泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

短篇小説「森の覇者アラクレシスの三択」

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森の覇者アラクレシスは覇者と呼ばれるくらいだから喧嘩は抜群に強かったが、ジャンケンがすこぶる弱かった。アラクレシスの生涯ジャンケン戦績は「400戦無勝」であったと言われている。そして彼の人生における重大な岐路には、必ずジャンケンが壁となって立ちはだかった。森に住む人々も動物たちも、みなジャンケンが大好きだった。

決定事項はすべて、ジャンケンで決めるのがこの森の通例であった。そして人生とはつまり選択の連続である。ジャンケンとはすなわち運命であり、誰もが運命から逃れられぬように、ジャンケンから逃れることもまた不可能であった。

アラクレシスが偉大なる森の覇者でありながら、大好物のチャーハンを生涯一度も食べることができなかったのは有名な話である。彼はもちろん食費に困るようなことはなかったし、それどころか森の中華料理店の常連であったにもかかわらず。

ランチタイムの中華屋に現れたアラクレシスは、店員を呼びつけるとメニューも見ずに毎度チャーハンを注文する。だがそこで、バイト店員はこの森においては恒例の、悪魔のひとことを言い放つのであった。

「いいですよ。僕にジャンケンで勝ったらね」

そしてアラクレシスは食べたくもないレバニラ炒めを食うハメになる。ジャンケンで負けた場合、メニューの選択権は勝者であるバイト店員に委ねられた。それがジャンケンというものである。つまりそれは「シェフの気まぐれランチ」ですらなく、料理などまったくしないホール担当が思いつきで決めた「バイト店員の気まぐれランチ」であった。アラクレシスは毎度、「どうせならシェフの気まぐれのほうが」と思った。

今となってみれば、あるいはアラクレシスが機転を利かして第一志望のチャーハンを「あえて頼まない」ようにしていれば、バイト店員のきまぐれ次第で「逆に」チャーハンが運ばれてくる可能性もあったのかもしれない。しかし敗者がチャーハンを注文している以上、勝者はその選択肢以外のものを、つまりはチャーハン以外のものを運ばなければならなかった。

とはいえこれが食事のメニュー程度のことであるならば、たいした問題ではなかったのかもしれない。しかしことが人生における重大事項である結婚となると、話は別である。アラクレシスは30歳の誕生日を迎えた日、ふと自分が森の女に恋をしていることに気がついた。そして今すぐに結婚して子孫を残すべきであると思い立った。

それは天からの啓示のようなものであったのかもしれない。今にしてみると、まるで彼の死を予言するようなタイミングであった。お前はもうすぐ死ぬことになるから、今のうちに結婚してあと継ぎを遺しておけ、と。アラクレシスが選んだの女は、森で最も鋭い斧を持つ有力な木こりのひとり娘だった。

女はアラクレシスの幼馴染みであり、彼女に限らず誰もが森の覇者としてのアラクレシスに当然のごとく憧れを抱いていたから、二人が恋仲になるのに時間はかからなかった。そして女の導きにより、アラクレシスは彼女の実家を訪問し、その父親である有力な木こりに結婚の挨拶をする運びとなった。

女の実家に到着すると、女と木こりはアラクレシスを笑顔で出迎えた。居間に案内されたアラクレシスは「つまらないものですが」と言いつつ木こりに森の銘菓を差し出して正座すると、深々と頭を下げ、男らしく単刀直入に自らの願いを申し入れた。

「お父さん、娘さんを私にください!」

アラクレシスは緊張のあまり、「お父さん」と言ったつもりがほとんど「お父しゃん」になってしまっていたような気がして不安に襲われたが、それに対する木こりの返答は拍子抜けするほどにポップかつキャッチーなものであった。

「あ、全然いいよ」

良かった。快い返事にすっかり安堵して女と顔を見あわせたアラクレシスに、しかし木こりからの思いがけない台詞が追撃をかけてきた。それは実のところアラクレシスにとって「案の定」な台詞でもあった。

「ジャンケンに勝ったらね」

木こりは満面の笑みを浮かべていた。アラクレシスは木こりと精一杯ジャンケンをした。アラクレシスはジャンケンに負けた。木こりは森で一番鋭い斧を振り回してアラクレシスを追い返した。結婚は破談に終わった。

その夜から、アラクレシスは浴びるように酒を飲むようになった。そして彼は何よりも「ジャンケンというシステム」を憎んだ。

ジャンケンが弱いのは、あるいは自分の「ジャンケンに対する理解」が浅いせいかもしれないと思いはじめた。考えてみれば、彼はパーがグーに勝ちチョキがグーに負けるというシステムに、いまいち納得がいかないような気がしてきた。

