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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『カフカ・セレクションⅠ〜Ⅲ』/フランツ・カフカ

このジャンク寄せ集め短篇集を読むと、あらゆる物事に結末など必要ないような気になる。物語はもちろん、お笑いのオチも、様々な人生の節目も。「起承転結」とか誰が決めたんだよ、と言いたくなる。

そもそも世の中には、誰が決めたのだかわからないルールが多すぎる。どこの阿呆が思いつきで言いはじめた適当なルールかもしれないのに。それだったら、カフカのようなすこぶる頭の良い人の決めたルールに従ったほうが断然いい。だが残念なことに、カフカは全然ルールを教えてくれない。もちろん、「ルールなんてもう知ってるよ」とか言う思い上がった輩は、単なる嘘つきなので信用しないほうがいい。

さて、なぜそんな結末不要気分になるかというと、この短篇集、実は「断片集」なのである。つまりそれぞれがろくに完成していない。 中にはいちおう最後まで書いてあるっぽい作品もあるが、 ほとんどの作品にはタイトルさえついておらず、中には「、」で終わったり、「って」とかで終わってる作品もあってびっくりする。唐突どころの騒ぎではない。

だが問題なのは、それでも抜群に面白いということ。 「結果より過程が面白い」というのは、スポーツにしろお笑いにしろ何にしろ僕はそう思っているのだが、それでもサッカーには結果があるし、漫才にはオチがあるし、物事はいちおう「。」で終わることになっている。 つまり「結果があることが前提としてある」からこそ、「過程が面白い」と言える部分があるわけで、さすがの僕も、応援しているアーセナルの試合を途中だけ観て結果を観ないなどという豪胆なことはしない。

未発表小説の書き出しを並べたような、つまりは「起承転結」でいえば「起」の部分のさらに途中までしかないような文章がそれだけで面白いというのは、やっぱりすごいことだ。いやカフカの小説には、基本的に「起承転結」なんて呼べる律儀な展開はないんだけども。『城』も『審判』も普通に未完だし。

さらに凄いのは、その面白さの質が、よくある「続きが気になる」系ではないということだ。文章が途中で終わってても、そこまでで充分満足できてしまうというか、なんかそれがベストな形に見えてしまう。「この先は書かなくて正解!」と素直に現状を受け入れさせてしまう力があるというか。「みんな義務感で最後まで書いているだけで、本当は作者が興味を失った時点でその作品をぶっつり終わらせてしまうのが一番精度が高いんじゃないか」と思えてしまう。ほんとにそういうことなのかもしれない。

考えてみれば人間はいつ死ぬかわからないわけで、人生をリアリティの基盤に置くならば、突拍子もない終わり方にこそ物語のリアリティがあるということになる。つまりは「ラストのオチを決めてから書く」というミステリー小説系の逆算的手法で書かれたものにリアリティなど見出せるはずもなく、単純に前から書いて思いがけなく終わる書き方でしか、本物のリアリティを生み出すことは不可能なのかもしれない。タイムマシンが発明されれば、また話は別なのだが。

新訳は総じてカフカの原文を生かす方向で行われれたようで、結果としてカフカ特有の混沌としたグルーヴ感が如実に浮かび上がってくる。読みやすさを優先し、複雑なリズムを単純な8ビートに変換したかのような池内紀訳に比べると読みづらいが、こちらの方が確実に面白く、おそらく作者の意図に近い。リズムを単純化することでつまらなくなるほどカフカの面白さは脆弱ではないが、こちらの訳のほうが良いのは言うまでもない。

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