思いついたときは電球が光るようなひらめきを感じたのに、いざ本腰を入れて考えてみるとちっとも面白くないということはよくある。いわゆる企画倒れというやつである。世の中の企画書の冒頭に書かれているのは、大半がこのようなアイデアと相場が決まっている。企画書ほどあてにならないものはない。
僕は先日、「五字熟語」というおそろしく画期的なアイデアを思いついた。思いついた瞬間、これは凄いことになると思った。もちろんその基盤となるのは、すでに皆さんご存知の「四字熟語」なのだから、つまりネタ元ならばいくらでもあるということだ。もう打ち出の小槌の予感しかしない。
そこに「ちょい足し」していけば、たったひと文字の労力をかけるだけで、無限にまったく新しい「五字熟語」なるものを生み出せるのである。労少なくして功多し。コスパ最強である。
そもそも「四字熟語」はなぜ「四」文字限定でなければならないのか? 同じく字数制限といえば思い当たるのは俳句や短歌だが、あちらは「五七五」やら「五七五七七」やらで、「五」か「七」が日本語の良い響きとされている。
なのに果たして「四」にこだわる必要が本当にあるのだろうか? むしろひとつ増やして「五」にしたほうが、俳句などでもそのまま使えて便利だったりするのではないか。
と思いきや、俳句や短歌のフォーマットは「文字数」ではなく響きによる「音数」なので、文字数は関係ないのだった。四字熟語でも大半は五音を超える。伝統によりいやらしく自説を補強しようと試みてはみたものの、見事に墓穴を掘った。むしろ説得力は減退した。
いやしかし、いずれにしろ熟語が四字でなければならないといういわれはないはずだ(苦しまぎれ)。既存の価値観に疑問を呈し、新たな価値観へと作り変える。そんなスクラップ・アンド・ビルドの精神は、良い企画の基本であるに違いない。そんな確信を持って、いざ「五字熟語」を考えてみる――。
すると、あら不思議。何をどうしても、さっぱり面白くならないのである。話が違うったらありゃしない。
「一石二鳥」「本末転倒」「栄枯盛衰」……どんな「四字熟語」にひと文字つけ加えたところで、「四字熟語」の意味が微動だにしてくれないのである。
「一石二鳥類」「本末転倒中」「栄枯盛衰弱」――ひと文字つけ加えることにより、むしろ意味がボヤけるばかりで、蛇足というほかない。そこで苦肉の策として、とにかく強調してやれとばかり、
「一石二万鳥」「本末転倒死」「超栄枯盛衰」などとやってみたところで、とにかく言葉の安っぽさばかりが際立ってしまう始末。
結果、「四字熟語」というものが、いかに四文字で過不足なく完成しているかを思い知らされるという本末転倒、いや「本末大転倒」に至ったのであった。「ちょい足し」で劇的に不味くなる魔法のレシピがここにある。
ならばいっそ倍にして「八字熟語」にしてみたら、「四字熟語」の中身がひっくり返るくらいのことが言えるのではないかという気もしているが、さらなる大転倒を招く予感しかしないので、これは「本末転倒済」、やる前から倒しておくことにしようと思う。