泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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人生半分損してる

人生の半分というのは、思いのほか小さな分量であるらしい。

「ピクルス食べないの? それ人生の半分損してるよ」
 酢漬けの半生。

「おしぼりで顔拭かないの? それ人生の半分損してるよ」
 なのに脇は拭くのね。

「『ターミネーター』の1観たのに2観てないの? それ人生の半分損してるよ」
 シュワちゃんが幼稚園の先生になる映画は観てるのに。

「『いいとも』のタモリしか観たことないの? それ人生の半分損してるよ」
 ズル休みすると会える人。

「今までずっと口呼吸してたの? それ人生の半分損してるよ」
 異臭騒ぎにひとり気づかぬ張本人。

「歌詞カード見ながら曲聴いたことないの? それ人生の半分損してるよ」
 読んでますます意味わからず。

「サスペンダーしたことないの? それ人生の半分損してるよ」
 背面の三叉路。人生のハーネス。

「賞味期限切れの食品、全部捨ててたの? それ人生の半分損してるよ」
 「消費期限」のほうならばさらにボーナス加点。

「ボクサーブリーフの前についてるボタン、一度も使ったことないの? それ人生の半分損してるよ」
 不便な玄関。メインは勝手口。

「半チャーハンふたつ頼んだの? それ人生の半分損してるよ」
 結果、割高の並盛り。

「パーカーのフード、一回もかぶったことないの? それ人生の半分損してるよ」
 乾きにくいおもり。

「毎日きっちり十二時間寝てるの? それ人生の半分損してるよ」
 文字どおり。

これらの公式を複合的に検討することにより、測りがたい人生というものの全体量を割り出すことができるかもしれない。

ディスクレビュー『THE TESTAMENT』/SEVENTH WONDER

ザ・テスタメント

ザ・テスタメント

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より輪郭を明確にした歌メロの充実が、バンドの格をさらなるメジャー・フィールドへ押し上げるに違いない。そう確信させるに充分な、スウェーデンプログレッシヴ・メタル・バンドの6th。

前作『TIARA』も全方位的に開放感を増した素晴らしいアルバムで、明らかな成長を感じさせる作品だった。当ブログでも、年間ベストアルバムの7位に選んでいる。

tmykinoue.hatenablog.com

だがその作品としての完成度の高さは、あとほかにどこへ伸びしろが残されているのかわからない状態を示してもいた。そしてプログレ・メタル系バンドの場合、最後の砦となるのは、やはり歌メロのフックということになりがちであるとも感じていた。複雑な演奏の中に、キャッチーな歌メロで一本明確な筋を通せるか否か。

その一番の成功例は、もちろんDREAM THEATERの名盤2nd『IMAGES AND WORDS』であり、それがあの作品が彼らの他の作品と比べても頭ひとつ抜けた評価を受けている理由でもある。

そして幸いなことにこのSEVENTH WONDERは、KAMELOTの官能的な楽曲を完璧に歌いこなすトミー・カレヴィックという強力な武器を持っている。その歌唱力に関しては、前作の時点に置いても充分に発揮されていたように感じていたが、彼がなぞる歌メロに関しては、まだ改善の余地が少なからずあったということなのだろう。それは本作を聴いて初めてわかる贅沢な不満であり、彼の歌うKAMELOTの近作と比べることによっても見えてくる部分がある。

僕は彼がKAMELOTに加入して以降の作品に関して、好きな楽曲はいくつもあるがアルバム単位で大満足はしていない。もちろんその歌唱力に関しては、むしろ前任者のカーンに比べて安定しているとも認めてはいるし、バラードにおけるそのヴィブラートが放つ色気は、まさしく色気の権化であったカーンをも凌ぐ瞬間すらあると感じている。『SILVERTHORN』に収録されたピアノ・バラード「Song For Jolee」における繊細かつ情感豊かな歌唱など、圧巻のひとことである。

しかしこと歌メロのクオリティに関しては、カレヴィック加入後の作品はいずれも、カーン時代の名盤である三枚『THE FOURTH LEGACY』『KARMA』『EPICA』のレベルには届いていない。それはもちろん、新加入ヴォーカルの責任というだけでなく、メイン・ソングライターであるトーマス・ヤングブラッドの責任は大きいだろうし、なんなら武器であるメロディを失いつつあったカーン在籍時末期のアルバムに比べたら、カレヴィックが加入したことでバンドは再生したといってもいい。

