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書評『声の網』/星 新一

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これは物語のふりをした、世界一読みやすい予言の書であるかもしれない。

予言の書は予言が現実化する前に読まねば意味がないように思われるが、いざ見事にすべてが現実化してしまったあとのいま読んでこそ、背筋の凍る答えあわせが楽しめるというメリットもある。そういう意味では、いまこそ読まれるべき作品であるとも言える。

本作が書かれた1970年時点で、「個人情報」という感覚を持っていた人が果たしてどれほどいただろうか。ましてや「個人情報」というものに潜む計り知れぬ危険性を。

アイドル雑誌に、ファンレターの宛先としてタレント本人の住所が当たり前のように掲載されていた時代。そんな時代があったという事実が、いまやまるで信じられない状況になってしまった。情報に無防備すぎたあの頃が異常だったのか、情報漏洩を恐れすぎるいまこそが異常なのか。

星 新一といえばショートショートの人でありそちらはそれなりに愛読していたが、これは連作短篇であるということで興味を持った。全体として長篇を構成しているとはいえ、全12章の各章は、最終章をのぞけばそれぞれ独立したエピソードとなっており、同じ「メロン・マンション」に住む各階の住人が、それぞれ主人公として順番に描かれてゆく。

それら各章のエピソードから浮かび上がってくるのは、各人が「声の網」=「正体不明の電話の声」に追いまわされる「情報化社会の恐怖」である。

それぞれの章で登場人物は異なるものの、各章で語られるエピソードはかなりパターン化されたうえで並列に並べられているため、バリエーションにはやや乏しい印象がある。その点、長篇ならではのダイナミックな展開というものは、あまり有効に使いきれていないかもしれない。音楽で言うならば四つ打ちのリズムが繰り返されるテクノ・ミュージックを彷彿とさせる。

やはり星 新一は根本的にショートショート向きの思考回路と表現技術を持つ作家であって、その型を無理に崩さぬまま素直に長篇化していることに好感を持つか、それを保守的で期待はずれと捉えるかは評価の分かれるところだろう。個人的には前者寄りの感想だが、根っこのアイデアが素晴らしいだけにもう少し長篇としての展開や意外性が欲しかったという欲も出ないことはない。

しかし似たような形でそれぞれの住人をクローズアップして各人の問題が語られる中で、第7章の主人公である少年だけが、ただひとり全体の状況を冷静に俯瞰する防犯カメラのような視点を持っている。それが大人ではなく少年であるというのがまた興味深い。

停電という緊急事態の最中、マンションの7階から眼下の広場を眺めている少年はこんなことを考える。

現代における事件の意味と必要性が、少年にいくらかわかってきた。むかし、事件といえばいやなことであり、それ以外のなにものでもなかった。そのごマスコミが発達してからは、事件が娯楽の意味を持つようになってきた。事件のニュース、事件の中継、それらは人びとを楽しませる要素をおびた。それに教訓としての意味がすこし。
(中略)
 すべてが平穏では、情報は発生しない。しかし、事件が起ると、変化した環境のなかで、人はさまざまな反応を示す。情報はより広く、より深く、より多様にうまれ、それは採集され、将来のために準備されるのだ。事件の必要性はここにある。事件は起らなければならない。起らなかったら、起さなければならない。

これはまるで、現代ユーチューバーの主張ではないか。そして少年はそんな自身の思考にいくらか疑問を持ちつつも、ずっと考えていた「いまの世の中でいちばん重要な仕事って、なんだろうな」というテーマについて、目の前の現実からぼんやりと導き出した結論に至る。

いまの社会でいちばん重要な仕事とは、事件を起す人ということになってしまう。新しい情報を発生させることで、各方面がそれで利益をえる。変なしくみだなあ。

いま我々がユーチューバーという「職種」に対して抱いている印象が、まさにこの「変なしくみだなあ」という言葉に集約されているように思う。「事件を起す人」というのも、まさに。

まだ1970年であるがゆえに小説の題材は電話だが、内容的にはまさしくネット社会をSNS社会を、そしてユーチューバー全盛のいまを予見している。英訳すればまさしく「ネット/ウェブ」となる「網」という言葉を含む何気ないタイトルも、いまとなってはのちのネット社会を見透かしていたかのようで震えが来る。

優れたSF作品というのは無機質な機械及び自動化された社会をメインに描いているように見えて、結果的に人間及び人間社会の本質を容赦なく如実に炙りだす。そして作家の創作力はこの少年のように、間違いなく人間観察を出発点とする人間への想像力/洞察力を基盤とする。でなければ、まだ見ぬ機械にコントロールされる人々の言動など、リアルに予見して描けるはずもない。

ということはつまり、ここで予見されている世界観/人間観は、どのように我々の通信・コミュニケーション環境が変化しようと、人間が生き続ける限りこの先ずっと当てはまり続ける運命にある。

そういう意味で本作は、現代を予言した過去の書であるというだけでなく、この先の未来をも予言してしまっている希望あるいは絶望の書であるのかもしれない。


声の網 (角川文庫)

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Awake

Awake

  • アーティスト:Dream Theater
  • 発売日: 1994/10/03
  • メディア: CD

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