泣きながら一気に書きました

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ポジティヴシンキングの末路

『ポジティヴシンキングの末裔』という、素晴らしいタイトルの本を読んでいる。

中身はまだ全然読み終わっていないので触れないが、とにかくこの題名が素晴らしすぎる。今という時代を完璧に言い表した言葉だと思う。それはもう、現代の病と言い換えてもいい。言い換えなくてもいい。カバー絵との組み合わせも秀逸。

昨日、「黒木瞳ディナーショー」こと『FNS歌謡祭』を観ていたときに、ちょうどこの「ポジティヴシンキングの末裔」という言葉を思い出した。

番組は、最近よくある形式の、過去の名曲の合間に最近の曲を挟み込む構成になっていたのだが、そうなるとはっきり浮かび上がってくる傾向がいつもある。いつからかこの国の音楽は、薄っぺらいポジティヴシンキングを押しつけるような歌ばかりになってしまったということだ。いつからこんなことになってしまったのだろう?

過去の名曲VTRが流される中で気づいたのは、90年代初頭に、その手のヒット曲が連発されているということ。KAN“愛は勝つ”(90年)、大事MANブラザーズバンド“それが大事”(91年)、槇原敬之“どんなときも。”(91年)。ここには明らかに、ひとつの流れがあるように思う。

この時期に世の中的に何があったのか、ということまでは、今の時点では何も思い浮かばないし調べていないのだが、何かこうなるきっかけがあったのだろうか? それともむしろ、“愛は勝つ”のヒットが、そういう流れを世の中に作ったのか?

昨日の『FNS歌謡祭』で最も印象的だったのは、黒木瞳の無駄変身を除けば、とにかく欧陽菲菲の“ラヴ・イズ・オーヴァー”だった。つるのとのデュエットでタイミングを自由自在に操作して煙に巻くその歌唱が何しろ圧倒的。そしてその後にVTRで流れた、美空ひばりが歌う同曲もやはり素晴らしく、「あなた」の「あ」の発音一発で楽曲全体を「和」に変貌させてしまうその力量に、改めて舌を巻いた。だがもちろん、そういった歌唱の魅力は、優れた楽曲と心をえぐるような歌詞の上にしか成立し得ないのも、間違いのない事実。

それに対し、「ポジティヴシンキングの末裔」としか言いようのない今の流行歌たちには、どんな歌唱力も表現力も無駄に響く。もちろん中には良い歌もあるのでそこはしっかりと見極め、発見していかなければならないが、まずは歌唱云々よりもその根本にある安易なポジティヴシンキングを諦めることからはじめなければ、歌のクオリティは上がりようがないのではないか。

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