泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「条件神」

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photo by Hartwig HKD

 ひとりなのだかたくさんいるのだか知らないが、世にいう神々が必ずしもやさしいとは限らないのは、地球の現状を見れば誰にでも簡単に理解できることである。しかしまさかここまでとは。

 その日、神が喪師喪田畏怖男を見つけたのか、喪師喪田畏怖男が神を見つけたのか。そんなことはどうだっていい。畏怖男は日曜の公園を散歩中、夕陽をバックに池からせり上がってくる神を見た。

 それはまるでコロンビア映画のオープニングロゴのようであったが、出てきたのは女神ではなく髭のジジイのほうであった。神は薄汚れた布を身にまとっていたがギリ、モデル体型の人間が着ていれば「そういう柄」と言い張れるレベルでもあった。そしてジジイはたしかに、長身やせ形のモデル体型ではあった。

 そんな千載一遇のシーンで畏怖男が最初に取った行動は、祈るでも腰を抜かすでもなく、尻ポケットから取り出したスマホで神を激写することであった。これで3人しかいないインスタのフォロワーが5人に増えるかもしれない。ハッシュタグは#Godで。

 しかし神を目の当たりにした人間が冷静でいられるはずもなく、スマホを握る畏怖男の手は規格外に滑り倒した。スマホは美しい孤を描いて池に吸い込まれていった。まるでそうなることが約束されていたように。そういうことは案外、飛行曲線でわかるものである。

 通常であれば、むしろスマホを落としたタイミングで川の水面を割って出現するのが、神にふさわしいタイミングであるのではないかと畏怖男は思った。金の斧銀の斧的な手順で。しかし神がすでにそこにいなければ、畏怖男は慌ててスマホを取り出さなかっただろう。そう考えてみると、すべてが運命づけられているようにも思えた。

 そしてスマホが川に入水するかしないかのタイミングで早くも、神は食い気味にこう告げた。まるではじめから、そうなることがわかっていたように。

「そなたがいま川に落としたスマホ、拾ってしんぜようか?」   

 まさに捨てる神あれば拾う神ありである。いやこの場合捨てたのは人間、というか捨てたのですらなく、むしろそのスムーズすぎる吸い込まれ具合からすると、何者かの圧倒的な力により捨てさせられた、というほうが自然である。だとしたら捨てさせる神あれば拾う神あり、というべきか。できれば拾う以前にまず捨てさせないでほしい。

「あっ、お手数おかけしますお願いします!」

 畏怖男は神の好意に甘えて咄嗟にそう願い出た。末っ子なので甘えに迷いがないのが、畏怖男の短所であり長所である。だが神はすぐには返事をせずしかし拾いに潜る様子もなく、しばしニヤケ面を浮かべて畏怖男を見つめている。そして見るからにもの言いたげなその顔面が、追加のひとことを容赦なく口走る。

「まあそのスマホに、今から5分以内に1件でも着信があればだがな!」

 神は臆面もなくそう言い放った。畏怖男は混乱する頭と口の神経をかろうじて接続して訊いた。

「えっ、じゃあもし着信がなかったら?」

 神は想定内の質問をあざ笑うように答える。

「拾うほどの価値もないから捨て置く~」

 なぜか神の語尾4文字がIKKOっぽい響きを放っているのが気になった畏怖男だが、神は懐の汚い布の隙間からストップウォッチを取り出すと、「それではウェイティングタイム、スタートです!」と、バラエティ番組風に威勢よくコールして、そのスタートボタンを大袈裟にプッシュしてみせた。

 そもそも畏怖男は友達が多いほうではなく、嫁も子供もいない。家族ともすっかり疎遠であった。仕事関係の電話も、日曜日にかかってくることはめったにない。

 互いに黙ったまま3分が過ぎたころ、神がなにやら大きめの数字を叫びはじめた。なんとご親切にも残り2分、120秒前からカウントダウンをはじめたのである。親切のつもりなのか嫌味なのか天然なのかワクワクが止まらないのか。

 それ以前に水没したスマホに着信があったとて、はたして着信音が鳴るのかどうか、さらにはその音が水面を突き抜けてこちらに届くのかどうかもわからないが、そこは神。いちおう嘘はつかないんじゃないかと、こういう時だけ都合よく信心深くなる畏怖男であった。

