泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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ハイブリッド車と今川家

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先日道を歩行していたら、一分間に二度も後方から迫るハイブリッド車に膝の裏を轢かれそうになった。まさに静かなること山の如し。鋼鉄の膝カックン。

静けさは時に狂気を感じさせることがあるが、あの静けさは凶器である。おかげで桶狭間において織田軍の伏兵に襲われた今川義元のような気分になった。なので今川焼きを食べた。嘘である。今川焼きへのエンカウント率はそんなに高くない。

けっして道の真ん中を歩いていたわけではない。乗れもしない自転車に乗った美川憲一に叱られるからである。いつものようにおとなしくモンローウォークしていただけだ。ステップした右足の脇をかすめるようにハイブリッド車が過ぎ去っていった。

耳は小さいほうだが遠くはない。耳垢がたまっているわけではないが耳毛に憧れてはいる。憧れたから生えるとは限らないし生えてほしくもない。他人に生えていたら憧れるが自分に生えてほしくはないのだ。

しかし時代はすっかり高齢化社会である。耳の遠いご老人はますます増えている。近ごろは高齢運転者による自動車事故が頻発しているが、当然歩行者も高齢者が増えている。にもかかわらず、音のしない自動車というのは時代に逆行しているのではないか。エコという意味では時代の最先端を走っているのかもしれないが、高齢者対応という意味ではむしろ時代に逆らっている。

問題はその走行音の静けさだけでなく、運転者自体がその静けさを明確に自覚していない点にある。いまハイブリッド車を運転している運転者の多くは、ハイブリッド・ネイティブ(初めて運転した車がハイブリッド車である人)ではない。つまり自動車というのはその音によって自然と歩行者に気づかれるものであるという、かつて運転していたガソリン車で身についた感覚がいまだ更新されていないのである。

これはそれこそ、ハイブリッド車の運転者自身が歩行者としてハイブリッド車に轢かれかけるような目にでも遭わない限り、自覚し得ない感覚であるのかもしれない。

技術を研ぎ澄まし効率化を追求していくことは人類に素晴らしい恩恵をもたらすが、その先には安全のため、わざわざ一歩後退するような手段が必要となることもある。

たとえば都市ガスの臭い。危険なガス漏れに人が気づきやすくするため、本来無臭である天然ガスにわざわざ不快なたまねぎ腐敗臭を添加している。そして真っすぐ平坦であるほうが走りやすい高速道路を、わざわざ右に左にうねらせたり地面に凹凸をつけたりしているのは、居眠り運転防止のためである。

いずれも有名な話だが、人間の不完全さを補うためには時に進歩とは逆を行くような、馬鹿みたいな策が必要となることもある。

などと考えていたら、ツイッター上で時代の一歩後ろと見せかけて一歩先を行くような、三歩進んで二歩下がる水前寺清子的な素晴らしいアイデアを提唱しているツイートを見つけた。

こんな立派なことを言うのはカルロス・ゴーンドクター中松かな、などと考えるまでもなくこれは僕こと今川義元のツイートである。今川義元はだいぶ嫌いな部類の武将なのだが、冒頭でそういうことにしてしまったのだから仕方ない。今川焼きはわりと好きなので、今川家に対する印象は50/50だ。そしてこのアイデアは却下だ。こんなニュースもあるようだし。

news.tv-asahi.co.jp

あれもこれも、技術がもう一歩進歩して完全自動運転が実用化されれば、すべて解決されるのだろうか。そう考えると、これは技術の発展途上で起こりがちな、過渡期特有の一時的な問題なのかもしれないが、ウチではつい先日、電子レンジが暴走して止まらなくなるというワイルド&クレイジーな壊れかたを披露したばかり。

元来不完全なてめえら人間の拵えたもんに、完全を求めるなんざあそもそもお門違いだろうが、とレンジの野郎が。




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短篇小説「炎上ビジネス feat. マッチ売りの少女」

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ある冬の夜、少女が路上でマッチを売っていた。少女がマッチを売っていたのは、マッチを買うおじさんがいるからであった。好きで売っているわけではない。

マッチを買うおじさんもまた、マッチが好きなわけでも必要なわけでもなかった、マッチを買うおばさんがいるからマッチを買っていたのである。つまりおじさんもまた、少女から買ったマッチを別の路上でおばさんに売っていた。

マッチを買うおばさんがマッチをどうしても欲しいかというと、そんなことはない。家にはガスコンロもライターもチャッカマンもある。おばさんはただ、マッチを買ってくれる少女に売るためにのみ、マッチを買っていたのである。

このマッチを買ってくれる少女というのは、路上でおじさんにマッチを売っている例の少女だった。少女はおばさんに問うた。

「なんか最近高くないですか、マッチ」

おばさんは答えた。

「仕入れ値が高いのよ」

現代資本主義は需要と供給の関係で成り立っている。こうしてマッチの市場価格は値上がりを続けていった。まさにWin-Winの関係と言うほかない。


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メタリカ新作ディスクレビュー『HARDWIRED…TO SELF-DESTRUCT』/METALLICA

METALLICAというバンドの本質的魅力を炙り出すための試金石的作品――あくまでも試金石――

METALLICA8年ぶりの新作は、まるで「これまでお前はMETALLICAのどこに魅力を感じてきたのか?」と厳しく問いかけるような、ある種の試金石のようなアルバムである。

しかしその佇まいはすこぶる緩く、緊張感を感じさせない。あらゆる意味においてルーズであり、冗長な作品である。良く言えば率直で、生身。それを「ロックンロール」なスタンスと見るか、単に惰性や練り不足と感じるか。つまりこのアルバムと対峙することは、聴き手が自分自身に「ロックとは何か?」と問いかける作業でもある。

