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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

ピコ太郎の仮装をする者の家には、エレキテルな衣装が眠っている

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今年のハロウィンでピコ太郎の仮装をしている人の家のクローゼットには、高確率で日本エレキテル連合の衣装が眠っている。

なんとなくファッションの方向性が似ているような気がしないでもないので、使い回せないかと一度は頭を悩ませてみるものの、やはり柄が全然違うので諦めてピコ太郎モデルを買い直すしかない。

そんなわけで本日はハロウィンであるらしい。今年から急に「ハロウィーン」と尻尾を伸ばしはじめているような気がするのは気のせいか。

ハロウィンといえば、日本ではもはや仮装以外の意味など見出しようもないが、仮装とはいわゆる「出オチ」なのではないか。

まともな仮装などしたことがないからわからないが、仮装している人々は「出オチ」後の「間」をいったいどうやって持たせているのだろうか。

ご存じのように、「出オチ」とはドーピングのようなもので、その直後には強烈な副作用として、地獄のような沈黙の時間帯が訪れることになっている。見た目というファーストインパクトによって上がりきったハードルは、直後から巨大な壁となって立ちはだかることになる。

そういう意味では、「渋谷のスクランブル交差点を練り歩く」というのは、実のところ「出オチ」的にはちょうどいい選択肢であるのかもしれない。パッと姿を現したかと思えばパッと消える。その刹那的な遭遇に一発屋的な流行ネタが似合うのは、ある意味必然とも言えるだろう。

あの欽ちゃんの『仮装大賞』でも、仮装は基本的に「出オチ」だから、どう悪あがきしても点数が伸びることなど滅多になく、だから欽ちゃんが審査員に必死に加点のお願いに回るというお馴染みの光景が生まれた。

というわけで街中の仮装行列への期待など一切ないが、あえて今年遭遇してみたいとすれば、それは「細川たかし2016」の仮装ただひとつである。健闘を祈る。

それ以外の生半可な選択肢を選ぶ仮装者は、全員高見沢・志茂田連合軍のカバン持ちからやり直しである。泣く子も黙るカスタムメイドの変形ギターと、色とりどりのタイツが詰まったボストンバッグを、腕がもげるほど持たされるがいい。


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