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短篇小説「キュウリを汚さないで」

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 工場の真ん中にテーブルがある。テーブルの端で男Aがキュウリに泥を塗っている。

 その隣の男Bがたっぷり泥のついたキュウリを受け取ると、シンクへと走りそれを丁寧に洗う。男Bはそのキュウリを、シンク脇に引っかけてある泥まみれの布巾で拭く。キュウリは再びドロドロになるが、このドロドロは男Aがもたらしたドロドロとは何かが違う。何が違うのかは誰にもわからない。

 ドロドロのキュウリを預かりに男Cがやってくる。男Cは男Aのいたテーブルに向かい、そこでやはりたっぷり泥を塗ってから、ドライヤーでカラカラに乾かしてゆく。最初は熱風、仕上げは冷風。乾ききった泥キュウリは、すっかり違う表情を見せる。

 そこへ下駄を鳴らして男Dが来る。男Dは乾いた泥まみれのキュウリを受け取ると、それを作業着のポケットに入れて小一時間ほど工場の中を歩きまわる。この際に響き渡る下駄のリズムが、作業員らのモチベーションを著しく向上させた。

 約一時間後、歩き疲れた男Dがポケットからキュウリを取り出すと、それを目ざとく見つけた男Eがセグウェイで駆けつける。男Eはキュウリの匂いを嗅いでひとつ頷いてから、隣の工場までセグウェイを走らせ、そこにあるシンクでキュウリの泥をすべて洗い落とす。そしていま一度キュウリに鼻を近づけて満足げに頷いてみせる。

 男Fが匍匐前進で男Eに近づき、頭上で押しいただくようにしてすっかりピカピカになったキュウリを受け取る。男Fはそれを懐に入れると、隣の工場とのあいだにある中庭の花壇をくまなく這いずりまわる。もちろん懐にも肥沃な土は侵入し、キュウリはまたしても良い具合にドロドロになる。

 そこへ近づいてくるのが中腰の男Gだ。男Gは中腰のまま泥まみれのキュウリを受け取ると、それをシンクで洗ってからオリーブオイル、ごま油、サンオイルをまんべんなく塗り、塩こしょうと薄力粉を適量まぶしたうえで、改めてたわしで綺麗に洗ってから頭上でぶん回して乾燥させる。

 すると半身の男Hが中腰の男Gに近づいてくる。男Hは、半身の姿勢から中腰の男Gの頭上にあるキュウリに飛びついて奪い取る。そして工場の真ん中にあるテーブルの端で別のキュウリに泥を塗っている男Aのもとへ、やはり半身の姿勢で背後から近づくと、その無防備な後頭部へ持っていたキュウリを激しく振り下ろしたのだった。

 これが私の担当する「キュウリ殺人事件」の全貌である。少なくとも被害者の男Aを除く工員の全員が、口を揃えてそう証言している。

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