泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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俳句、からの排句、そして灰句

一般に、なんとなくナイスフィーリングだがわかりにくいと思われがちな俳句。そんな俳句をわかりやすくする方法を、アイスの棒を粘りづよく小一時間ねぶる中で偶然発見したので、ここにいちいちご報告したい。ちなみに僕は、俳句にはゼロ家言持つ者であることを、念のためおことわり。

俳句に必要なのはザキヤマである。無論アンタッチャブルアゴ割れ担当であるところの。といってもアゴは必要ない。彼の得意技である、無茶ぶり芸が必要なのである。それはつまり、「からの?」である。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

有名な正岡子規の句だが、何か足りないと感じないだろうか? 無理やり単純に言ってしまえば、五と七と五それぞれの間のつながりが悪いからわかりにくいのだ。ここの切断面の鮮やかさにこそ、俳句の魅力であり余韻があるような気もするのだが、それをわかりやすさのために犠牲にしてしまおう、という試みを今からやる。だから「俳句」はその良さを排除され「排句」になりそんなことをしていたら全体に廃れて「廃句」になってしまうような気がするのだが、とりあえず「気がする」だけなので「気にしない」ことにして進める。要は気の持ちようである。(唐突な人生訓の放り込み)

というわけで、俳句にザキヤマの無茶ぶりを挟み込むとどうなるか? 以下のようになる。
《( )内ザキヤマ。最大限煽るようなイントネーションで》

柿食えば(からの?)鐘が鳴るなり(そして?)法隆寺

なんとなくつながりは良くなったような気がするが、まだ「からの?」と「そして?」のニュアンスがわかりにくいかもしれない。そこで例えば正岡子規が芸人だったとして、具体例を実践してみよう。もしかしたら正岡子規の俳句は、このような誰かとの掛け合いと無茶ぶりの中から生まれたのではないだろうか? 舞台は若手芸人が集まる合同ライブにおける、締めのトーク場面。ルミネtheよしもと的な状況である。人力舎でいえば、『バカ爆走!』あたりになるだろうか。

仮に正岡子規は若手お笑いコンビ「ハイクオリティ」(コンビ名。相方の松尾は、脱退したのち後輩芸人を連れて細め奥めの道を放浪中)のシッキー(愛称)ということにする。以下、舞台上での、シッキーとザキヤマの会話。

ザキヤマ:なんか俺、そこらへんにあるもんついつい食べちゃうんだよねー。馬の骨とか。シッキーは最近なんか美味いもん食った? 
シッキー:えー、美味いもんすか? んー、昨日柿食いましたけど…。
ザキヤマ:か〜ら〜の?
シッキー:え? 「からの?」って別に…。いや柿食って美味かったって話ですけど…。
ザキヤマ:いやいやいやそりゃないでしょう芸人として。なんか面白いこと巻き起こっちゃうんでしょ? 持ってた柿にカラスが食いついてきて、柿ごとシッキーさらわれちゃう的な? 気づいたらカラスに乗って飛行機の横飛んでて中のお客さんと目が合っちゃって会釈的な?
シッキー:いや…そんな別に…。まあ強いて言えば、柿食った途端に鐘鳴りましたけど…。
ザキヤマ:おお、まあ地味っちゃあ地味だけど来たね来たね。で、そして? そ〜し〜て?
シッキー:いや「そして?」っつわれても…。
ザキヤマ:いやいやいやいや、情報ちょうだいよ情報。なんかあるでしょーなんか。誰ととかどこでとか面白い何かインフォメーションが。綾瀬はるかと? 無人島で?
シッキー:いやひとりですけど…。
ザキヤマ:ああーセルフね、ひそかにセルフ系。じゃあ場所はどこなのよ? やっぱ無人島? ヌーディストビーチ? 柿と一緒にいろいろポロリ的な?
シッキー:いやぁ…まあぶっちゃけ法隆寺っすけど…。
ザキヤマ:…あーはいはいはい。逆にね。逆に法隆寺ね。聖徳太子がアイスの棒みたいなやつで柿をバーンみたいなね。と思いきや逆に柿で太子の頭をギャーン(以下略)

…とまあこんな感じであのネタ(俳句)が出来たと考えると納得がいくようないかないようないかないような。苦しくなってきたので他にもう一例挙げてみる。シッキーの元相方・マッツン(松尾。まだ続く芸人設定)の句。

古池や(からの?)蛙飛び込む(そして?)水の音

わかりやすさを越えた猛烈な台なし感、台なしんこ感。いわば補助輪のかっこ悪さ。これぞ排句であり廃句の極み。からの燃え尽きて灰句。

アイスの棒をしこたまねぶり終えたら正気に戻ったので、これにて放置。

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