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短篇小説「ガチ勢とその後続」

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 あるコンサート会場の入場口に、開演前の行列ができていた。その先頭に並んでいる第一の集団は、もちろんガチ勢であった。

 ガチ勢のうしろには、マジ勢が陣取っていた。ガチ勢とマジ勢は、どちらがよりガチのファンで、どちらがよりマジのファンかで言い争っていた。結果、ガチ勢のほうがよりガチで、マジ勢のほうがよりマジであるということに決した。なんの意味もない議論であった。

 マジ勢の後方には、スキ勢が続いた。スキ勢はこの日コンサートをおこなうアーティストのことを間違いなく好きであったが、好きになれる部分しか見ていない人たちだった。ガチ勢とマジ勢は、そこがどうにも許せない。本当に対象のことを好きであるならば、嫌いな部分までしっかり見つけたうえで、それでもすべてを愛するべきだと彼らは考えていたからだ。

 その点においてガチ勢とマジ勢の意見は一致していたが、では両者のどこが違うのかというと難しい。ただひとつ言えるのは、マジ勢が「本気と書いてマジと読む」タイプの人たちであったということだ。これもやはり、なんの意味もない違いであったかもしれない。

 そしてスキ勢のあとに続くのは、アリ勢の行列であった。アリ勢はこのアーティストのことを、アリナシで言えば「アリ」だと考えている人たちだ。つまりどちらかというと好きではあるのだが、「好き/嫌い」よりも「アリ/ナシ」判定のほうがやや上から目線であると言える。ゆえにスキ勢に比べると、「ちょっと観てやろう」という、相手を品定めするようなスタンスが垣間見えた。

 アリ勢のうしろには、ノリ勢が踊りながら並んでいた。ノリ勢はその名のとおり、なんとなくノリでライブに参戦している人たちである。

 しかし彼らもまた、このアーティストが生み出すノリを愛しているのはたしかだった。だが彼らが好きなのはアーティスト自体ではなく、そのファンをも含めた会場全体のノリとしか言いようがなかったため、アーティスト本体のファンである人たちからしてみれば、「一緒にしないでくれ」という気持ちは少なからずあった。

 特にガチ勢は、このノリ勢を誰よりも敵視していた。このアーティストのファンでない人や、それ以上に手厳しく批判してくるアンチ以上に、ノリ勢のことが気に食わないようだった。それはノリ勢がファン全体のイメージとモラルを著しく低下させていると考えているからであり、ひいてはアーティスト本体のイメージにも打撃を与えると考えているからであった。

 だがノリ勢には、その場のノリにまかせた勢いと拡散力があるのも事実だった。このアーティストが売れたのは間違いなく彼ら軽薄なノリ勢のお蔭であり、マジ勢はその点に関しては、少なからず感謝するところもあった。

 ノリ勢の背後では、イミ勢同士が言い争いをしていた。イミ勢とは、自分の都合のいいようにアーティストや作品を勝手に解釈して独自の意味を見出す人たちであり、だからこそ解釈の違いを巡って内部抗争が頻発した。

 彼らは自分が決めつけた意味の範囲内においてのみアーティストを応援する人たちであったため、アーティストの活動や作品がその範疇から少しでもはみ出すと、途端に反旗を翻すのが常だった。つまりアーティストに自分好みの意味を見出している間に注がれる愛情は、ガチ勢やマジ勢に匹敵するレベルにあるといっても過言ではないが、いったんそうでなくなったが最後、ノリ勢どころか完全にアンチへと転じてしまう危険性を秘めていた。

 逆に言えば、ガチ勢やマジ勢の中にも、イミ勢は少なからず隠れていたと言える。ガチ勢であった人がファンを辞めてみてはじめて、自分がイミ勢でしかなかったと気づくこともあった。イミ勢は正確に言えばアーティスト自体のファンというよりも、自分がそこに見出した「意味」のファンであったため、いち早く会場入りすることでアーティストへの忠誠心を示す必要をあまり感じておらず、あまり前方には並ばないことが多かった。

 イミ勢のあとには、シングル曲だけ聴いたことがあるというグル勢、ラジオで曲を聴いたことがあるだけのラジ勢、ドラマの主題歌だけ聴いたことがあるというラマ勢、アーティスト名を知っているというだけのシリ勢、なんとなく行列を見かけたからついつい並んでしまったというアホ勢へと、行列は果てしなく続いてゆくのだった。そしてそんな長い長い行列の脇には、ところどころダフ勢が待ち構えていた。

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