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短篇小説「迷信迷走」

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 迷村信彦はスマホであれ一眼レフであれ、写真を撮られるのが嫌いだ。それはもちろん、〈写真を撮られると魂を抜かれる〉という迷信を信じているからにほかならない。

 なぜそうなのかは知らないが、おそらく生きた魂は固定されることを嫌うのだろう。その証拠に、〈動画を撮られると魂を抜かれる〉という説は聞いたことがない。

 信彦がパスタを食べるときにフォークで巻かないのは、〈パスタを巻くとどこかで何かのネジが緩む〉からだ。

 全世界の「巻き」の総量は決まっていて、誰かがどこかで何かを右に巻くと、どこかで何かが同じくそのぶん左に巻かれることで、この世界のバランスは保たれる。そんな「巻量保存の法則」を信彦は信じている。街の美容室でカットモデルが右巻きのパーマをかけた直後に、大気圏突破を試みるロケットのネジがいくつか左巻きに緩まる可能性だってあるのだ。

「来年の話をすると鬼が笑う」とよく言うが、ということは反対に「去年の話をすると鬼が泣く」ということになるはずで、信彦は普段から、絶対に去年の話はしないように気をつけている。

「鬼みたいな悪い奴は泣かせてやったほうがいい」という向きもあるだろう。だがそれこそ浅はかというもので、泣いた鬼は必ず全力で復讐にやってくるに決まっている。そうなればこちらは、泣く暇どころか豆を投げる間もなく惨殺されてしまうことだろう。

 しかし当然のことながら、普通に生きていれば去年の話をしなければならないこともある。そんなとき信彦は「去年の話」を「一昨年の話」として語るのだが、プライベートならまだしも、仕事でこれをやると混乱を招くことが少なくないのも事実であった。

 たとえば、去年から年をまたいで続くプロジェクトについて会議をしている場合。そこで誰かが去年おこなった作業について触れようものなら、「それって一昨年のことですよね!」と信彦から間違った訂正が逐一強めに入るからだ。

 しかし近ごろは同僚らもすっかり慣れっこになっており、信彦が「一昨年」と言った際には、「一昨年と去年の二年のうちのどちらかを指す」という解釈がすっかり一般化している。

 そして彼らは信彦に、「それってどっちの一昨年?」と尋ねることになる。対して信彦が、「前の一昨年です」といえば本当に「一昨年」を、「後の一昨年です」と言えばそれは「去年」のことを指していると理解する。そうやって同僚たちはようやく正確な実施年を確認するという、斬新かつ無駄に迂遠な手法すら編み出すに至ったのである。

 このように信彦には既存の迷信を勝手に応用する癖があり、ゆえに〈霊柩車を見たら親指を隠せ〉というかの有名な迷信にも複数のバリエーションを持っている。

「ということは、救急車を見たときには何指を隠せばいいんだろう? それにパトカーの場合ならどうする? じゃあ消防車とすれ違ったら、いったいどの指を隠せばいい?」

 信彦はそうやって場面ごとに分割して考え、それぞれの対象に合わせてふさわしい指を割り振ってゆく。

 そして信彦が出した結論はこうだ。街で救急車を見かけた場合には、適切な薬が素早く処方されるようにとの願いを込めて、薬指以外のすべての指を隠す。パトカーとすれ違った際には、欧米ではもっとも敵対心を示す中指を隠すことで、無抵抗の意志をひっそりと示す。また相手が消防車の場合には、咄嗟にひとさし指の先っぽを隠し、ひとさし指の頭文字、つまり「〈ひ〉を消す」ことにより、陰ながら応援の意志を表明する。

 しかしいずれも端から見れば単なるグーにしか見えないため、これまでその行為を咎められたことは一度もない。むろん効果のほどなどもちろん不明である。

 そんな信彦が、近ごろウーバーイーツの自転車とよくすれ違う。この場合はいったい、どの指を隠したら良いのだろうか?

 なんてことを考えながら信彦が昼休みにカフェでランチをしていると、女子二人の座る隣のテーブル席から、カシャカシャと写真を撮りあうシャッター音に、パスタを勢いよく巻きつけるフォークが皿の上を滑りまわる音が合わさり、果ては楽しげに「去年」の旅行話をする声までが耳に入ってきたのであった。

 幸いまだ注文していなかった信彦はあわてて店を出てオフィスに戻ると、そこでついに懸案のウーバーイーツを頼んでみることにした。とりあえず初回はすべての指を隠して注文を待つことにしたが、すっかりグーを握り込んだ状態で料理を受け取り会計まで済ませるのは実に面倒くさく、俺はいったい何をやっているんだろうと初めて信彦は思ったのだった。


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