泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

悪戯短篇小説「違いがわからない男」

「ちょっとすいません」
「ちょっとじゃないだろう! だいぶすまないと思ってくれなくちゃあ」
「あ、すいません。でも正直、そこまですまないとは思ってないわけですよ」
「そんな中途半端な気持ちで初対面の人に声を掛けるなんて無礼だねキミは。急いでるんで、じゃあ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
「ほらそこもちょっとじゃない! ちょっとならもう待ったんだよ私はすでに」
「じゃあ、できるだけ待ってください。できるだけでいいんで」
「やさしくないねキミは。できるだけなんて言われて、『はい、もうできるだけは待ちましたから行きますよ』なんて早めに切り上げることがいかに難しく非情な行為か、充分にわかったうえでキミはそう言ってる。計算づくだ。謀略だ」
「そんなつもりないですよ。途中でギブだったらギブって言ってくれればいいじゃないですか。そのためにほら、ロープだってあるんですから……」
「それがいかに危険きわまる行為かわからんのかね。走行中の車から脱出するようなスタント行為なわけだよ。で、なにそのロープ?」
「つかまってくれたらいったんブレイク的な。ほら、プロレスのあれです」
「んー、なかなか気が利いてるじゃないか。私は何ごとも是々非々でいきたいほうなんでね。全体にダメだとはいっても、褒めるとこは積極的に褒めていくよ」
「ありがとうございます! ではちょっ…、話を聞いてくれるんですね」
「それとこれとは話が別だよキミ。なにせ是々非々だからね。今のところいいのはロープだけで、他は全然ダメ。しかもこのロープ、素材が悪いよ」
「すいません、自家製なもんで。ただ、お話中につかまっていただくぶんには大丈夫だとは思うんですが」
「ふざけるな! 安心してつかまれなくて何がロープだ! 形骸化も甚だしい! それじゃ最近のヒット曲の歌詞とまったく一緒じゃないか! 『ずっとそばにいるよ』とか口当たりのいいことばかり言って、誰もいないじゃないか私の家には。女房も犬もルンバも出ていったよ! 『やまない雨はないさ』とか言ったって全然あたらないじゃないか天気予報は! いい年こいた気象予報士がパステルカラーのセーターばかり着やがって!」
「ロ、ロープですロープ! ロープつかんでますよ僕! いったんブレイク……」
「黙れこの二世タレントが! どうせこのロープもすました顔して二世なんだろう! オリジナルなものなんて、もうこの世のどこにもないんだ! どいつもこいつも偽モノばっかりだよ! 私の買うジュースはどれもこれも、いつだって果汁0%だよ! こないだ食ったタラバ蟹だって、もちろんカニかまに決まってる! どうせこのロープだって、安価なすり身で作った練り製品なんだろう! ほら貸せ! 私くらいになると食えばわかるんだよ食えば!」
「あっ……」
「んぐんぐ……ほぅ……コシがあってなかなか美味いじゃないか! カムチャッカの熱帯魚とチグリス・ユーフラテス川のサンマと……ん、コートジボワールのあさりまで入っているッ! 申し訳ないがこれは止まらん。たとえ何本ロープを出されてもブレイクするわけには絶対にいかんよ。いやむしろ、もう一本出してくれたらそれも速攻で掴んで食べてしまうがね」
「……で、駅はどっちでしょうか?」
「え?……うっぷ! 二つ目の交差点を右だよ」
「ありがとうございました。聞きたかったことはそれだけです。良かったらもう一本どうぞ」
「なんだ、まだあるんじゃないか。ちょっとすまないねどうも」
「ちょっとじゃないだろう!」

Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.