ことわざは短くまとまっているからこそ有用である。
本来ならば長いこと説明しなければ伝わらないような人生の機微を、たった一行で伝えるからこそことわざには存在価値がある。
きっとそうなんだろうと思う。だけどそれだけじゃないだろう。本来の言いたいこと、言うべきことを短くまとめた際に切り捨てた部分というのが、少なからずあるのではないか。痛みを伴わない切り捨て御免などあり得ない。
そう考えてみると、ことわざは妙に短すぎるのである。もうちょっとくらいこう、情報を足しても良いのではないか。そう思って、ことわざの後にフレーズを足してみたらどうなるか、という実験を試みてみたい。いわば「ことわざ延長戦」である。
それによって新たにつけ足される意味が出てくるかもしれないし、180度意味が変わってしまうかもしれない。目指すところはもちろん、「蛇足」である。ありもしない蛇の足を眺めるような気持ちでご笑覧いただければ、これ幸いである。
◆《雨降って地固まる》
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《雨降って地固まりモグラ出られなくなる》
【意味】喧嘩して仲直りするのは勝手だが、そのとばっちりを受ける被害者がいることを忘れてはならない。
【解説】後半部分を加えることにより、ポジティブなことわざ全体を悲劇化。「雨が降る(ネガティブ)→地固まる(ポジティブ)」という夢見がちな右肩上がりの展開を、「雨が降る(ネガティブ)→地固まる(ポジティブ)→モグラ出られなくなる(ネガティブ)」というリアルな山型グラフに修正。
◆《へそで茶を沸かす》
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《へそで茶を沸かし爪の垢を煎じて飲む》
【意味】へそで茶を沸かすという行為を滑稽なだけで終わらせず、その優れたユーモアセンスにあやかってしっかり学びなさい。
【解説】へそだろうとなんだろうと茶は沸かしたら飲むものだが、せっかくなのでひと手間加えたいもの。そこで沸かした茶に、その茶を沸かすほど面白い人の爪の垢を投入して「爪茶」を作って飲むことにより、笑いだけでなく学びまで得ようという貪欲な警句。この場合、へそで茶を沸かす人間と、爪の垢を煎じて飲む人間は別人ということになる。
◆《へそで茶を沸かす》
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《へそで茶を沸かしたらティファールのCM出演依頼が来た》
【意味】規格外のことをすると、想定外の結果を得ることがある。
【解説】「へそ茶」の延長Ver.2。「へそで茶を沸かす」というのは明らかに特殊能力の一種であり、そのような才能を持つ人間に世間の注目が集まらないはずがない、という発想から自然に思いつくその後の展開案を加えてみた。CMを締めくくるキャッチコピーは「へそより簡単!」。
◆《鬼に金棒》
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《鬼に金棒、太子にあたり棒》
【意味】金棒が鬼を強く見せるように、アイスのあたり棒にも聖徳太子を知的に見せる絶大な効果がある。転じて、見た目は大事、の意。
【解説】「太子」とはもちろん「聖徳太子」である。聖徳太子も、あのお馴染みの棒を持っていなければただの人である。太子が十人の話を同時に聞けたのは、あのあたり棒が集音マイクの機能を果たしていたからであり、あれを取り上げてしまえば何も聞こえはしない。
◆《虻蜂取らず》
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《虻蜂取らず蜂蜜取れた》
【意味】欲張って二つのものを同時に手に入れようとした結果、別の何かを手に入れることもあるからけっして諦めてはならない。
【解説】かつてあからさまな貪欲は悪であり恥であったが、競走化社会の今となってはむしろ必要不可欠な要素であるかもしれない、という意味を込めてアップデート。類義語は「損して得取れ」だが、あちらは「損(デメリット)」と「得(メリット)」の配分が「1対1」であるのに対し、こちらは「虻+蜂(デメリット)」と「蜂蜜(メリット)」の配分が「2対1」となり、損失のほうがかなり大きいという比率の違いが明確にある。
まだまだありそうなので、近いうちに第2弾をやるかもしれないしやらないかもしれない。欲張って第2弾をやれば、それこそ《虻蜂取らず蜂蜜取れた》になりそうで、それは良いのか悪いのか。