「はい、ダメ~」

 きっかり5分を数えたところで非情にもそう告げた神だが、そうはいってもやはり神。捨てる神あれば拾う神ありというか、「てめえで思いっきり捨てといて結局拾う神」というのは単なる二度手間に思えなくもないが、しかし条件次第では拾ってやるという姿勢は崩さない。

「やっぱり拾ってしんぜようか?」
「え、いいんですか?」
「ただしそのスマホのパスワードが、そなたの誕生日を逆から読んだ数字でなければ、だがな!」
「な、なんでわかったんですか?」
「いやほら、そこは神だから」
「でもそれの何が悪いんですか? あなたには関係ないでしょう」
「その程度の危機管理しかできてないスマホは、丸ごと処分するのが一番のセキュリティ対策だから捨て置く~」

 万事この調子であった。その後もこの神との条件問答は延々と続き、やがてスマホの話題から離れてもまだ続き、最終的には「ただしお前の母ちゃんが、デベソでなかったらな!」という子供の悪口レベルまで墜ちたところで(そしてこれがまた残念ながら畏怖男には図星であった)、どこからともなくスマホのありがちな着信音が鳴り響いた。

 しかしその無個性なデフォルトの着信音は、川の底からではなく、神の体から響いているように思えた。すると着信音は徐々にその音量を増してゆき、さらには神の位置だけでなく、四方八方から畏怖男を取り囲むようにサラウンドで鳴りはじめるのだった。気づけば目の前にいる神は百人単位に増殖しており、完全に同一の容姿を持つ神々は、畏怖男をすっかり包囲しぐるぐるとメリーゴーランドのごとく回転している。

 そしてその響き渡る着信音は、彼ら神々の髭の先から確実に発信されているということに、ここで畏怖男はなぜか気づいたのであった。その事実に気づいたとて、畏怖男にはなんの得も害もなく、ただうるさいというだけのことなのだが。「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」畏怖男の頭に浮かんだのは、その程度の取るに足らないビジネスアイデアでしかなかった。

 しかし畏怖男はいつしか、目の前の神々をほったらかしにして、そのビジネスアイデアに夢中になった。それはとても大事なことに思えたので、畏怖男はそれを何度も脳内で反復した。

「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」
「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」
「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれは……」

 そのとき、回転していた神々が一瞬動きを止め、一斉に同じ声を発した。それは着信音ではなく、明確な台詞であり、間違いなく畏怖男の疑問に対する回答であった。

「捨て置く~」

 神々はその脱力した回答を置き土産に昇天し、鮮やかに雲散霧消した。すると川の中から、往路とまったく同じ出来すぎた放物線を描いて、スマホが畏怖男の掌へと着地した。

 その液晶画面は地獄のようにバッキバキで、まるで何年も底辺に捨て置かれ永年に渡り踏みしだかれたもののようであった。


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ディスクレビュー『TUNGUSKA』/TREAT

ツングースカ【通常盤】

ツングースカ【通常盤】

名盤は、時として摑みどころがない。

それはまるで取っ手のないトランクのようなもので、一聴したところ、どこを掴んで良いものかわからない。

なぜそのようなことになるかというと、作品の中に山が多すぎて、結果的にそれは平坦に見えてしまうからだ。山が多ければそれは山ではなく山脈になり、もっと多ければ台地になる。楽曲粒揃いであればあるほど、形状としては起伏の少ない台地に近くなる。そこにはある種平坦な印象が伴う。

たとえば、あのインスタント食品に付属している調味料小袋類の「マジックカット」。切れ目が入っていればそこから切れば良いとすぐにわかるが、切れ目不在のマジックカットはどこを切って良いものかわからない。しかし実際には、「どこからでも切れる」ようにできている。言ってみれば全部が山場(谷間?)であり、それがウェルメイドであるということだ。

別の言いかたをすれば、名盤とは、「聴くたびにピークがズレる作品」のことである。聴き手は一聴してまず、「あ、この曲が一番好きだな」というピークを作中に発見する。多くの場合、その先聴く回数を重ねても、最初に見定めたピークがズレることはない。恋愛バラエティにおける常套句「第一印象から決めてました!」というのは音楽との出会いにも当てはまるありがちな事実で、そう簡単に人の判断が変わることはない。

だが名盤とはピークの多い作品のことである。そしてどういうわけか、人がひとつの作品の中に、複数のピークを一度に発見することは困難であるらしい。あるいは聖徳太子なら可能なのかもしれないが……アイスのあたり棒を持っているアイツなら。

