泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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壊れかけのイヤホン

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先日、いつも使っているイヤホンが壊れかけた。それはもう壊れかけたのである。

スマホを買ったときに付属していた安っぽいやつだが、案外音が良いのでそのまま使っていた。ヘッドホンは別に有線とワイヤレスのを持っている。もっと言えばワイヤレスのイヤホンもあるが、そちらはすでに壊れていて左耳しか聞こえない。

さらに言えば、左耳しか聞こえないワイヤレスイヤホンなら三つもある。いずれもワイヤレスとはいってもいわゆる左右が独立した完全ワイヤレスではなく、左右はコードでつながっていてそれが本体とはつながっていないというだけの半端ワイヤレスだ。

だがこのタイプはそのせいで左右をつなぐコードが頻繁に断線する。そして中国製の商品で安いくせに保証期間は妙に長いから、メーカーに問いあわせると修理ではなく新しいのをすぐに送ってくる。

その際、手元にある片耳しか聞こえなくなったやつはわざわざ送り返す必要はなく、そちらで自由に処分してくれというのでそのまま持っている。いちおう左耳のほうは聞こえるので、ラジオを聴くくらいなら使えないこともないからだ。

そうやって二回壊れて二回送られてきたから、同じワイヤレスのイヤホンがうちには三つある。三つ目も結局壊れたが、メーカーに連絡するといま在庫がないから返金させてくれと言われた。

なんだかよく分からないシステムだが、損している感じはまったくないので返金に応じた結果、一円も払わずに壊れたワイヤレスイヤホンが三つ手に入ったということになった。何かの童話のような結末だが、何の童話に似ているかはわからない。

だが今回はその壊れたワイヤレスイヤホンたちの話ではなく、最初に言った有線のほうのイヤホンが壊れかけた話だ。

それは最近多い、耳の奥まで差し込むタイプのカナル型イヤホンなので、イヤーパッドがわりと汚れる。なのでときどきゴムのパッドをはずして洗うのだが、それが入り組んだ形状のせいでなかなか乾かない。乾くのを待てない。

なので適当に振って水を切って、すぐにまた装着して使いはじめることが多い。今回も明らかに水気が残っているのをわかったうえで、再び装着して使いはじめたのだった。

そして洗う前に聴いていたラジオの音源を引き続き聴きはじめたのだが、そこで左耳だけ異様に音量が小さくなっていることに気づく。小さいだけでなく、なんだか声が妙に遠く、くぐもって聞こえる。

明らかにイヤホンが不調なのだと思ったが、よくある故障でもない。イヤホンのよくある故障は断線によるもので、断線すると片耳はまったく聞こえなくなる。しかし小さいながらも聞こえているのだから、断線ではないのだろう。

だとしたらやはり、左耳の音が小さくなる前後で変わったことと言えば、イヤーパッドを洗ったという事実しかあり得ない。そして濡れたまま装着したという我が蛮行。

そういえば付属品で説明書もなかったので確認したことはないが、このイヤホンにおそらく防水機能などないだろう。なにしろ付属品なのだから。それをわかっていて濡れたまま装着したのだから、自業自得だ。

だが不思議なのは、そのときのイヤホンの壊れかたが、まるで人間のように感じられたことだ。その左耳の響きはなんというか、プールや風呂で耳に水が入った際の、液体が詰まった感じの聞こえかたなのである。

僕は我ながら馬鹿な行動だと思いながらも、壊れかたが人間的ならば、直(治)しかたもまた人間的であるはずだと考え、イヤーパッドをはずしたとき剥き出しになる部分、おそらくはそこから水が入り込んだと思われる金属製の網状のハウジング部分に、ふーふーと息を吹きかけはじめたのであった。

それはつまり人間の耳でいえば穴にあたる部分で、これがもしも人間の耳の穴であれば、自分で吐息を当てることはできないからドライヤーの風を当てて乾かすところだ。

ふーふーしてはイヤーパッドを嵌め、嵌めては耳に入れるが直らず、という不毛な手順を四、五回は繰り返しただろうか。もはや諦めつつその次の六回目あたりでイヤホンを左耳に差し込んだとき、その音は見事にもとの音量を取り戻してくれていたのだった。そう、まるで耳から水が蒸発して抜けていったように。

人間的な壊れかたをした物は、人間的な直(治)りかたをする。これまで自分でもそんな考えかたを持っているという自覚はなかったが、どうやら僕は普段からそう思っているようで、それはわりと信じられることなのかもしれないと少し思った。

