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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

使えない自由研究

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学生にとっては夏休みも残り一週間。あー夏休み。何も言えなくて…夏。ひとりごと以外は基本、何も言えず、時には「あー」くらい言ってるうちに甲子園もリオ五輪も終わり、残されたのはただひとつの決定的な事実。

「夏休みの宿題どうしよう」

夏休み終盤といえば宿題、夏休みの宿題といえば自由研究である。正直、個人的には7月中に終わらせる「先行逃げ切り型」であり、中には夏休み前に終わらせているフライングの猛者もいた。しかし早く終わらせれば終わらせるほど勉強ができるのかというとそんなこともなく、特に夏休み前に終わらせる輩は、むしろ普段成績の悪い人間が多かったような気がする。つまり拙速ということか、あるいは勉強が嫌いすぎて「先に退治したい」というモチベーションが異様に高いのか。

しかし「自由研究」というのも、改めて考えてみると変な言葉である。「自由研究」なる課題がわざわざ設けられているということは、それ以外の勉強はすべて「自由ではない」と言われているようなものではないか。そしてそれはたぶん、結構真実なんだと思う。テーマの設定も自由、研究の手順も方法も自由、レポートの書式も自由。少なくとも「勉強」というシチュエーションにおいて、こんなに「大量の自由」に囲まれることは、滅多にあるもんじゃない。それが「学問」の本質であるにもかかわらず。

つまり自由研究をやるに際してはまず、与えられた「自由」をひとつひとつ「潰して」いかないといけない。それはつまり「方向づけ」をするという意味だが、そこで重要になってくるのはやはり「テーマ選び」である。いま考えてみると、自由研究の典型としてみんながこぞってやっていた「昆虫採集」に、テーマなど一切なかった。あるとしたら、「カブトムシが好き。ミヤマクワガタはもっと好き!」くらいの「嗜好」くらいなもので。

研究において、テーマは重要な要素である。しかし「自由研究」なのだから、本来テーマはなんだっていいはずだ。「重要なのになんでもいい」などと言われても困るが、人生にはそういう局面が思いのほか多い。花見の席で上司に、「この金でなんでもいいからつまみと飲み物買ってこい」と言われた場合なんかも、模範的な「重要なのになんでもいい」ケースだ。実質的には「なんでもいい」わけでは全然ないのは周知のとおり。

だが、せっかく向こう(先生?学校?)が「自由」だと言っているのだ。ここはテーマを否定されたら、「だって自由だって言ったじゃないですか」の一点張りで強行突破することにして、頼まれてもいないのに「本当に自由な」自由研究のテーマを考えてみるのもいい。


《自由研究のテーマ》
【オリンピックの新競技を考える】

●研究の意図

今回のリオ五輪が開催される過程で、オリンピックというのは「準備が大変」であることが再認識された。
ならばいっそのこと、大会前の「設営作業」を競技化してみるのはどうだろうか。
どうせ開会式より前に始まっている競技もあるのだから、もうだいぶ前からやっちゃっても「まあそういうもんか」となるのではないか。

◆五輪新競技例『男子400m鉄骨リレー』

スタジアム建設に必要不可欠な鉄骨を担いで走る100m×4人のリレー。

使用される鉄骨の重量は、重量挙げ、ハンマー投げやり投げ、円盤投げなどの用具重量を参考に決定するが、あくまでも実際の設営に使用する鉄骨を、必要な場所へと届けるのでなければならない。

その際には走力や筋力だけでなく、今回の日本リレー代表が示したように、鉄骨を引き渡す「鉄骨パス」の技術も重要となる。銀メダルに輝いた日本代表のような「アンダーハンドパス」は、その長さと重さからしてさすがに難しいはずだが、各国が切磋琢磨することによって、現場における鉄骨運搬技術の実践的向上も期待できる。

さらには、走りながら運ぶなかで鉄骨をひねる、回す、いったん宙に投げて背面で受け取るなどの技による「技術点」も加味される。それらの技には、体操のひねり技に「シライ」の名がつけられたように、「クマガイ」「カシマ」「オオバヤシ」など、新技を編み出した者の名字が授けられる。

選手の披露した技を採点し、走行の安全性を厳しく見極める審査員は、もちろん現場の親方衆である。審査委員長は現場監督が務める。

唯一の問題は、この「鉄骨リレー」がスタジアム建設における作業工程のひとつであるということ(それはもちろん、この競技のアイデンティティでもあるのだが)。

つまりはいまだスタジアムが建設中の状態であるため、観客を入れることができないという点であり、著しく盛り上がりに欠けることが予想される。やらないほうが良いと思われる。

さらには今回の五輪で、リオのプールが一夜にして真緑に染まったことを考えると、『藻掃除カーリング』という新競技も考案する必要があるかもしれない。


――と、これだけ考えるのも結構面倒くさい作業であった。しかも研究は研究以前の妄想段階で完全な失敗に終わっている。

となればやはり、適当に近所の虫を集めて提出するのが良いのかもしれない。時すでに遅く、ガラスケースの中に蝉の抜け殻ばかりが並ぶことになるとしても。

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