その結果、お札にもなれず憲法も作れない一般的な聴き手は、名盤を聴くたびに新たなピークをひとつずつ発見することになる。それは実際には「たくさんの山を次々に発見していく」プロセスなのだが、聴き手の印象としては「作中の山場が前へ後ろへとズレていく」という、アルバム全体を折れ線グラフで捉えているような感覚がある、ような気がする。

ずいぶんと一般論的な前置きが長くなったが、この『TUNGUSKA』という変な名称のアルバムは、それほどまでに普遍的な魅力を放っているということだ。普遍的なことを伝えるためには一般論が要る。

本作はスウェーデンのメロディアス・ハード・ロック・バンド、TREAT8枚目のアルバムであり、再結成後3作目のアルバムとなる。

TREATは80年代に3rd『DREAMHUNTER』、4th『ORGANIZED CRIME』という2枚の傑作をリリースしているが、個人的には再結成後の1作目である『COUP DE GRACE』を、アルバム単位での最高傑作と捉えている。18年振りの再結成作で最高傑作を生み出すなどという奇跡は、滅多にあることではない。しかし続く前作『GHOST OF GRACELAND』は、その充実した雰囲気を引き継ぎつつも、内容的にはいま一歩及ばない仕上がりであった。

実はこの『TUNGUSKA』を初めて聴いた際にも、それとまったく同じような印象があって、正直、またもや『COUP DE GRACE』を薄めたような作品だと感じていた。いや実際のところ『COUP DE GRACE』とは、このバンドにとって十字架といってもいいほどに完成度の高い作品であった。比較対象が悪すぎる。

そう思いながらも、やはり過去3枚もの傑作を生み出しているバンドの新作を信じないわけにはいかない。そう思って繰り返し聴き続けるうち、まさしく先に述べたようなスライド現象が、聴き手である自分の中に起きていることに気づいた。

「アルバムの、ピークが、ズレていく!」

こういうレビューもあまりないと思うので、思い出せる範囲でその「本作に対する自分内ピークがズレてゆくプロセス」を具体的に描写してみたい。

当初は先行MVにもなっていたことから、⑦「Build The Love」を、なんとなく自分の中でアルバム内のピークに設定して聴きはじめた。第一弾MVに選んだというのは制作者サイドの自信の表れでもあるだろうし、アルバムリリース以前から聴いていた曲であるがゆえに、他の曲より耳馴染みが早いのも自然なことだ。だがやはり、『COUP DE GRACE』に収められていた名曲「Papertiger」あたりに比べると、メロディの輪郭が不明瞭でやや弱いとは感じていた。

そこから聴き進めるうち、今度は⑫「Undefeated」の魅力に気づきはじめる。なぜこの曲をわざわざこんな後ろに置いたのかはわからないが、このメロディならば『COUP DE GRACE』が誇る名曲群に対抗できるような気がじわじわとしてくる。このあたりで、実はこれは全体的に凄いアルバムなんじゃないか?という予感を抱きはじめる。
 
と、そうしてちょうど自分内ピークがアルバム中盤からラストへ移行したころ、ネットで④「Rose Of Jericho」のリリック・ビデオが公開されたとの情報を目にする。「なんで『Undefeated』ではなく、あえてそんな地味な曲を?」と訝しがりつつ、リリック・ビデオを観る。やはり地味だ。

と思いつつも、再びアルバム全体を通して聴いていると、どうにもこの「Rose Of Jericho」という曲が気になりはじめる。いやもう気になるどころか、気づいたらタイトル・フレーズを口ずさんでいる。「これは……恋なのか?」というくらい自然に、この曲が好きであることに気づく。ここでアルバム内ピークは4曲目に移る。

そうなると、続く⑤⑥も④からの流れで注目するようになり、どちらも良いメロディを持った佳曲であると認識する。すでにだいぶ空欄が埋まってきた感がある。

そこまで来ると、今度は急に前半に見落とし聴き落としがあるような気がしはじめ、やはり1曲目をもっとちゃんと聴こうという気になる。すると今さらながら、①「Progenitors」の壮大なスケール感とアンセム的な力強さ、そしてもちろんその芯にあるメロディの質の高さに頭をぶん殴られた気分になる。さらにはこのバンドのリズム隊が実は強力であることをも、改めて痛感。なぜ最初からこれに気づかなかったのかと、自分の鈍感さに怒りを覚えるほどに。