そんなヒューマンなイヤホン。あるいはイヤホンなヒューマン。

2021年上半期HR/HMプレイリスト

たまにははてなブログの【今週のお題「わたしのプレイリスト」】に則って、2021年上半期によく聴いた7曲を。

◆「Siberia」/CREYE
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スウェーデンプログレ・ハード。
ルックスに反する圧倒的透明感に、心が洗われる。
隅々まで気の利いたアレンジも絶妙だが、何よりも歌メロのキャッチーさが大前提として素晴らしい。

クレイII

クレイII

  • アーティスト:クレイ
  • マーキー・インコーポレイティドビクター
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◆「My Loveless Lullaby」/ART OF ILLUSION
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こちらもまた北欧美旋律の極み。
アートでありファンタジー
詳細は以前書いたディスクレビューにて。

tmykinoue.hatenablog.com


◆「Brain To Brain」/THE DATSUNS
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正直なところ、今さらな感のある7年ぶりの新作に期待はしていなかったのだが、これは嬉しい誤算。
元々レトロなことをやっているから、古びるはずもなくむしろ新鮮にすら。
イントロのフレーズ一発で持っていく力がある。

Eye to Eye

Eye to Eye

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◆「Heat Above」/GRETA VAN FLEET
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彼らもまた70年代ロックを体現する「古典派」だが、こちらはまだ20代前半と圧倒的に若い。
どこからともなく立ち上がる郷愁。圧倒的夕焼け感。
2作目にして、さらに渋さを増す方向へと舵を切ってきたのが面白い。もはや円熟の極み。


◆「Say What You Need To Say」/SEVENTH CRYSTAL
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スウェーデンハード・ロック・バンド。新人なのに漂うベテランの風格。
こちらもまた北欧ならではのメロディが軸にはあるのだが、アレンジや歌唱にグランジ以降のアメリカン・ヘヴィ・ロックからの影響を感じさせる点が、その他北欧勢との違いを生み出している。

デリリウム

デリリウム

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◆「This Is Not Utopia」/THE OFFSPRING
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9年ぶり10作目にして漲る初期衝動。
らしさ全開なのにマンネリにはならず、けっして若作りしているわけではないのに新鮮な勢いを感じさせる楽曲群。
ベテランが目指すべきお手本のような到達点。

Let The Bad Times Roll

Let The Bad Times Roll

  • アーティスト:The Offspring
  • Virgin Music Label & Artist Services
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◆「Out Of This World」/KAYAK
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「Out Of This World」といってもバンドのほうではなく、オランダ産古豪プログレの曲名。
関係ないがキー・マルセロとトミー・ハートのOUT OF THIS WORLDもよく聴いたしアルバム全体の出来は悪くなかったが、飛び抜けた楽曲は見当たらなかった。
こちらはこれぞKAYAK、これぞ北欧プログレという感じの、繊細で美麗かつ壮大な一曲。
目をつぶってヘッドホンで聴けば広がる別世界。

短篇小説「店滅」

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 床に絨毯にアスファルトに頭をこすりつけて謝るだけの仕事を終えた夜、そのまま帰宅しても眠れない予感がした私は、気づけば路地裏に迷い込んでいた。あるいは自ら迷いたくて迷っていたのかもしれない。真っすぐ家に帰りたくないがためにまわり道をすることなら、そういえば子供時代にもよくあった。変わらないことを喜ぶべきか、成長しないことを哀しむべきか。

 すでに夜の十時を過ぎていただろうか。路地の両脇に立つ店の看板はどれも真っ暗で、営業時間を過ぎて閉店しているのかとっくに潰れているのかもわからない。

 だがその突き当たりにただひとつ、ちかちかと点滅している正方形の電飾看板が立っていた。点いたり消えたりのリズムが不定期であることから、その点滅は意図されたものではなく、中の電球が寿命を迎えているためであることがわかる。白く光るパネルの表面には、「店」という一文字が孤独に浮かんでいた。

 あるいはその上または左にあったいくつかの文字が経年劣化により消失しているのかもしれないが、そのわりには「店」の文字は中心にありすぎるようにも思われる。私は看板の光に誘われる虫のように、気づけばその店の暖簾をくぐっていた。

「ありがとう」

 足を踏み入れた途端、カウンターの奥から投げかけられたその言葉に、私はうまく返せなかった。こちらが想定していたのはもちろん「いらっしゃい」というお決まりの歓迎の言葉であって、何もしていないのに浴びせられるお礼の言葉ではない。あるいは「お帰りなさいませご主人様」というパターンも昨今はあるようだが、カウンターの向こうにいるのはメイド姿の美少女ではなく、ほどよく頭を禿げさせた初老の男だった。エプロンをしているという一点においては、共通項がないこともないが。

 店内にはほかに客もスタッフも見当たらなかった。当然のように商品の類もなにひとつ置かれてはいない。どうやら男はこの店をひとりで切り盛りしている店主のようで、そうなると私は男をわざわざ無視して隅っこの席に座るというわけにもいかなかった。私は仕方なく、男の正面に位置するカウンター席に腰かけるしかなかった。

