泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「かつぎ屋」

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 その日の私は、とてもかつぎたい気分だった。舌先三寸で難攻不落の某大手企業を口説き落とさなければならないという、かつてない大仕事が翌日に控えていたからだ。我が社の命運をかけた新商品のプレゼンを、私は任されていた。こんなときは何かしらかつがないことには、とてもやっていられない。誰だってそうだろう。

 翌朝のプレゼン準備を完璧に整えた私は、しかしいまだ不安が拭えぬまま、仕事帰りに行きつけのかつぎ屋へと向かった。今日はいったい何をかつがせてくれるのだろうか。適切なものさえかつがせてもらえれば、何がどうなろうと次の日のプレゼンは上手くいくような気がした。逆に何もかつがないままでは、何をやってもうまくいかないに決まっている。

 二つに割れたうちの左側に「かつ」、右側に「ぎ屋」と書かれた暖簾の右面を手の甲でひょいとめくり、古びた引き戸を開ける。そして私はかつぎ屋へと足を踏み入れた。

「ちょっとかつぎたいんだけど、いいのある?」私は常連らしく、挨拶を省いていきなり本題を投げかけた。

「お、いいときに来たね。ちょうどさっき、いいのが入ったんだよ」カウンターの奥からロマンスグレーのマスターが、待ってましたとばかりに返答する。店内にはまだ、ほかに客は誰もいない。「明日はまた、なんかあるのかい?」

「ああ、まあたいしたことじゃないんだが。実は、とっておきの新開発商品のプレゼンがあってね。しかも相手の大手企業の部長が、業界でも名うての堅物らしい」

「つまり勝負どころってわけか。だったら、ちょうどいいかつぎものがあるよ」

 そう言うとマスターは何も手に持たぬままに、身ぶり手ぶりを交えてそのかつぎものの説明をはじめた。

「プレゼンってことは、まず会議室に入るだろ? 大企業の会議室についてる入口のドアってのは、たいがい異様に重くできてるもんだ。そこでまず、その鉄壁のドアの重さに負けないために、一発ドアに体当たりをぶちかます。ここで大事なのは、ぶつかる瞬間に思いきって手足を広げて、真正面から大の字で当るってことだ。そうすれば、その会社よりも自分のほうが大きいってことになるからな」

 そう言うとマスターは、自ら両手両足を大きく広げて、カウンターの内側で大の字を作ってみせた。広げた右手が洗いたてのグラスを倒して派手に割れる音がしたが、マスターはお構いなしだ。この店では食べ物どころか飲み物すらなにひとつ出ず、無形のかつぎものしか出さないからそもそもそんなものは必要ないのだ。店内に置かれた什器類は、なんとなくバーっぽい雰囲気を醸し出すためのインテリアでしかなかった。

「まあ心配はいらんよ。大企業の扉は、そう簡単には壊れないようにできてるから、お前さんがどんなに強く当たったってビクともしやしない。逆にその程度で壊れるようなら、その会社はたいした企業じゃないってことさ。わざわざこちらが緊張する必要もない程度のね。とりあえず大の字で体をぶつけたら、あとは何事もなかったかのように、平然とドアを開けて会議室に入ればOK。簡単だろ?」

「なるほどね。しかしなかなか大胆なかつぎだね。ちなみにそれはいったい、誰がかついだかつぎなの?」

「ああ、これね。これは無名の子役が、連続テレビ小説の主役を勝ち取ったときにかついだかつぎだよ。そのあとにも別の局で有名脚本家のドラマ出演枠をこれで勝ちとったっていうから、これは実にかつぎ甲斐のある上物のかつぎものだよ。ほらテレビ局っていや、どこも大企業だろ」

「それは凄いな。じゃあとりあえず、これはいただくよ」まずは良いかつぎを入手して私はひと安心したが、そうなるとまた次なる不安が自然と湧き出してきた。「ただ、俺が本当に緊張してくるのは、席についてからなんだよな。大学受験のときも、それで失敗したんだ」