だが歌メロのクオリティがかつてほどでないことは事実であったし、だから僕はカレヴィックにこれ以上の歌メロの改善を望むのは無理筋なのだと、勝手に限界を設定して納得しているようなところもあった。

もちろん本作における歌メロの質の向上が、歌い手であるカレヴィックのみによるものなのか、バンド全体によるものなのかはわからない。バンドにおいては、何がどう作用するかは本人らにもわからないのかもしれない。だが結果として、これまで以上に歌メロがフィーチャーされた作品になっているのは事実だ。

そしてなによりも、カレヴィックの歌メロにまだまだポテンシャルがあるということが判明したのが嬉しい。おかげでKAMELOTのほうにも、この先その向上が見込めるかもしれないからだ。むろん、彼ひとりの力でバンドをどこまで変えられるのかは、わからないけれど。

それにしても②「The Light」や⑦「Mindkiller」における節回しには惚れ惚れする。繊細なヴィブラートを完璧にコントロールし、いったいどこでブレスすればいいのかわからないほどに息の長い数珠つなぎのメロディーを、見事に歌い切ってみせる。

プログレッシヴな楽曲の場合、往々にしてその展開の複雑さゆえに歌メロの焦点がぼやけ、なんとなく楽器陣の演奏に歌が追随するようなケースも少なくない。だが本作で歌われる彼の旋律には楽曲の核心を担うたしかな矜持が感じられ、むしろテクニカルな楽器陣を先頭に立って引っ張ってゆくようなリーダーシップをも感じさせる。

バンドを確実にネクスト・ステージへと昇格させると同時に、この段階にしてさらにレベルを上げてきたという事実が、さらなる成長の余地をも感じさせる。彼らはいよいよ、プログレ・メタルというジャンルを牽引してゆくべき存在になってきた。


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短篇小説「二次会の二次会」

 今夜も我ら「二次会」は大いに盛り上がった。「二次会」といっても正確にはまだ「二次会」の一次会で、これから我々はいよいよ「二次会」の二次会へと向かうところだ。

 我々が言うところの「二次会」というのは二次的、つまり各所で副次的な役割を果たす人間の集まりで、副部長、副店長、副支配人、副キャプテンなど、その肩書きに「副」の字がつく人々が一堂に会するサークルである。それぞれが副次的な役割に甘んじているがゆえに、そこは自然と愚痴の温床になる。ゆえにサークルというよりは、いっそ秘密結社と言ってみたくなる気分もある。上司(=副次的でなく主たる役割の人々、たとえば部長や店長)への愚痴が違いを惹きつけあうように、SNSのつぶやきを介して自然と集まってきた仲間たちだ。

 このたび駅前商店街にある居酒屋『ふくちゃん』には、「副」の字を冠した役職を持つ十二人のメンバーが集まった。その一次会を終えてもまだ飲み足りない常連組の四人は、いつものようにそのまま路地裏のバー『レインボー』へとなだれ込んだ。

 焦げ茶のグラデーションがいやらしいバーのガラス扉を押し開けると、カウンターの向こうでグラスを磨いている髭もじゃで脇役面の男が、静かに頷いた。この男もやはり「二次会」メンバーのひとりであり、もちろん副店長であった。むろんこの「二次会」の日程は、あらかじめ店長のいない日時を見はからって設定されている。もしも「店長」の肩書きを持つ厳然たる人間が目の前にいた日には、彼らはいっせいに黙り込んでしまうことだろう。

 カウンターへ横並びに腰掛けた四人は、差し出されたメニューを見てすっかり考え込んでしまう。彼らはいつも主である副次的でない上司の顔色を伺ったうえでそれに合わせた決断をするという手順になれているため、伺う顔が目の前にない状態におかれると、途端に何ひとつ決めることができない思考停止状態に陥ってしまうのだ。