「さて、どうしやしょうか?」

 注文を催促された私は、あわてて店内を見まわした。どこにもメニューの書いた紙や黒板などはなく、ただただ薄汚れた壁が広がっている。カウンターの上にも、メニューらしきものは見あたらない。「あの、メニューってありますか?」

「ああ、悪ぃな。もう誰も来ないと思って、片づけちまったよ。なにしろ今日で閉店だからな」

「ええっ、それは残念ですね」

 私は自分の言った言葉に、ひとつも心がこもっていないことに罪悪感を感じていた。こちらとしてはまだ関係がはじまってもいないのに、その終わりを残念がるのはさすがに無理がある。だからこれはビジネスマンとしての経験によりこびりついた、条件反射のようなものだった。

「あの、ここってなんのお店なんですか? いや表の看板に、ただ『店』としか書いてなかったもので」

 閉店という致命的な話題のあとで恐縮だとは思ったが、私は根本的な疑問について尋ねずにはいられなかった。

「ああ、店だよ、店。それ以上でも以下でもない」

 店主があまりにも当たり前のようにそう答えるもので、私は追加の質問が難しくなってしまった。とはいえ、少しくらいは的を絞りたい。

「それってつまり、飲食店ってことですか?」

「それもあるけど、店。ほかにもいろいろあるでしょ、店なら。花とかグローブとか」

 返ってきた答えによって、的は絞られるどころか雲散霧消してしまった。飲食物を扱っているのは間違いないようだが、それ以外に花やグローブも商う店ということか。

 しかも店主は左手のひらを右拳で叩きながらそう言ったので、ここで言う「グローブ」は植物ではなく野球のそれであるに違いない。だとしたら取り扱う商品は、飲食物と植物という小洒落たカフェ的なくくりでもないようだ。そもそも店主の見た目にも店の内装にも、そういった雰囲気は微塵もありはしない。私はいったい何を頼めばいいのか。

「まあ、売れるもんならなんでも売ったよ。ピーマンでも扇子でもTENGAでもランドセルでも。まあ、今日は花もグローブもないけどな。なにしろ閉店だから」

 店主が自慢話をしているのか失敗談を語っているのか、私にはわからなかった。そのとき私のお腹がぐぅと鳴り、おかげで私は夕飯を食べそびれていたことを思い出した。「では何か食べられるものとビールを」

 私は店主に言った。すると店主は驚くべき言葉を口にした。

「そういうのはないね。だってほら、閉店だから」

 私は混乱した。しかし間違いなく店の扉は開いていたのだ。「じゃあ何があるんですか?」

「だから何もないよ。もう冷蔵庫もないし、花瓶もグローブに塗るグリースもない。まあその座ってる椅子なら、持ってってもらってもいいけど」

「でもさっき僕がこの店に入ってきたとき、『どうしやしょうか』って注文を訊きましたよね?」

「ああ、あれは『何もないけど、どうしやしょうか?』って訊いただけでね。まあ、こうなりゃ踊るしかないかね、ハ、ハ!」

 店主は踊る身振り手振りもまったくなしに冗談を言った。

「でも表の看板は点いてたじゃないですか」私は何を問い詰めているのか。

「あれはほら、最後に全部片づけてから、ひとつふぅ~っとため息でもつきながら、雰囲気出して消したいじゃない。ほら俺、ショートケーキのいちご、最後に取っておくタイプだから」

 知らんがなの極みである。「じゃあ最初っから、もうやってないって言ってくださいよ」

「言ったよ」

「言ってないですよ」

「言ったよ、『ありがとう』って」

「それは言いましたし意味がわからなかったけど、やってないとは言ってないですよ」

「だから『ありがとう』ってのはそういう意味なんだよ。基本、お客さんの帰り際に言うやつだから。まあ便利な厄介払いの言葉でね。それとも何かい。あんたは初対面の人間に、お礼を言われる心当たりでもあったっていうのかね?」

 私はすっかり何がなんだかわからなくなってきた。そのあとすぐに、何もかもがどうでも良くなってきた。理屈の糸が複雑に絡まりあった末に、あっさりほどけたのか強固に固まったのか。いずれにしろその理屈は、私になんの得ももたらすことはない。

 それから私は、店主が椅子を片づけて暖簾をはずし、外のコンセントを抜いて看板を消灯するまでの一連の動作を静かに見届けた。そして私のマンションの玄関先には、ただ「店」とだけ書かれた死にかけの看板が、今夜も不規則に点滅している。もしも誰かが何かの店と間違えて部屋に入ってきた暁には、「ありがとう」と言ってやることに決めている。

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