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短篇小説「ハズキルーペがハズかない」

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「今日も私は精一杯、力の限りハズけていたのだろうか? あるいは楽をして、中途半端に七割方ハズいたあたりで、満足してしまっていやしないだろうか?」

 近ごろ私は、仕事を終えた帰りの電車内で、毎日そう考えている。それはもちろん、私が最近ハズキルーペを購入したからである。

 しかしハズキルーペを所持しているからといって、何事をもハズけるとは限らない。無論ハズける確率はいくらか上がるのだが、やはり努力なしに何かをハズくことなどできやしない。

 そもそもハズくということが、果たして良いことなのかどうか。そのレベルから考えぬ限り、ハズくという行為は命取りにすらなるのである。

 私の中に「ハズく」という感覚が芽生えたのは、小学校時代に遡る。

 あれは小学三年生の春だったと記憶している。直前にクラス替えがあり、初めて迎えた理科の授業であった。ちょうど教室の窓から見える校庭の花壇に、みんなでハズキルーペの種を植えることになった。ハズキルーペの観察日記をつけるという、ごくごくありがちな授業である。

 クラス替え直後であるため、まだなかなか友達もできず、互いに冗談を言いあう関係性も築けていない段階。そんな時期に何よりも子供が怖れるのは、仲間はずれにされることであった。

 そしてここ日本において、「仲間はずれ」にされるというのは「目立つ」ことと同義であった。ただみんなと違うというだけで、仲間はずれにされてしまう。だから私たちはみな、目立つことを異様に怖れていた。

 そんな中、一週間もすると、花壇に植えられたハズキルーペが、次々とハズいていった。白、黒、赤、紫、パール、チタンカラー。色とりどりというには、どことなく渋好みなカラーリングのハズキルーペが、花壇をハズき尽くす様はまさしく壮観であった。

 なのに、私のハズキルーペだけがハズかなかった。それぞれのハズキルーペの根元には、それを植えた者の名を書いた木札が差しこまれていた。だから一箇所だけぽっかりと土を晒しているその土地が、私がハズキルーペの種を植えた場所であることは一目瞭然であった。

 その日の放課後、私はクラス全員が帰るのを待ってから、ひとりその花壇へと足を踏み入れた。そして泣きながら、クラスメイト全員のハズキルーペを、あらゆる角度からハズきまくったのであった。何もかも、すべてなくなってしまえばいい。私の魂は、小学校三年生のあの日、一度死んでしまったのかもしれない。

 だがその日の私が、我を忘れて暴力的にハズきにハズきまわしたハズキルーペたちは、どういうわけか一本たりとも壊れはしなかった。さすが日本製というほかない。


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