。第一志望校からの合格通知。あるいは、勇気を振りしぼって書かれた一通のラブレター。紙切れの持つ意味あいこそ違えど、場合によってはそれが人生を変え得る力を持っていることに変わりはない。

 ここにまたひとり、一枚の紙切れによって人生を大きく変えられた男がいる。男の名を、久本券太郎という。

 久本十八歳の春であった。現役での大学受験に失敗し、その春から浪人生となった久本は、予備校近くのハンバーガーショップを学食と定めた。予備校には学食がなかったからである。

 その日も久本は、昼休みで混みあうハンバーガーショップの行列の只中にあった。久本は計三列のうち、必ず真ん中の列に加わることにしていた。それは久本にとって、いつもと変わりない行動、いわばルーティンである。しかしやがて行列が消化され、自分の会計まで残り三人となったところで、彼は前方のレジで会計中の客が繰り出す、普段は見かけることのない「余計なひと手間」を目撃してしまったのだった。

 そしてその「余計なひと手間」は、久本の前に並ぶ残り二名の会計時にもまったく同様に見受けられた。さらに左右の列へ目をやると、例外なく誰もが同じ行動を取っており、それはむしろ標準的な、常識的な行動であることが証明された。

 久本はたちまち絶望的な気分になった。彼は一瞬にして、少なくともこの店において非常識な人間になってしまった。いや、これまでもずっとそうだったのかもしれなかった。ただその事実に気づかなかったというだけで。

 久本以外の客たちが共通して見せる「余計なひと手間」、それは金銭とは別に、クーポン券を差し出すという行為であった。その出どころは、財布はもちろんのこと、バッグ、ジーンズのポケット、あるいはむき出しのままそれを掴んでいる右手など、千差万別であった。しかしそれが「余計なひと手間」であることに変わりはなく、だからこそその挙動は久本の目についた。

 だが久本は、クーポン券など一枚たりとも持ちあわせてはいなかった。この店のだけでなく、どの店のどんなクーポンも。そして彼は定価でコーラとポテトつきのハンバーガーセットを購入し、食し、店を出た。すると店の外で制服を着た女性店員が、威勢よくクーポン券を配布していた。

 自分が店に入ったときにはいなかったはずの店員が、いつのまにかそこに存在していた。あるいはこの店員はずっとここでこうしてけなげに券を配っていたにもかかわらず、自分はこの人を意図的に視野の外へと排除して、蹴散らすように入店したのかもしれなかった。だとするならば、その時に何らかの呪いをかけられていたとしても不思議ではない。いやきっとそうだろう。

 彼は今さらながらそのクーポン券を受け取ると、そこに「全品30%OFF」の文字を確認した。その横にはさらに、「4/17まで有効」の文字。その日の日付であった。

 この瞬間から、久本は変わった。彼はクーポンの鬼になった。自らの名字の読み仮名も、「ひさもと」から「くーぽん」に変えた。特に役所で手続きしたわけでもなく、自分でそう読むことに決めただけだ。だからなんだというのか。

 久本は、とにかくあらゆるクーポン券を集めに集めた。ハンバーガーショップ、ファミリーレストラン、牛丼屋、ドラッグストア、クリーニング屋、中古ゲーム屋、ガールズバー。クーポン券をもらいに行くために、割引額をはるかに超える交通費をかけることなどざらであった。

 逆にクーポン券なしでは、何も買わなくなった。欲しいものがあっても、それに適合するクーポンを持っていなければ彼は絶対に買わないし、そもそもクーポンというシステムを導入していない店にはいっさい寄りつかなくなった。

 結果、家の中がいらないものでいっぱいになった。ただクーポンを使えるというだけで、別に欲しくないものも見境なく買ってしまうからである。彼にとっての買い物とは、もはや単に「クーポンを使う」ことであり、欲しい商品を手に入れることではなかった。手放すものはクーポン券でなければならないが、それと引き替えに持ち帰るものは正直なんでも良かったのである。

 実際のところ、久本はクーポンの達人であった。彼は店頭でクーポンを使用するだけでなく、路上の喧嘩をチェーン系居酒屋のクーポン券二枚で仲裁したこともあったし、レアクーポンの交換からはじまる恋もした。彼女との初デートで、緊張のあまりハンカチと間違えてポケットから取り出したクーポン券で汗を拭いたのも、のちに甘酸っぱい思い出となった。

 久本はひとり身のまま、四十七歳でこの世を去った。三十代に差しかかったあたりから、健康診断の結果はすでに芳しくなく、クーポンありきの無計画な食生活が祟った結果だと言われている。彼には妻も子もなかったため、その遺産は両親が受け取ることになった。

 彼は二十八歳のときにクーポン券専門の印刷会社を立ち上げ、特にその発色の良さとキリトリ線の「券離れ」の良さが好評を博したお蔭でそれなりの成功を収めていたから、5億円ほどの遺産が両親に遺された。