――と、もっともらしいことならいくらでも言えるのだが、正直そんな観念的なことはどうでもいい。要はひとつひとつのリフのクオリティであり、歌メロの魅力であり、その組み合わせによる楽曲の構築美であり、演奏のスリルである。それらが、全方位的に物足りない。音色は前作『DEATH MAGNETIC』に近いが、クオリティはだいぶ劣る。

ルーズでもスリージーでもなんでもいいが、結局のところパーツの精度が低ければ魅力はない。そういう意味では、『LOAD』『RELOAD』を思い出す。

本作におけるわかりやすい議題は、「速い曲が少ない」という点である。作品中、初期METALLICAを彷彿とさせる純然たる疾走曲は、DISC1の①「Hardwired」④「Moth Into Flame」と、DISC2ラストに帳尻を合わせるように配置された⑥「Spit Out The Bone」の計3曲。DISC1②「Atlas, Rise!」もやや速めではあるが、METALLICAの中では疾走曲というほどでもないだろう。つまり全12曲中9曲がミドルテンポの楽曲で占められている。

問題はそれだけではない。もしかするとより大きな問題は、それら大半を占めるミドルテンポの楽曲が、「途中から加速しない」という点にあるのかもしれない。つまり、楽曲の最初から最後まで、ローのまま終始ギアが変わらないのである。

これはちょっと、METALLICAのファンに特殊な感覚であると同時に、METALLICAがファンを「そう育ててしまった」側面があると思っている。彼らの楽曲には、ジリジリと上り詰めたのちに急降下するような、いわばジェットコースターのような緩急を持つ名曲が少なくない。たとえば彼らの代表曲のひとつである「One」のように、出だしがかなりおとなしめの楽曲であっても、中盤からガッとギアを上げて疾走することで急激な上昇曲線を描いていく型の。

たとえばDISC2②「Manunkind」には、中盤で明らかにそれを期待させるギアチェンジのポイントがある。しかし多少のリズムチェンジはあるものの、急加速を伴う劇的展開が訪れることはなく、この曲はミドルテンポのまま引っ張って終わる。

そういえばその昔、メタル好きの友人が当時MEGADETHのギタリストであったマーティ・フリードマン絡みで喜多郎の音楽を勧めてきたことがあった(マーティは喜多郎都はるみの影響を公言していた)。僕はそのあまりにアンビエントな音楽の中に、MEGADETHMETALLICAにも通じるメロディラインを何かしら感じたからこそ、友人にこう言った。

「で、これ、いつ速くなるの?」

もちろん、喜多郎はスラッシュ・メタルでもなんでもないから、速くならないのは当然わかっていた。しかし逆に言えば、静かに漂うようなメロディ-でも、途中から急加速すればMETALLICAの「Battery」ように格好よくなるのではないか、と感じたのも事実だった。

つまり僕はメタリカの楽曲を聴くときに、たとえ途中までダルい曲であっても、「そろそろ加速してなんとかしてくれるはずだ」と期待しているらしい。

――と、こういう書きかたをすると、「こいつは単に速い曲が少ないというだけで不満を言う狭量なメタルヘッズだ」と思われるかもしれない。しかし僕がMETALLICAの最高傑作だと思っているアルバムは、『MASTER OF PUPPETS』と『METALLICA』(通称:ブラックアルバム)の二枚なのである。

言うまでもなく後者は、その「遅さと重さ」が当時メタルファンの間で物議を醸した。僕もこの作品を好きになるまでには、相当な聴き込み期間を要した記憶がある。そういう意味で『METALLICA』というアルバムは、僕に「聴き込みの重要性」を教えてくれた作品でもある。第一印象がすべてではないし、性急な判断は、大切な出会いを見逃してしまうことになるかもしれない、と。

つまり僕は、METALLICAの速さ「だけ」に魅力を感じているわけではない。METALLICAが「速さを取り戻した」アルバム『ST.ANGER』も、当初はかなりワクワクしたものだが、思いのほか飽きるのが早く、むしろ「速さが魅力には直結しない」ことを改めて思い知らされた。

速ければ良いというわけでも、展開が複雑ならば良いというわけでも、音質がクリアならば良いというわけでもない。そんなことは全音楽を通じて当たり前のことなのだが、結局のところは最初に書いた結論に戻る。

過去に彼らが生み出した名作群に比べて、個々のパーツにもその組み立てにも、クオリティが足りない。素材そのものが悪いのか、磨きや練り込みを徹底する忍耐力やモチベーションが足りないのか、それとも良い素材を見極める選択眼が曇ってきているのか、そこは本人たちでなければわからない。

しかし曲が遅くても単調でも、その質が高ければ名曲になり得るというのは、彼ら自身が『METALLICA』という作品で鮮やかに証明してみせたことだ。

このアルバムの中で、現時点で今後繰り返し聴く可能性を感じているのは、DISC1の①「Hardwired」②「Atlas, Rise!」④「Moth Into Flame」の3曲くらいだろう。結局速めの曲ばかりだが、ミドルテンポのリフは、やはり相当なヒネりや中毒性がないと厳しいというのも事実。

その点『METALLICA』におけるリフの練られ具合は、とんでもないレベルにあったということを改めて思い知らされる。いまや自らも到達できないレベルに。名作とはそういうものだ。

そうは言っても、本作も念のためもう少し辛抱強く聴き込んでみようとは思っている。何しろMETALLICAは、僕に聴き込みの重要性を教えてくれたバンドの作品であるから。

だが発売直後とはいえ、すでにかなり作品を聴き込んだうえで僕はこれを書いている。心のどこかで、これもまた「スルメ盤」であってくれと願いながら。


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メタリカハードケース・バンドロゴ

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