世に流布している説を信じるならば、グーは石、パーは紙、チョキはハサミを表しているという。パーがグーに勝つということはすなわち、「石は紙に包まれたら負け」ということである。しかし紙を包装紙と考えるならばむしろ包まれた石のほうこそが主役の商品であり、石が主で紙が従という関係になる。それでもなお紙側が勝利を主張するというのなら、角のある石であれば紙を容易に打ち破ることができるとつけ加えてもいい。

いずれにしても「包むが勝ち」という判定基準に納得がいかず、それでいうと服を着ている人間は常に服に負けていることになる。しかしハンガーに掛かった服を前に頭を垂れたり、支配者たる服に命令され使役されるような者は誰もおらない。

さらにグーとチョキの関係に関しても、石でハサミを必ず壊せるかというとこれが結構難しく、正直ハサミのクオリティ次第であるのは否めない。

それに比べるとチョキでパーを、つまりハサミで紙を切ることは容易であるが、紙は「切られたら負け」なのかというとこれもまた意見の分かれるところで、そもそも一般に売られている紙はより大きな状態からA4サイズなどに切り分けられた上で売られているわけで、つまり「切られていない紙」など市場には(製紙工場内のほかには)存在しないのである。

それでもハサミが紙に勝つというのならば、たとえば商品としてのA4サイズの紙は完成した時点で、もはや「生まれながらにして負けている」ということになりはしないか。この段に至っては、かようなジャンケンに代表される一方的な物の見方はあまりに屈辱的な偏見に満ち満ちていると言わざるを得ない。

つまりアラクレシスがジャンケンを苦手としているのは、これら三者の関係が彼の中で常に不安定であるからに違いないのである。結局のところ悪いのはグー、チョキ、パーの原型であるところの石、ハサミ、紙であって、ならばそれらをすべて禁止してしまえば良い。

アラクレシスはやがてそのようにラジカルな思想を持つに至り、彼は森の覇者の権限をもって、その三つの道具を所持する者を厳しく罰する法律を制定した。

それからの十年間、森の文明は大きく後退した。何しろ紙が禁止されていたため、この間の記録が残っておらず不明な点が多いが、言い伝えによればこの時期には縄で尻を拭く文化が復活していたという。

だが森の住民にとって、いや森の文明の進化にとって不幸中の幸いであったのは、アラクレシスの人生がこの「三品禁止法」制定の十年後には終焉を迎えたことであった。そして彼の死もまた、皮肉なことに森の少年が無邪気に持ちかけたジャンケンによってもたらされた。

「ねえアラク、暇だからジャンケンしようぜ! 命かける?」

森の覇者が禁じるべきは石、ハサミ、紙という物体ではなく、グー、チョキ、パーというポージングのほうであった。アラクレシスはとても正直な男だったという。


◆「A Tousand Trees」/STEREOPHONICS

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短篇小説「いい意味で唯々男」

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飯田唯々男はいい意味でいい加減な男だった。唯々男はいつもいいスーツをいい具合に着崩していたが、そのラフさが彼をいい意味でいい人に見せていた。

そのうえ唯々男は近ごろいい感じに太ってきているため、勢いよく息を吸い込んでスーツのボタンを留めるといい意味ではちきれんばかりになってしまい、そこから下手に息を吐いたが最後、いいように全ボタンがはじけ飛んで、せっかくのいいスーツがいい按配でつんつるてんになってしまうのではないかと思われた。

そんな唯々男46才もいい歳こいて恋をした。相手はいい意味でいい女すぎないOLの吉田良美で、彼の職場のいい感じに使えない部下がいい加減な気持ちで主催したいい意味で気の置けない合コンで知りあったのである。

しかし良美はいい意味で手ごわい女だった。いい意味でいい女すぎない良美は、逆にちょうどいい程度に声をかけやすいという理由からこれまでいい具合にモテ続けてきたらしく、唯々男は彼女からのいい意味で小悪魔的なメールの返信にいいように翻弄された。

そして彼はいい意味で思い悩むことによりいい調子で食欲をなくし、最近いい感じに太り気味だった体がさらにいい感じに痩せていったのであった。

だが結局のところ、この恋はいい意味で上手くいかなかった。なぜならば良美にとって唯々男はいい意味でいい感じにいい人過ぎて、いい具合にいい人止まりのどうでもいい人だったからである。

いい意味ですっかり傷心した唯々男は「ヤケ食い」という名のもとに威勢のいい食欲を取り戻し、再びいい感じに太りはじめたが、この太り方のいい感じは良美との恋に悩んで痩せる前の太り方よりもさらにいい感じの太り方だった。

そうしていい意味で失恋を糧に再び仕事に打ち込みはじめた唯々男は、やがていい関係にある取引先との重要な会議にいいポジションで出席することになった。

普段はいいスーツをいい具合に着崩している唯々男も、このときばかりはいい具合にボタンを留めて、ちょうどいい広さの会議室の座り心地のいい椅子に着席した。そしていったん落ち着くために唯々男が大きくいいサイズの深呼吸をすると、いい具合に留められていたスーツのボタンがいい勢いかついいタイミングですべて中空に弾け飛んだ。