 恥ずかしがらずに自らの弱点を素直にさらけ出さない限り、真に自分にフィットするかつぎは得られないということを、私は経験的に知っていた。

「なるほどな。そういうことなら、いいのがあるよ。さっき言ってた、本日入荷ホヤホヤのかつぎがね」

「さすがマスター、助かるよ」

 私のリクエストに、これまでマスターが応えられなかったことは一度もなかった。それほどまでに信頼できるマスターなのだ。よく見るとマスターの右手は、いつのまにか鮮血にまみれていた。先ほどグラスにぶつけた手の甲が、破片で切れて流血しているようだった。しかしマスターはお構いなく、熱心にかつぎの内容説明に入った。

「こいつはさらに簡単だぞ。会議室に入って席についたら、まずは筆記用具を準備するもんだろ。お前は筆入れから、一本の鉛筆を取り出す。そしたらその鉛筆の尖った芯の先を、俺らの世代は子供のころ誰しも一度はやったように、しつこく丹念に舐めまわすだけ。な、簡単だろ?」

「簡単だけど、ちょっと恥ずかしいな」私はちょっと腰が引けていた。

「大丈夫。相手が大きければ大きいほど、誰もちっぽけなお前のことなんか見ちゃいない。これはもちろん、相手を『ナメてかかる』って意味が込められている行為だから、徹底的に鉛筆を舐めてやるといい。その際、先端の尖った部分を中心に舐めてやることで、特に頂点に立っている相手を舐めていることになる。相手がトップクラスの一流企業のお偉いさんなら、重点的に先っぽをねぶりまわしてやることだな」

 とはいえ近ごろはすっかり使わなくなってしまった鉛筆が、家にまだあっただろうかと私は考えを巡らせていた。するとマスターが「さっき削っておいたんだ」と言って、親切にも削りたての鉛筆を一本くれたのだった。

「ちなみにこれは、偏差値36の受験生が、東大に受かったときに決行したかつぎなんだ。センター試験でやってみたら驚異の高得点を叩き出して、調子に乗って二次試験でもかついでみたら、イチかバチかのヤマが大当たりして奇跡的に合格ってわけ」

 実力あるいはかつぎ不足により大学受験に失敗している私にとって、「東大合格」という言葉は強大な説得力を持っていた。

「なるほど、エビデンスは充分というわけか。センターだけならまだしも、難解な二次でも結果を出したとなれば。じゃあマスター、さっきのと一緒に、これもいただくよ。お蔭で明日は、万全の体制で臨めそうだ」

「毎度あり! 失敗する可能性なんて、万にひとつもあり得ないね」

 マスターの言葉に絶対の自信を得た私は、カウンター脇のレジで会計を済ませて店を出た。お金を受け取る際にマスターが差し出した右手は驚くほど血みどろで、私が「手、大丈夫なの?」と声をかけると、マスターは「なあに、いつものことだから」と軽く受け流した。私は血のついたお釣りをもらうのが嫌なので小銭の受け取りを遠慮すると、マスターは「毎度!」と満面の笑顔で私を送り出してくれた。

 翌朝、私は緊張のあまり、予定の一時間前には会議の行われる相手企業に到着してしまった。さすがに早すぎて先方に迷惑がかかってしまうと思い、私は近くのカフェでコーヒーを飲んで時間調整をすることにした。しかし会計時に思わぬレジの大行列に見舞われ、会議室へ到着するのが時間ギリギリになってしまった。私は走って相手企業へと向かった。

 エレベーターを降りて、受付で指定された会議室の入口から中を覗くと、すでにその席は多くの人で埋められていた。その重々しいドアは、当然のようにすでに開け放たれていた。

 案内された席へつくと、私はあわてて長机のうえに筆記用具を広げはじめた。今どき誰も使わない鉛筆を取り出すのは少々ためらわれたが、私は真っ先に筆入れから鉛筆を取り出した。

 すると筆入れから出てきたのは、てっぺんに芯のない鉛筆の姿であった。先ほど慌てて走り出した際に、その衝撃で揺すられた鉛筆の芯が、ポッキリと折れてしまったのかもしれなかった。私はキャップと鉛筆削りを筆入れに備えていないことを、激しく後悔することになった。

 そうしてふたつの験をかつぎ損ねた私はすっかり自信を失い、この日のプレゼンは大惨敗に終わった。私が得意先のドアを大胆に破壊したうえで鉛筆をねぶりまわす暴力変態男にならずに済んだことだけは、不幸中の幸いというほかない。


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