 やがて両親の元へ、総額5億円分の割引を受けられる大量のクーポン券が届いた。久本の所持していた5億円は、すべてこの5億円相当のクーポン券を手に入れるための経費に消えていた(プライベートジェットやリムジンを頻繁に利用)。色とりどりのクーポン券は、どれも両親が行きそうにない店のものばかりであった。

 ――以上が、久本券太郎の母である容疑者・久本安子の証言に基づく「大手銀行ATM紙幣投入口クーポン券大量連続投入事件」発生に至る経緯であります。


tmykinoue.hatenablog.com

tmykinoue.hatenablog.com

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

短篇小説「一理あらまほしき男」

f:id:arsenal4:20180406124501j:plain:w500

 ある朝、壱村理太郎が満員の通勤列車内で老人男性に席を譲るため立ち上がると、老人は理太郎のつま先を杖で小突きながら烈火のごとく怒りを表明したのであった。

「ワシはこうやって、すっかり曲がってしまった腰を伸ばしているのだ! 誰の手先だか知らんが、このうえさらに我が腰をひん曲げようという魂胆か!」

 老人の思いがけぬ持論に面食らった理太郎は、しかし落ち着いてこう答えた。

「なるほど。一理ありますね」

 そして老人の着ている仕立ての良いジャケットの上から両手でベルトをつかむと、上手投げの要領で老人を座席にねじ伏せて着席させた。なぜならば老人の述べた持論は、理太郎にとってたったの「一理」しかなかったからである。理太郎の道理は別にある。

 勤務先の最寄り駅で電車を降りた理太郎は、駅前のファストフード店で朝食を摂ってから会社へ向かうことを日課としている。店内へ足を踏み入れた理太郎は、レジでチーズバーガーを注文する。すると若い女性アルバイト店員は当然のごとく、「ご一緒にポテトもいかがですか?」と返してくる。それに対し、理太郎はいつもこう答えるのだった。

「なるほど。一理ありますね」 

 そしてその返答を営業スマイルで柔らかく受け止める店員に、理太郎はもうひとこと付け加える。

「いえ結構です」

 なぜならば店員のおすすめは、理太郎にとって「一理」しかないからである。そして理太郎は単品のチーズバーガーを受け取ってもぐもぐ食べる。

 ある日、理太郎のこの注文方法を以前くらったことのある店員が、気を利かせて例の「ご一緒にポテトもいかがですか?」のくだりを省略してきたことがあった。だが理太郎にしてみれば、それは全然違うのである。

 理太郎は「一理」をあくまでも「一理」として常に処理するため、それを自らの道理として採用することはけっしてないのだが、それでも「一理」は欲しいのである。もらえる「一理」はもらっておきたい。もらえるはずの「一理」をもらっていないと、ものすごく損した気分になってしまうのだ。

 理太郎にとって「一理」とは、「決定的」ではないが「なくていい」道理ではないのである。少なくとも、焼き肉屋でお会計時に渡されるチューインガムよりはもらっておきたいと考えている。

 彼はその例外的省略行為について店員に断固抗議した結果、お詫びにポテトをいただいたのであった。だからいらないと言っているのに。理太郎はポテトではなく、「一理」が欲しかっただけなのである。

 その日の午後開かれた職場の会議では、理太郎の意見に後輩社員が真っ向から刃向かってきた。だが理太郎の懸命の説得により、後輩はついにかの台詞を口にしたのであった。

「なるほど。一理あるかもしんないっすね」

 とはいえ、そこまではなんの問題もなかった。歳下にちょっとお株を奪われたくらいで、不機嫌になる理太郎ではない。反論してきた相手に「一理ある」と言われれば、人間いやな気はしないものだ。しかしそれに続く言葉が悪かった。後輩はこうつけ加えたのだった。

「じゃあ僕もそちらに賛成ってことで」

 その言葉を聴いて、理太郎は激怒した。後輩にしてみれば、わけがわからなかった。せっかく自らの非を認めて服従してやったのに、なぜ俺が叱られるのか。いつも温厚な理太郎が、容赦なくまくしたてた。

「お前はさっき、たしかに『一理ある』と言ったんだ! 一理ということは、つまり一理ということだよ! なのにそんな一理でしかない道理に合わせて自らの道理を曲げてしまったら、それはもう一理じゃなくて十理、いや百理? それどころかもはや『全理』じゃあないか! これはもう外道の仕業と言うほかないよ! 一理を好きなようにもて遊びやがって! ならば正確に、『全理ありますね』と言うべきだよ! いっそのこと英語を織り交ぜるなどして、『エブ理』とかでもいいんだよ! 一理でさえなければね! ほら、今すぐに『全理ある』もしくは『エブ理ある』と言えよ! 言うだけでいいんだよ! さあ言ってみろよ!」