というわけで今のところ、個人的な本作のピークは1曲目に移行している。ただし⑨「Riptide」もキャッチーでいい曲だし、1曲目からの流れで聴く2、3曲目もやはりいい。いや客観的に見れば、やっぱり⑫「Undefeated」が本作のベスト・ソングかもしれない。まだまだピークが移り変わってもおかしくないし、どこを切り取っても美味しい。そんなアルバムはそうそうあるもんじゃない。

パッと聴いたときの印象では、あの衝撃の復帰作『COUP DE GRACE』ほどの、誰もが振り返るようなキャッチーさがあるわけではないから、入門者にはやはりあちらを勧める。しかしそのぶん、繰り返しの聴き込みに耐えうる強度と、聴けば聴くほど味が出る深味を持っているという意味で、個人的には今や総合力で本作に軍配を上げる。つまりこの『TUNGUSKA』が、現時点におけるTREATの最高傑作だと感じている。

それはよくアーティスト本人が口にするような、「最新作が常に最高傑作」的なお決まりの論法ではなく、真っ当に正面から向きあって聴き込んだ末に出した、現時点における結論。

間違いなく、今年のベスト・アルバム第1位最有力候補作である。


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風邪の歌を聴け

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考えてみれば、その日は朝起きた瞬間から妙な浮遊感があった。

週の初めに風邪の症状を自覚してから五日目となる木曜の朝、六時過ぎにふと目が覚めた。

前日の夜、すっかり風邪のピークは過ぎて、あとは時間の経過とともに自然治癒していくはず、という確信があった。といっても、その程度の経験則が確信と呼べるレベルのものであるはずがなかった。

なぜなら人は、風邪のひきかたも治しかたも、毎度見事に忘れるからである。それは母親が出産の痛みを忘れるような、リピートを促すための本能的反応なのかもしれない。

僕らは夏場には冬の寒さになど想像も及ばず、冬には半袖を着てアイスを食う日が来るなどあり得ないと感じている。毎年夏が来ればその暑さにいちいち驚き、冬が来ればこんなに寒くなるとは思わなかったと衝撃を受ける。そしてクローゼットの奥に転がり落ちている手袋やマフラーを引っぱり出す。

彼ら急遽社会復帰を命じられた防寒具たちは一様に、「いや~、まさかまた呼び出されるとは思いませんでしたよ」と顔に皺を寄せて苦笑いしている。こっちだって春が来ればもう二度と逢うまいと思ったから、そんな窮屈なところに押し込んでいたのだ。

だがそれはあくまでも、人間側からの視点に過ぎない。むしろウイルス側から見れば、彼らは「自らの死と引き換えに、宿主である人間の脳内から、自身を打倒したプロセスの記憶を消し去ってゆく」という周到なプランを毎度決行しているのかもしれない。人がウイルスの倒しかたをその都度忘れれば、ウイルス界全体の長寿化につながるだろう。

スポーツですら対戦相手のデータが戦術上重要となってきている昨今、敵選手の特徴やフォーメーション、得点パターンなどのデータをすっかり消去されてしまえば、苦戦することになるのは間違いない。すでに人間は、戦術面においてウイルスに遅れを取っているということか。

しかし今はウイルス目線で考えていても仕方ない。いったいなんの話だったか? いつから僕はウイルスになったのか? いやウイルスではなく人間である僕は、もう風邪のピークは過ぎたという自己判断の末眠ったはずのに、朝目覚めたらものすごくフラフラだったのである。

これまでの人生で、そんなことは一度もなかった。風邪が治りかけたら、風邪は治るのである。といってもそれすら、ウイルスに記憶をねじ曲げられているだけなのかもしれない。本当は治りかけたと思った後にピークが来る、という経験を何度もしているのに、その記憶を完全消去されていて、「スムーズに治った」と間違った情報をプリンティングされている可能性もある。次に風をひいた際、簡単に治させないようにと。

とにかくその朝、僕はフラフラの状態で起きた。明らかに熱がある感じだったので、測ったら37度3分だった。たいしたことないと思われるかもしれないが、もともと熱が出にくい体質らしく、風邪をひいてもあまり熱が出ない。熱に慣れていないから、ちょっと出ただけでも猛烈なダルさに襲われる。

