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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

憤慨の自由

名前というものは本来的に紛らわしいもので、紛らわしくなければ名前じゃないと言ってもいい。「そうとは限らない」という向きもあるだろうが、「言ってもいい」と許可を出したのはこれを書いている僕自身なので、この文章においては事実にかかわらず言ってもいいことになっている。

日本テレビのアナウンサーに、「右松健太」という人がいる。なぜそういう名前なのかは知らない。たぶん、右の松のほうが健やかで太かったんだろう。太ければいいってもんじゃないが、とりあえず健やかでよかった。彼はアナウンサーだから、中継に出た先でスタジオから頻繁に名前を呼びかけられる。

国会議事堂前の右松さん!」
甲子園球場の右松さん!」
「現場の右松さん!」
「森の右松さん!」

僕は彼がそうやって呼びかけられるたび、心の中で「『右松』じゃねえよ! 『石松』だよ!」と憤慨し叫ぶ。もちろん心の中なので音声的には叫ばない。外見的にはただボーッとテレビを観ているだけだ。スタジオのフロアディレクターからは、こんなカンペも出ていることだろう。「訂正お願いします→ライトじゃなくてストーン!」

もちろん彼はオフィシャルに「右松」であって「石松」ではけっしてない。しかしそれは、彼もしくは彼の先祖が何らかの手続きにおける公式書類で、「石」の字のてっぺんをほんの0.数ミリはみ出してしまったという些細なケアレスミスがもたらした今世紀最大の悲劇に違いない。涙が止まらない。

嘘だと思うなら、試しに「石松健太」と声に出して言ってみるといい。そのしっくり具合は、彼が間違いなく「石松健太」であることを感覚的に証明する。その後に改めて「右松健太」と発音してみると、あなたは即座に「『右』って!」と思わずツッコミを入れてしまうはずだ。もちろん感覚的な問題なのでこれ以上の証明は不可能だが、逆に「石松健太」と発音したところで、「『石』って!」という気分にはまったくならないという事実が、彼が本当は「石松健太」であることを裏づけていると言ってもいい。

「言ってもいい」と決めたから、言ってもいいのである。

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