前回が好評であるという思い込みに基づき、ことわざの後にフレーズを足してみたらどうなるか、ということわざ「ちょい足し実験」の第2弾をお送りしたい。
こうなるといくらでもやりようはあるような気がしてきた。意味など、無理やりこねくり回していれば何かしらの味は出てくるものであるなあ(詠嘆)。
◆《他山の石》
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《他山の石、自山の泥》
【意味】他人の酷い言動を反面教師にしようと思って自分を見つめ直してみたら、己の言動のほうがはるかに酷い様子。
【解説】「人のふり見て我がふり直せ」とは言い条、自分と相手のレベルがあまりにもかけ離れている場合、まったく参考にならないケースも多い。我々がZOZOの前澤社長の振る舞いから学ぶことは何もない。それ以前の、自分にとってはるか手前にある問題=泥を片づけるほうが重要である。
◆《木を見て森を見ず》
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《木を見て森を見ず大林が見える》
【意味】視野の狭い人にも、極端に大きいものならば自然と目に入るものである。
【解説】「大林」とはもちろん「大林素子」である。「大きいことはいいことだ」という往年のキャッチコピーを思い出す。「大林」という苗字は、林にしては大きすぎるのでもう「森」でいいのではないかと思う。
◆《病は気から》
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《病は気から、仮病は親から》
【意味】病気は気持ち次第だが、仮病で学校を休めるかどうかは親次第である。敵を欺くにはまず味方から。
【解説】仮病で学校を休む際、自分で学校に電話をするのは非常にリスクが大きく、高レベルの演技力が要求される。なので仮病を使う時には、親から学校に連絡してもらうのが良い。そのためにはまず親を説得する必要があるが、教師に比べると親は子に甘いため、多少未熟な縁起でも騙し通せるか、あるいはバレていても許してもらえる可能性が高い。その際に主張する症状は、病院に連れて行かれないレベルにとどめておくよう気をつけたい。
◆《仏の顔も三度》
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《仏の顔も三度、大木の顔も凡人》
【意味】無法なことも三度までしか許されない、というのがもはや当然であるように、大木凡人の顔は当然凡人であるに決まっている。転じて、当たり前のこと。
【解説】単に響きが良いというだけで意味はすこぶる薄い。完全にこじつけである。
◆《良薬は口に苦し》
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《良薬は口に苦し悪役は虫を逃がし》
【意味】効く薬ほど苦いように、怖い人ほど優しいものだ。
【解説】「逆説×逆説」により逆説を強化するパターン。青汁のCMを悪役商会の親玉である八名信夫がやっていたという事実は、まさにこのことわざを体現していると言える。