風邪をひいたときのあの体の節々が冒されている感覚は、やっぱり風邪をひいていない時にはまったく思い出せない。記憶から完全に消去されているから、どうせひいてもたいしたことないだろうと思って油断して、また安易に風邪をひく。やっぱりウイルスの策としか思えない。彼らの怖さを忘れさせられた結果、我々はついついガードを下げて生活してしまうのだ。

とりあえず体温計は見なかったことにして、僕は二度寝することにした。峠は昨晩越えたはずであるからだ。しかしそこに至るまで熱は一度も測っていなかったので、峠の曲線はまったくの不明であった。ここが頂上なのか麓なのかもわからない。

それ以上考えても仕方ないので、体温計の故障だということにして寝た。都合の悪いときは、機械のせいにするのが精神衛生上いちばんいい。実際のところ、十年以上前に買った体温計なので、壊れていても不思議はないのだし。

「寝た」と書いてはみたが、実際のところなかなか眠れずウトウトと悶々を繰り返し、しばらくたってからもう一度熱を測ってみた。今度は37度7分あった。どうやらピークを越えたどころか、峠はこの先に待っているようだ。

そう考えると、体中どこを触っても熱を帯びているような気がしはじめて、これは早いとこ病院へ行かなければならないと確信した。しかし引っ越してきてから全然病院に行っていないので、行くとなると病院を探すところからはじめなければならない。ネットで検索すると、どうやら病院は木曜休診のところが案外多いらしいことに気づく。その日は木曜日であった。

ようやく近所の綺麗めな病院を見つけて、なんとなく着替えてそこへ向かうことにした。フラフラで食欲がないが、何か食べないとまずいと思い、バナナを一本食べて家を出た。

歩いて十分ちょいの病院へ着くころには、僕は汗だくになっていた。熱があるせいもあるし、マスクをしているせいもある。ビルのエレベーターを降りて目的の病院へ入ると、平日朝10時にもかかわらず、病院の待合室はいっぱいであった。とりあえず受付にいくと、予約はしたかと問われ、していないと答えると、今日は予約でいっぱいだから無理だと言われた。

しかし受付の女性もこちらの顔色の悪さと変な汗のかきかたを見て察してくれたようで、すぐに近くの別の病院を紹介してくれた。今さら選べる状況でもないので、ここはありがたく言うことをきいて、素直に言われた通りの病院へと向かった。

風邪くらいで平日の朝に病院をたらい回しにされる印象も覚悟もなかったので、この時点で何かおかしいというか、僕はカフカの『城』っぽい展開だなと感じていた。

もしそうだとすると、僕はずっと目標地点=病院の周囲をグルグルと回るばかりで、病院へはいっこうにたどり着けないことになる。途中で女の人とひたすら床に転がったりできるという展開は悪くない(カフカの描く恋人たちは、なぜか床を転がってばかりいる)が、病院へたどり着けなければひとり路上に転がることになる。

だが背に腹は代えられない。教えられた場所へ行くと、そこは明らかに日当たりが悪くジメジメとした、廃校のような病院であった。僕は普段からその前を何度も通り過ぎてはいたが、そのたびに「誰がこんな野戦病院みたいなところへわざわざ通うんだろう?」と不思議に思っていたそのホスピタルの前にいた。

しかしもはや他に選択肢はない。僕はその薄暗い空間へと足を踏み入れた。見た感じ、明らかにすいている。むしろ大きくなる不安……。

だがここでまた不思議なことが起こる。受付に用件を告げてなにやら用紙に記入したのちに顔を上げると、目の前にとんでもない美人がいたのである。僕が用紙を受け取ったのはこの人ではなかったはずだが、いつのまに。

他に数名いるスタッフからは明らかに空気感の異なる、かといって浮ついた感じなど微塵もない、どちらかというと薄い顔だが明らかに美しいとしか言いようがない完璧美人が目の前に存在していた。しかも、僕がこれまで目撃したどの美人とも似ていない、芸能人の誰とも似ていない、唯一無二の存在感を放っている。そんな孤高の人間など実在するのだろうか。しかもこんな誰が見ても場違いなところに。

僕はそれ以降まともに彼女の顔を見られぬまま、記入した用紙を渡してソファーへと引き下がり、名前を呼ばれるのを待った。しばらくすると横にスタッフが来て、呼びかけられた。目を上げると、さっきの完璧美人がそこに立っていた。完璧美人は言った。

