泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

短篇小説「何もない」

f:id:arsenal4:20210116193831j:plain:w500

 とある土曜日の夜、私は「題名のない音楽会」へ行った。

 それは「指揮棒のない指揮者」が指揮をとり、「バイオリンのないバイオリン奏者」や「チェロのないチェロ奏者」が「音楽のない音楽」を演奏する素晴らしい音楽会。ないのは題名だけでなく、あるのはただ静寂のみであった。

 出不精の私をこの素敵な会へと出向かせたのは、「友達のいない友達」からの「誘い文句のない招待状」である。

 では「友達のいない友達」にとっての私はいったいどういった存在であるのか。むろん彼には友達がいないはずなので、私とてご多分に漏れず友達ではないと思うのだが、その手紙は間違いなく私宛に送られてきたものだ。

 招待状には、当然のように私を招待する旨などひとことも書かれておらず、その内容は彼が飼っている「名前のない猫」に名前がない理由であったり、彼が患っている「病名のない病気」にまつわる「エビデンスのない現状報告」であったり。つまりは、こちらが「訊いてもいない質問」に対する「答えのない答え」で紙面は埋め尽くされていた。

 そもそもそれは「切手のない封書」で届いたため、私が受け取り時に郵便料金を支払わされたのだが、そんな「内容のない手紙」一枚で「題名のない音楽会」に入場できたのは、そもそもこの音楽会に題名がないおかげである。

 題名がないせいで、どれがこの音楽会の入場券でどれがそうではないかの区別が叶わず、チケットの確認作業全般が放棄されていたのだと思われる。提示された紙になにかしらの文字が書いてあれば、いや文字などひとつも書いていなくとも、それがけっして不正解でない以上、入場を断るのは難しい。

「題名がない」というのはつまり「正解がない」ということであり、すべてが「正解である」ということでもある。

 そして「題名のない音楽会」をすっかり堪能した私と「友達のいない友達」は、そのままの流れでディナーへと繰り出すことになった。その際、私の「ガソリンのない自動車」と彼の「エンジンのない自動車」のどちらで移動すべきかでちょっとした小競りあいになったが、どちらにしろ走らないので結局タクシーで向かうことになった。

 到着と同時にちょうどガソリンが切れた私はまだしも、彼がそのような自動車でどうやって会場にまでたどり着いたのかは謎であった。あるいは、「題名のない音楽会」の最中に「心ない泥棒」によって車の心臓部であるエンジンをごっそり盗まれるなどという「身も蓋もない犯罪」があり得るのか、どうか。

 タクシーを降りた私たちは、以前から二人でいつか訪ねてみたいと話していた「看板のない料理店」であり「国籍のない料理店」であり「料理長のいない料理店」であり「ウェイターもウェイトレスもいない料理店」であるところの「何もない料理店」へと足を踏み入れ、ただ「ミネラルのないウォーター」を飲みながら、「椅子もテーブルもキッチンもない料理店」の床に座って二時間ほど「中身のない会話」を楽しんだのち、「今日は楽しかったね!」と「心にもない感想」を互いに口にしながら、「またいつか!」と「あてのない約束」を交わして解散したのだった。

 ひとことで言えば「何もない一日」ということになる。

短篇小説「キュウリを汚さないで」

f:id:arsenal4:20201219141930j:plain:w500

 工場の真ん中にテーブルがある。テーブルの端で男Aがキュウリに泥を塗っている。

 その隣の男Bがたっぷり泥のついたキュウリを受け取ると、シンクへと走りそれを丁寧に洗う。男Bはそのキュウリを、シンク脇に引っかけてある泥まみれの布巾で拭く。キュウリは再びドロドロになるが、このドロドロは男Aがもたらしたドロドロとは何かが違う。何が違うのかは誰にもわからない。

 ドロドロのキュウリを預かりに男Cがやってくる。男Cは男Aのいたテーブルに向かい、そこでやはりたっぷり泥を塗ってから、ドライヤーでカラカラに乾かしてゆく。最初は熱風、仕上げは冷風。乾ききった泥キュウリは、すっかり違う表情を見せる。

 そこへ下駄を鳴らして男Dが来る。男Dは乾いた泥まみれのキュウリを受け取ると、それを作業着のポケットに入れて小一時間ほど工場の中を歩きまわる。この際に響き渡る下駄のリズムが、作業員らのモチベーションを著しく向上させた。

 約一時間後、歩き疲れた男Dがポケットからキュウリを取り出すと、それを目ざとく見つけた男Eがセグウェイで駆けつける。男Eはキュウリの匂いを嗅いでひとつ頷いてから、隣の工場までセグウェイを走らせ、そこにあるシンクでキュウリの泥をすべて洗い落とす。そしていま一度キュウリに鼻を近づけて満足げに頷いてみせる。

 男Fが匍匐前進で男Eに近づき、頭上で押しいただくようにしてすっかりピカピカになったキュウリを受け取る。男Fはそれを懐に入れると、隣の工場とのあいだにある中庭の花壇をくまなく這いずりまわる。もちろん懐にも肥沃な土は侵入し、キュウリはまたしても良い具合にドロドロになる。

 そこへ近づいてくるのが中腰の男Gだ。男Gは中腰のまま泥まみれのキュウリを受け取ると、それをシンクで洗ってからオリーブオイル、ごま油、サンオイルをまんべんなく塗り、塩こしょうと薄力粉を適量まぶしたうえで、改めてたわしで綺麗に洗ってから頭上でぶん回して乾燥させる。

 すると半身の男Hが中腰の男Gに近づいてくる。男Hは、半身の姿勢から中腰の男Gの頭上にあるキュウリに飛びついて奪い取る。そして工場の真ん中にあるテーブルの端で別のキュウリに泥を塗っている男Aのもとへ、やはり半身の姿勢で背後から近づくと、その無防備な後頭部へ持っていたキュウリを激しく振り下ろしたのだった。

 これが私の担当する「キュウリ殺人事件」の全貌である。少なくとも被害者の男Aを除く工員の全員が、口を揃えてそう証言している。

ショートショート「押すなよ」

f:id:arsenal4:20210109162557j:plain:w500

「押すなよ押すなよ」あいつは言った。
 だから僕は押さなかった。

「押すなよ押すなよ」あいつはもう一度言った。
 やっぱり僕は押さなかった。だって押すなと言っている。

「押すなよ押すなよ」あいつはこれで三回も言った。
 こんなに何度も言うってことは、押されるとさぞ大変なことになるのだろう。僕はますます押せなくなった。

「押すなよ押すなよ」あいつは懲りずに言っている。
 それでも僕は押さなかった。押したって僕にはなんの得もない。そうかそうかそうなのか。僕が押さないのは、あいつのためを思ってのことじゃあなかった。僕はなんて汚い人間なんだ。優しさのかけらもない。

「押すなよ押すなよ」あいつはまだまだ言うつもりらしい。
 あるいはよほど僕が押しそうな人間だと思われているのか。そう思うと無性に腹が立ってきて、僕はあいつの背中をドンと思いっきり押した。周囲から爆笑が沸き起こった。

「ありがとう!」奈落の底からあいつは言った。
 これだから難しい。親切ってやつは。

Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.