 互いに他三名の顔色をこそこそと伺いつつ、しかしその中の誰の顔色を最優先で伺えば良いものかとそれぞれに惑う時間帯が三分間ほど続く。真っ先にメニューから顔を上げたのは、大手自動車メーカーで営業副部長を務める車谷であった。

「ではわたしは、髭の副店長におまかせで」

 すると他三名は、ようやく伺うべき顔色を見つけたとばかり、注文を副店長に委ねる車谷の案に我も我もと便乗した。

「いや、そう言われても、ねえ」

 バーの副店長とて店長ではなく、普段から店長の顔色を伺って動く副店長なのであった。とはいえ、そもそも店員は客の顔色を伺うものである。ところがいざ客である車谷の顔色を伺ってみても、その車谷の目はすでに副店長である自分の目を伺っている。そうなれば客の顔色を伺うべく放たれた副店長の視線は、逆に客から向けられた視線にすっかり跳ね返されて戻ってきてしまうのであって、結局のところ自分で自分の顔色を伺うような矢印になってしまうのだった。顔色を伺うという行為は、圧倒的に先行のほうが有利にできているのである。

 そうなれば副店長は他に伺うべき顔色を無理にでも探すしかなく、やがて視界の隅に引っかかった、カウンターの隅でひとり飲んでいる別の常連客の顔をじっと見つめ、それと同じカクテルを全員に供給することにしたのだった。そういえば毎回こんな感じになるんだよなぁと、副店長はようやくこの会のはじまりを、たしかに感じながら。

 しかしこの調子だと、次のつまみを頼む段階でもさぞ面倒なことになるだろう。そんな予測を立てるのはむしろ自然な運びであるようにも思えるが、実情はさにあらず。彼ら「二次会」の面々は、どういうわけかつまみに関しては、一切の迷いなくズバズバと矢継ぎ早に注文してゆくのだった。

 それは彼ら副次的な人間たちが、「つまみ」という存在を「酒」という「主」に対する副次的なものとして捉えているからに違いなかった。彼らが思い惑うのは、目の前に顔色を伺うべき「主」が見あたらない場合のみであって、いざ眼前に特定の「酒」という「主」が差し出されたならば、その顔色を伺うことはむしろ誰よりも長けているといって良かった。

 そうしてテーブルの上を満たされた彼らは、それぞれの主である部長、編集長、店長、支配人の愚痴を互いにこぼしあい、存分に慰めあうという充実の時を過ごした。やがて終電の時間が近づいてくると、車谷がにわかに神妙な面持ちになって、皆に発表しなければならないことがあると言って立ち上がった。

「実はわたくし車谷、今月をもって、副部長を卒業することに相なりまして……」

「卒業って!」「アイドルじゃないんだから!」「まさか出世?」「部長ってこと?」「裏切り者!」「いやリストラでしょ」――などなど、それを聴いたメンバーからは、一気に様々な憶測が容赦なく飛び交った。

「いえ、実はわたくし、来月からは『部長代理』ということに……」

「代理?」「部長じゃないのか」「むしろ降格?」「いや『副』が取れたら出世だろ」「『副』と『代理』ってどっちが上なの?」「電車の『こんど』と『つぎ』みたいな感じ?」「それってどっちが次来るんだっけ?」「『つぎ』って言ってんだから次だろ」「いや『こんど』のほうが先でしょ。『つぎ』ってのは、『こんど』の『つぎ』って意味」「じゃあ『こんどのつぎ』って書けよ」「おれ駅員じゃないし」「だからどうすんだよ代理は」「部長は部長だから駄目だろ」「でも代理だよ」「だって部長いないんでしょ。いないから代理なんでしょ」「じゃあ部長と一緒か」「部長のいない副部長、みたいな?」「それもう部長だろ」「でもしょせん代理っつってるしな」「悪い奴じゃなさそうだよな、代理って」「ならまあいっか」「いんじゃない、副でも代理でも」「じゃあ継続ってことで」「だな」

 そうして、またみんなで集まろうという意思確認まですっかりできたところで、この日の「二次会」の二次会は無事お開きとなった。一方で会計の際に、自然な流れで車谷が少し多く払わされる展開になったのは、のちのち訪れる空中分解への着実な布石となった。


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