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短篇小説「もはやがばわないばあちゃん」

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がばいばあちゃんが思ったほどがばわなくなったのはいつの日からだろうか。

がばいばあちゃんは、とにかくいつでも誰にでもがばうばあちゃんだった。イケメンにも不細工にも分けへだてなくがばうし、いったんがばうと決めたら老若男女も国籍も問わない。西に倒れている人あれば駆けつけてこれをがばうし、東に食い逃げ犯あれば持っている杖をためらいなく抛ってがばう。

たとえば若手刑事とがばいばあちゃんがバディを組んだとして、拳銃を持った犯人が目の前に現れ、がばいばあちゃんの脇腹を撃ち抜いたとする。

瀕死のがばいばあちゃんは自分を助けに駆けつけた若手刑事に対し、「ここはあたしにがばわず逃げな! あたしにがばうな!」と言って真っ先に若手刑事をがばうことだろう。

しかし彼女による慈悲深いがばいは、時に若者の反感を買うこともあった。以前年若いロボット運転手の頬を強くがばった際、がばわれた少年は以下のような台詞を叫びつつ、がばいばあちゃんを射るように睨めつけたという。

「がばったね! 親父にもがばわれたことないのに!」

だが優柔不断だった少年は、その日から目に見えて強くなったと言われている。

そして近年突如として浮上してきたのが、がばいばあちゃんの「がばい有料化」疑惑である。がばいばあちゃんにがばわれた実の孫が、「がばわれたぶんのギャランティーが翌年のお年玉から天引きされている」という衝撃の事実を訴え出たのである。

実際のところは「孫の両親が、がばいばあちゃんから孫に渡されるお年玉袋を事前にチェックし、その半分を抜き取って勝手に貯金に回していた」ということが後に判明したが、この事件以降、がばいばあちゃんのがばう回数が明らかに減少したというデータが明らかになっている。

本音を言えばがばいばあちゃんだって、「がばうよりがばわれたい」という乙女心を、いまだ心の奥底に宿しているのかもしれない。

だとするならば、近ごろのがばいばあちゃんのがばい不足あるいはがばい放棄を、強く責めることなど誰にできるだろうか。むしろがばいばあちゃんにがばわれることを心待ちにするばかりで、すすんで他人をがばうことを怠ってきた自らの過去をこそ恥ずべきではないか。

今こそ「がばうとは何か」、その意味を改めて考えるべき段階に来ているのかもしれない。

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