「とりま、診察券を作っておきましたので」

僕は耳を疑ったと同時に、自らの脳をも疑った。熱で脳内が溶け落ちているせいかもしれないからだ。

「とりま」

たしかに彼女はそう言った。「とりあえず」ではなく、「とりま」の三文字。いやもちろん、知っている略語ではある。若者からすでに一般に普及している言葉であることも知っている。たしかに彼女は若いし(二十代中盤くらい?)、使うこと自体は不自然ではない。しかし病院で「とりま」はないだろう。

いや別に、全然不快でもなんでもないし、むしろ彼女が僕にそれくらい気安く接してくれたというのなら嬉しいくらいだが、たぶんそういうことでもない。それくらい彼女の放つ「とりま」はおそろしく自然な「とりま」だった。

そもそもこんな完璧美人が、こんな廃病院のような場所にいるのがおかしい。しかも彼女は誰にも似ていないのに、それをなんの基準もなく美人と確信できる僕の感性もなんだか信用ならない。そんなことをぐるぐる考えていると、彼女が質問してきた。

「熱はありますか?」

「38度近くあります」僕は答えた、実際に家を出る前には、37度7分あった。

「では念のため測りましょう」

彼女は体温計を差し出して去った。僕は大人しく体温を測った。36度5分だった。

そんなはずはない! たしかに37度7分あったのだ! ちゃんと熱があったから僕はここへ来たのだ! けっして冷やかしで来ているわけじゃないんです。本当に調子が悪いんです。おい何やってんだ俺の体! 熱出るのかい、出ないのかい、どっちなんだい!(きんに君)ここは意地でも叩き出せよフィーバー! 叩き出してみせるのがマナー!

ここへ来るまでに汗をかきすぎて下がったのか、出がけのバナナが効いたのか? それともやはり、家の体温計が壊れていたのか?――などとこの急激な体温低下の理由を考えていると、例の完璧美人が近づいてきた。

僕はしぶしぶ体温計を渡しつつ、「あ、下がってるみたいです……」とバツの悪い感じを滲ませながら、僕が「下げた」のではなく何ものかのせいで勝手に「下がった」ことを強調する言いかたをした。彼女は「はい、わかりました」となんの感情も見当たらないプレーンな声を残して消えた。

その後も、カフカ『審判』に出てくる裁判所の回廊のような場所に座って順番を待ちながら、病院内をボーッと眺めていた。時折目に入る完璧美人の姿は、やはりどの状況においても完全に浮いていた。派手じゃないのに浮いていた。背景に人物が馴染んでいない。白衣はとても似合っているのに。なのに彼女は「とりま」と言った。

そんなことが本当にあり得るだろうか。やはりこれは、カフカ的な、悪夢のような世界観なのではないか。何かしら因果律が狂っている。いるべきでない場所に、いるべきでない人がいる。言いそうもないことを、言いそうもない人が言う。

ということはもう、人間よりも世界のほうが劇的に変化してしまったと見るべきではないのか。当たり前のことが当たり前でなくなり、当たり前でないことが当たり前になっている世界。

しばらくして呼び出され診察室へ入ると、カーテンで隣と仕切られただけの空間に3人の医者が並んでいるという、まさに野戦病院のような状況。僕は真ん中の医師に手招きされたため、左右のカーテン越しに響く声を気にしながら診察を受けるとあっさり風邪と診断され、再び待合室で処方を待った。受付に呼ばれて会計を済ましたが、すでに完璧美人の姿はどこにもなかった。

不思議な気持ちに包まれたまま薬局で薬を受け取り、家に帰ってその薬を飲んで寝ると、もらったその5種類ほどの薬セットはおそろしく効いた。これまで体験したほどのないスピードで、劇的に効いた。この薬は大丈夫なんだろうか、と逆に不安になったのは言うまでもない。

いったん心を落ち着けるために、あの完璧美人の顔を思い浮かべてみた。しかし彼女は誰にも似ていないから、記憶の抽斗の取っ手がどこにも見つからず、どうやってもその姿は像を結ばなかった。

あるいはこれも、ウイルスの仕業なのかもしれない。ウイルスにしてみれば、宿主が病院へ行くモチベーションなど、消し去ったほうがいいに決まっているのだ。


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