泣きながら一気に書きました

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短篇小説「何もない」

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 とある土曜日の夜、私は「題名のない音楽会」へ行った。

 それは「指揮棒のない指揮者」が指揮をとり、「バイオリンのないバイオリン奏者」や「チェロのないチェロ奏者」が「音楽のない音楽」を演奏する素晴らしい音楽会。ないのは題名だけでなく、あるのはただ静寂のみであった。

 出不精の私をこの素敵な会へと出向かせたのは、「友達のいない友達」からの「誘い文句のない招待状」である。

 では「友達のいない友達」にとっての私はいったいどういった存在であるのか。むろん彼には友達がいないはずなので、私とてご多分に漏れず友達ではないと思うのだが、その手紙は間違いなく私宛に送られてきたものだ。

 招待状には、当然のように私を招待する旨などひとことも書かれておらず、その内容は彼が飼っている「名前のない猫」に名前がない理由であったり、彼が患っている「病名のない病気」にまつわる「エビデンスのない現状報告」であったり。つまりは、こちらが「訊いてもいない質問」に対する「答えのない答え」で紙面は埋め尽くされていた。

 そもそもそれは「切手のない封書」で届いたため、私が受け取り時に郵便料金を支払わされたのだが、そんな「内容のない手紙」一枚で「題名のない音楽会」に入場できたのは、そもそもこの音楽会に題名がないおかげである。

 題名がないせいで、どれがこの音楽会の入場券でどれがそうではないかの区別が叶わず、チケットの確認作業全般が放棄されていたのだと思われる。提示された紙になにかしらの文字が書いてあれば、いや文字などひとつも書いていなくとも、それがけっして不正解でない以上、入場を断るのは難しい。

「題名がない」というのはつまり「正解がない」ということであり、すべてが「正解である」ということでもある。

 そして「題名のない音楽会」をすっかり堪能した私と「友達のいない友達」は、そのままの流れでディナーへと繰り出すことになった。その際、私の「ガソリンのない自動車」と彼の「エンジンのない自動車」のどちらで移動すべきかでちょっとした小競りあいになったが、どちらにしろ走らないので結局タクシーで向かうことになった。

 到着と同時にちょうどガソリンが切れた私はまだしも、彼がそのような自動車でどうやって会場にまでたどり着いたのかは謎であった。あるいは、「題名のない音楽会」の最中に「心ない泥棒」によって車の心臓部であるエンジンをごっそり盗まれるなどという「身も蓋もない犯罪」があり得るのか、どうか。

 タクシーを降りた私たちは、以前から二人でいつか訪ねてみたいと話していた「看板のない料理店」であり「国籍のない料理店」であり「料理長のいない料理店」であり「ウェイターもウェイトレスもいない料理店」であるところの「何もない料理店」へと足を踏み入れ、ただ「ミネラルのないウォーター」を飲みながら、「椅子もテーブルもキッチンもない料理店」の床に座って二時間ほど「中身のない会話」を楽しんだのち、「今日は楽しかったね!」と「心にもない感想」を互いに口にしながら、「またいつか!」と「あてのない約束」を交わして解散したのだった。

 ひとことで言えば「何もない一日」ということになる。

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