 理太郎は容赦なくその怒りをぶちまけつつ、いま自分が喋っているこの持論には、「ひょっとしたら一理もないのでは」と生まれて初めて感じていたのであった。


tmykinoue.hatenablog.com

tmykinoue.hatenablog.com

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

短篇小説「冒険老婆」

f:id:arsenal4:20180322023917j:plain:w500

 男が街の小さな煙草屋を訪れ、窓口に座る老婆に声をかけた。よく晴れた春の日だった。

「今日はあいにくの天気ですね」
「いやまったく、そうだねぇ」

 老婆はおもむろに立ち上がると、窓口の脇にある勝手口の戸を開いた。男は身をかがめてそこから中へと入った。その先には地下へと続く階段があった。老婆はランタンを手に、しっかりとした足取りで薄暗い階段を降りていった。男は黙ってついてゆく。

 階段は、気が遠くなるほど長かった。自分が地下何階へと向かっているのか、男がすっかり現在地を見失ったころ、左へと逸れる脇道が出現した。老婆はそちらへと曲がった。男もついていくほかない。

 だがその先は行き止まりであった。老婆は黙って突き当たりの壁を、ランタンでことさらに照らし出した。壁には大ぶりなレバーが埋め込まれていた。老婆が無言でうなずくと、男は上向きになっていたレバーを力強く引き下げた。遠くでゴゴゴという、何か重い物体が動き出すような音がした。

 特に驚く様子もなしに老婆は踵を返すと、来た道を戻って元の階段へと向かった。男は老婆の三歩うしろを歩いている。まもなく階段との交差点へさしかかると、その各段はスムースに下へ下へと送られていた。先ほどまで止まっていた階段がすっかり動き出したという按配で、機能としてはエスカレーターというべきかもしれないが、見た目は依然として階段に違いない。

 老婆はなんの苦もなく動く階段へと乗り込んだ。男はタイミングをはかりつつ、おそるおそる動く一段を捕まえることに成功した。動く階段は徐々にその速度を増し、二人を地中深くへと導いてゆくのだった。

 三分間ほど動く階段に身を任せていると、目の前に大きな貯水池のような水たまりが現れた。階段は、どうやらそこまでのようだった。階段の終着点はコンクリートでできた円形の小島になっており、老婆はそこにピッタリとつけられているボートへと乗り込んだ。男もそのようにした。

 二人が乗り込むと、ただ座るだけでボートは勝手に動きはじめた。ハンドルもアクセルも一切なく、ボートは完全自動運転であるようだった。その動力がなんであるのかはわからないが、座席脇についたスピーカーからはそれらしいエンジン音が聞こえていた。ということはつまり、エンジン駆動ではないのだろう。男はそれを「音姫」のようなシステムとして理解した。何をかき消すための疑似エンジン音なのかはわかるはずもないが。

 思いのほか順調に進んでゆく船旅の先へ、やがて巨大な水門が出現した。近づけば門は自動的に開くものと思いきや、ボートが接近しても門が開く気配は一向にない。しかしそこへ突進する老婆にも焦りはなく、まもなくボートはニョッキリ屋根を生やし即座に潜水艇へと変形、そのまま門の下へと深く潜り込み、水中を潜行しはじめたのだった。

 ボート改め潜水艇でしばし水の中を行くと、その体は徐々に浮上し、再びコンクリートの島へと辿りついた。だがこの島は前の島とは明らかに別の島で、島の向こうには縦横無尽に動き回るベルトコンベアーのラインが広がっていた。

 浮上とともに潜水艇の屋根が開き、すっかりボートへと形を戻したその物体から島へと降り立った老婆は、そのままなんの迷いもなく目の前を流れるベルトコンベアーのラインに飛び乗った。そうなれば男もそのすぐ後ろに飛び乗るしかない。

 二人はベルトコンベアーに運ばれるまま、前、左、右、右、左、左、左、右と進んでいくと、またも別のコンクリート製の島へと辿りついた。辿りついたというよりは、ベルト上から放り出されたといったほうが正確かもしれない。

 老婆と男が行きついたその小島には、木を鉄で縁取った、いかにもそれらしい宝箱が意味ありげに放置されてあった。老婆はその前へしゃがみ込むとランタンを地面に置き、ポケットから取り出した鍵をその鍵穴に差し込んだ。そして開いた蓋の中へ、老婆が手を差し入れる。そこでつかんだ何かを、男の眼前に突き出して老婆は言った。

「はい、セブンスター三箱ね」

 男は三箱を受け取ってブリーフケースに入れると、財布を取り出してやや逡巡する様子を見せた。それを見て察した老婆がさらに言った。

「おや、ライターもご入り用かい?」

 二人は再びコンベアーに乗り、さらなる奥地へと冒険の旅に出た。


tmykinoue.hatenablog.com

tmykinoue.hatenablog.com

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

耳毛に憧れたって駄目―悪戯短篇小説集 (虚実空転文庫)

Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.