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短篇小説「言うだけ刑事」

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「おい、待て! さもないと撃つぞ!」

言うだけ刑事が、今日も威勢よく声を張り上げる。しかしそこはもちろん言うだけ刑事。ただ単にそう言っているというだけの話で、拳銃を抜く素振りもなければ、追いかけることすらしない。公園のベンチで悠然とカップラーメンをすすりながら、叫ぶだけ叫んで食い逃げ犯を悠然と見送っている。

そこへエプロン姿にコック帽の定食屋の主人が全速力で泣きついてくる。自分が周囲に助けを求めながら犯人を追いかけてきたルート上に、刑事が暇そうに座っているのを発見したからである。

「何やってるんですか刑事さん、あいつを捕まえてくれなくちゃ」

「言ったよ。俺は言うだけ言った」

言うだけ刑事は微動だにせず、ただいつもの返事を繰り返すのみだ。

そもそも彼が刑事を志したのは、「この世から暴力をなくしたい」という一途な思いからだった。だが念願の刑事になった彼に与えられたのは、一丁の拳銃という、暴力の象徴とも言うべき代物であった。暴力の根絶を目指す者が、最大の暴力を手にしている。皮肉と言うほかはない。

だから彼は、拳銃など一発たりとも撃たないと心に決めた。

――そのようなありもしない物語を、彼はいざというときのために用意していた。しかし実際のところは、単にすべてが面倒だから、言うだけで済ませたいというだけであった。

言うだけ刑事の発言に呆れた定食屋が犯人を追って立ち去ると、フラフラと公園に迷い込んできたお婆さんがベンチに近づいてきて訊ねた。

「すいませんが、駅はどっちでしたかね?」

「ああ、ちょうど僕も駅前の署に戻るところなんで、ご案内しますよ」

言うだけ刑事は、流暢にそう言うだけ言ってみた。

もちろん彼は言うだけ刑事だから、実際に道案内するつもりなど微塵もない。

しかし困ったことに、お婆さんはすっかり言うだけ刑事が案内してくれるものだと思い、ベンチの隣に腰を下ろして彼がラーメンを食べ終わるのを待っている。

そしてさらに困ったことに、彼がこれから署に戻らなければならぬことは事実であり、さらに署が駅前にあることも事実なのである。

つまり彼がこれから「駅前の署に戻る」という目的を遂行しようとすれば、お婆さんは案内してくれるものと思い、こちらにそのつもりはなくとも自動的に着いてきてしまうことになるだろう。

となると、言うだけ刑事は元来の「言うだけ」というポリシーに反して、結果的にお婆さんを駅まで案内することになってしまうではないか。

そう考えた結果、言うだけ刑事はすっかり石のように身動きが取れなくなってしまった。このお婆さんは新手のメデューサなのかもしれない。どれだけ歳を重ねていようと、手口が斬新であければ新手には違いない。

「言うだけ」のほうが面倒なこともある――目の前で微笑むお婆さんから、そんな大切なことを学んだような気がしないでもない言うだけ刑事。彼は面倒を避けるためにさらなる面倒を生み出している自分の浅はかさにほとほと嫌気が差し、一念発起してお婆さんをおんぶすると、そのまま駅へ向かって駆け出したのだった。

背中に人の温もりを感じて走る駅への道中が、彼の運命を変えた。その道すがら、言うだけ刑事は先の食い逃げ犯に追いつくとこれを迅速に捕らえ、また時効寸前の指名手配犯がパチンコ屋から出てきたところに出くわすと、これもまた見事に逮捕した。後者の手柄はその後、彼が異例の大出世を果たし警視総監にまでのぼり詰める確かな足がかりとなった。

その背にお婆さんを背負い、右手に食い逃げ犯、左手に指名手配犯をそれぞれ手錠で従えた言うだけ刑事は、駅前でお婆さんを降ろし、そのまま目の前にある署へ向かった。

言うだけ刑事が犯人を引きつれて警察署へ入ろうとすると、後ろから素早く追い越してゆく影を見た。彼にはそれが、どういうわけか先ほど駅で降ろしたはずのお婆さんであるように感じられた。あのお婆さんにそのようなアジリティなど望むべくもないのだが、それでも彼の確信は揺るがなかった。

彼が署内に足を踏み入れて周囲を見渡すと、その影は階段奥の扉の向こうへと消えた。消えたのは影だけでなく、扉もまたそうであった。


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