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短篇小説「スプーン女子」

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スプーンおばさん」こと丸坂匙代は、一切の優柔不断を許さない性格に生まれた。おそらくそれは、スプーンという「片面(=凹面)しか使用しない道具」を携えてこの世に生を受けてしまったからだろう。右手に持って生まれたものがスプーンではなく箸であったなら、「挟む」「突く」「載せる」など用途が広範にわたる分、より柔軟な性格に成長していたのかもしれない。

それはつまり、匙代が何ごとにつけても白黒はっきりさせるタイプであるということを意味していた。だから匙代は、職場であるキッチンの床のタイルも、家主の許可のもと白と黒の格子柄にカスタマイズしていた。匙代は地元の大地主の豪邸で、住み込みの家政婦として働いていた。

ある朝、匙代がキッチンで朝食のスープを煮込んでいるところに、この家の長男の駄々彦が無遠慮に足を踏み入れてきた。その放蕩息子っぷりには、家主もほとほと手を焼いている。

「なぁんだ、またスープかよ」

駄々彦はぐつぐつと煮込まれている鍋を覗き込みながら、変わりばえのしないメニューへの文句を口にした。

「スープはスプーン一本で食べられるからねぇ」

匙代はいつも、スプーンで食べられる料理しか作らない。お陰でこの家の住人たちの顎は、日に日に弱くなるばかりであった。

そのひとことで駄々彦の苦情をあしらったつもりの匙代は、すっかり日常の業務に戻って鍋の見張りを続けた。駄々彦はその背後を右に左にうろつきながら、なにかもうひとことくらいは喰らわせてやりたい様子であったが、とにかく馬鹿なのでなにひとつ言葉が思い浮かばず、ただジタバタしていた。

だが人間、何ごとでも続けていればそれなりに上達はするもので、背後で鳴り響くその足音が刻むリズムを、いつの間にか心地よく感じていることに匙代は気づいた。心なしか、鍋をかき混ぜるスプーンを持つ手もリズミカルに躍動している。

しかし心地よい時間が、永遠に続くことなどあり得ない。動いていたものは、いずれ停止する運命を背負っている。

やがて駄々彦のステップが止まった。すると匙代は激怒した。匙代はスプーンを振りかざして駄々彦に襲いかかった。

「あんた、そこをどきなさい! 冷めてしまうじゃないの!」

心地よいステップが止んだことに怒っているのではなかった。匙代は、鍋の火が突然消えたことに怒っているのだった。それは駄々彦が左右の足を、白と黒の四角形で埋め尽くされた床の、黒いタイルの上にそれぞれ載せて動きを止めたせいだ。

このキッチンの床板は、ガスコンロのON/OFFの機能を果たしていた。白いタイルを二箇所踏めば点火し、黒のタイルを二箇所踏めば消火する。わざわざ「二箇所同時押し」の設定にしたのは、もちろん誤動作を防ぐ配慮からであった。

すべては匙代の設計である。匙代はこのキッチンを、他の誰にも操作されたくなかったのかもしれない。

匙代にはじめて怒鳴られた臆病者の駄々彦はすっかり腰を抜かしてしまい、しばらく黒いタイルの上から足をどかすことができなかった。匙代はその間に冷めきったスープを、朝食を待ちかねた家主に提供せざるを得なかった。

ところが家主は、思いがけずこれを気に入ってしまったのである。かくしてこの世に「冷製スープ」というものが生まれた。

「この際、冷めきったコーンスープを、どうにかして棒状に固めてみたらどうかしら。ちくわみたいに、真ん中に穴を開けてみたりして。なんだかもの凄くうまい、棒みたいなものができるような気がしないでもないわ」とは、すっかり調子に乗ったスプーンおばさんの談。

人生いろいろ、スープもいろいろである。


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