読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

トランプが家康でヒラリーが淀君で夫のビルは草履取り? 米大統領選を戦国時代にたとえて説得力を喪失する話

コラム プレイリスト

f:id:arsenal4:20150605232434j:plain

このたびのアメリカ大統領選において、ドナルド・トランプがショッキングな勝利を収めた。大統領選といえばもちろん政治の話だ。僕も政治学科出身者のはしくれとして何かを言ってみようと思ったが、大学で何かを学んだ覚えがないということをすぐに思い出した。自転車通学の最中にピザ屋のバイクと正面衝突したが無傷だった記憶はあるので、たぶん大学に通ってはいたんだと思う。

何かもっともらしいことを言おうとすれば、すでに誰かにそれを言われていることを発見してしまうのが現代SNS社会の悲劇である。今日もそんな発言を発見してしまったので、素直に引用してみることにする。この言葉が今回の大統領選の、いや今の世の中に蔓延している不穏な空気をすべて言い表しているように思う。

念のために言っておくが、僕もこんなことを感じていたような気がしないでもないのである。いや、さらにもう一歩念入りに考え直してみたら、僕もこんなことを言いたかったのである、と言ったほうが正確であるような気がしてきた。つまりこんな言葉は全然思い浮かんでいなかった。どうりで目の下にびっしりウロコがこびりついていたはずである。では、どうぞ。



たぶんこの文章に尽きるというか、シンプルにそういうことなんだと思う。「核ボタンがリセットボタンにならなければいいな」と願うばかりである。

それにしてもあまりにもよく書けているので、改めて読んでみて、これが自分の脳内から生まれ出た言葉でないことを確信した。政治的発言は他の人にお任せして、いつものようにちゃんとふざけてみようと思った。

僕は大学時代、勉強しない代わりに司馬遼太郎の小説ばかり読んでいた。なのでなんでもかんでも武将にたとえて考える癖があって、状況を関ヶ原に置き換えてみるとわかりやすくなると考えている節がある。

今回のアメリカ大統領選を関ヶ原にたとえてみると、トランプが徳川家康でヒラリーが石田三成、ということになるだろうか。「たぬき親父」と「才気煥発な官吏」。しかしややフェミニンな感触があるとはいえ、三成が女性というのはいまいちピンと来ないのも事実。

では状況を、大阪の陣に置き換えてみたらどうか。やはりトランプは家康、一方の豊臣方で実権を握る淀君がヒラリーということでどうだろう。ますます老獪さを増す「たぬき親父」と「ヒステリックなお嬢」。となると自動的に、旦那のビル・クリントンは秀吉ということになる。

しかし大阪の陣は、そもそも家康が江戸幕府を開いたのちの圧倒的有利な体制下で起こったものにあるから、状況的には五分五分である関ヶ原のほうが今回の状況には近い。しかもトランプはたぬき親父ではあるだろうが、「鳴かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」というような辛抱強さはまったく持ちあわせていないように見える。どちらかというと「殺してしまえ ホトトギス」の信長タイプだろう。

さらにはビル・クリントンが秀吉というのも全然ピンと来ない。彼に関しては当方、モニカ・ルインスキーの一件しか覚えていないからだ。あれを「一夜城」の逸話に置き換えるのは、さすがに無理がある。「一夜城」がラブホテルの名称、あるいはホワイトハウスの別称ならば別だが。

しかし側室という意味では、むしろモニカこそが淀君であるという説も…?(ない)

こうして、「なんでもかんでも武将にたとえればわかりやすくなる」という自説はもろくも崩れ去った。余計にわかりにくくなるだけである。確実にOLに嫌われそうな語り口だ。

考えてみれば、まったく国も時代も異なる話とはいえ、関ヶ原大坂の陣も、政治といえば同じ政治の話である。政治の話題に政治のたとえを持ち出したのが根本的な間違いであり、同じジャンル内の比喩は野暮になることが多い。ステーキの味を「焼肉みたいですね!」と形容する、笑顔が取り柄のグルメレポーターみたいなことになっているような気がする。

なので政治の話題は、政治とは関係ないものにたとえなければならない。そもそもたとえる必要がどこに?

どうせやるならば、一番遠いものにたとえてみよう。(だからたとえる必要がどこに?)それはやはり、「お笑い」なのではないか? いや実際には、西川きよしそのまんま東をはじめ、お笑いから政界に入った人はたくさんいるのだが、その「遠くて近い感じ」など、まさしく比喩に持ってこいである予感がしないでもない。

ヒラリーといえば、響き的に谷啓の名作ギャグ「ガチョーン」に対するリアクション「ハラホロヒレハレ」を連想する。しかし実のところ姿形が谷啓に似ているのは、皮肉にもむしろトランプのほうなのである。つまり二人あわせて、ようやく「谷啓が完成する」というわけだ。こんなに美しい話があるだろうか。

現状とはまったく異なるが、なんだか随分まとまったような気がするではないか。するといったらするのである。「気がする」だけまだいいほうだ。ちなみに谷啓師匠の偉大な功績に関しては、各自調べていただきたい。それは言うまでもなく「国民の三大義務」のひとつであるのだから。


Peace Sells But Who's Buying

Peace Sells But Who's Buying

広告を非表示にする
Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.