それらの描き出した放物線の絶妙にいい角度からして、彼の太り方がいま最高にいい意味でいい程度にいい按配でいい感じであることは間違いないように思われた。


◆「Good Man Shining」/JOHN NORUM

Face the Truth

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レトロで新しく、ダサくてお洒落、そして激しくも美しい謎の幽霊バンド「GHOST」がとにかく素晴らしい

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魅力的なものというのは、時に「二律背反」の要素を兼ね備えているものだが、このスウェーデンのメタルバンドGHOSTほどその両極が入り交じることで魅力を生み出しているアーティストも珍しい。

実は2016年、個人的に最も衝撃を受けたのが、以下に挙げるこの「Square Hammer」という曲だった。そこにはまさに、表題に書いたような様々に相反する要素が同居しているわけだが、そんな対立軸まみれのカオス的状況の中心には、おそろしくキャッチーで質の高いメロディがどっしりと腰を据えている。あらゆる要素が絡みあうことでひとつの世界観を描き出す、完璧な1曲と言ってしまってもいいだろう。

このMVを観ると、それ以前に気になることが多すぎて上手く曲に集中できないかもしれないが(その点についてはのちに触れる)、どうか一切の偏見を捨てて、楽曲自体の素晴らしさに耳を傾けてみてほしい。だってこれ、普通に凄く良い曲だから。いや全然普通ではないんだけど、なんの構えもなく聴いても良いという意味で。

◆「Square Hammer」/GHOST

冒頭の印象的なキーボード、不穏さと優しさを同時に感じさせるヴォーカルの声質と歌メロ、テクニカルではないが味わい深いギター・プレイと音色、ここぞという場面で決定的なオカズを繰り出してくるドラムの妙。

音色的には、SPIRITUAL BEGGARSあたりの「ストーナー・ロックが最も正統派ハード・ロックに接近した状態」に近いかもしれない。その一方でドゥーム的なうねりやゴシック・メタルの耽美的な香りも強く、陰鬱でありながら時にポップなメロディを発するあたりは、「鬱病ビートルズ」の異名を取るグランジの雄ALICE IN CHAINSをも彷彿とさせる。

たとえばこの曲なんかは、かなりALICE IN CHAINSっぽいかもしれない。

◆「Cirice」/GHOST

ちなみにGHOSTはスウェーデン出身で、ヴォーカルのパパ・エメリトゥス3世と「ネームレス・グールズ」と呼ばれる楽器陣(各人の名前はなく、謎の記号で示されるのみ)によるバンドである。

――などと真面目に紹介すると馬鹿を見るが、正直ご覧の通りのメイクやコスプレといったコンセプチュアルな設定に関しては、KISSや聖飢魔ⅡSLIPKNOTを経た今となっては特に新鮮味もない。

とはいえさすがに、楽器陣を「ネームレス・グールズ」とひとくくりにしてしまうあたりの雑さには笑ってしまった。ちなみに「グール」とは「墓をあばいて死肉を食うといわれる食屍鬼」あるいは「残忍な事をして喜ぶ人」という意味。いずれにしても「あんまりな扱い」だが、そこらへんの冷めた感覚は逆に新しいんじゃないかという気もしてくる。明らかに本人が本人の演じる世界観を信じていないというか、完全に俯瞰した上でやっているというか。

そういった「古くて新しい」感触、あるいは「(自分も含め音楽シーン)全体を俯瞰した」感覚というのは間違いなくこのバンドの魅力になっていて、それが彼らの音楽に時代やジャンルを越えた「深味」と、不可思議な「幅」をもたらしている。

そんな彼らの音楽性の「幅」を象徴しているのが以下に挙げる「He Is」という曲である。これがもう一聴してサイモン&ガーファンクルかと耳を疑うほどに美しく透明感に溢れた、異様に清廉性の高いバラードで、その不気味なバンドイメージとのギャップに唖然とする。しかし極端に清いものは、また同時に極端に怖いという感覚もどこか腑に落ちる。

◆「He Is」/GHOST

この曲を聴けば、GHOSTの魅力の中心にあるのはあくまでも楽曲のメロディであるということが、誰にでも明確にわかっていただけることと思う。やはりメロディというものには、ジャンルを越えて伝わる普遍的な魅力がある。

GHOSTの音楽は、左様につかみどころのない多面的な魅力を放っている。しかしだからこそ、あらゆる対立軸を丸ごと飲み込むことが出来るという、底知れぬ懐の深さを感じさせる。どうやら彼らは、単なる「スウェーデンジャガーさん」ではないのである。

Meliora

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